【      何彼を、 信じるとか、 信じない、
 とかいう、
  いずれにしても、 不信性の度合いを成す、
 観念的な行為を成して、
  その結果の状態を保ってゆく事において、

    信不信性の度合いを成す事、 それ自体が、

 信仰の宛 アテ の違いによる、
 競争的な対立性らを、  機械的にも、 自動的にも、 その主らの互いに影響し合える世界らでは、
  その主らにおいて、
わき起こらせる、 規定性を成してしまう事であり、

   信仰する宛の違う主らにおいて、
より、  平和な社会状況らを成し、
増してゆく上での、  
限界を設    モウ   け合わせてしまう、
要因として作用し続けるものを成してしまう事を、
 意味する。


  観念らの成り合う、 動的な枠組みらを、
能  ヨ  く、  思い分けて観てゆく事を通して、

  その、 信不信性などをも成す、
 その枠組みらの、   機械的で、 自動的な、
 働きようら等を解いてゆく事においても、
 信不信性を、 より能く、 脱却する事は、

   可能的な戦争行為らの実現する方向へ、
 圧力をかけ続ける規定性を成してあるものを、
より能く、 脱却する事であり、

     信不信性の宛らの違いによる、
 より、 平和な社会状況らの構築への、
 余計な制約を解消し去る事によって、
  信不信性の主ら自らの精神系らにおける、
 可能的な平和性の度合を直に高め得る事でもあり、

     
      日本国民らの一般の側に立って、
 より早くに、   日本国民らの足元の地下へ、
 避難経路らと、 住める避難所とを、
   作り拡げてゆく、
  公共事業らを成す事においても、

   英米のカネ貸しらの側に立ってある実態らを、
 積み重ねて観せて来てある、
 日本の、   財務省の役人らと、
 与野党の主な政治家らとにより、

   日本の中央政府の財政における、   緊縮   、
 を通して、

  彼らへの主   アルジ  、 の、 立場にある、
 日本国民らへ、 押し付け続けられて来てある、

    あり得る、 物価と、    
  それ以上に、  その、 あり得る、  労働らへの賃金らの、  度合いを、  より、  引き下げる方向へ、
  圧力が掛かってある、    
社会の全体な状況でもある、   デフレ不況性  、  を、   解消し去ってもゆく方の、
   日本国民たちが、

   日本国民たちを、    海外の、 信不信性の奴僕
ヌボク    でもある、  主らにおいて、
 より、  共通の標的に設定させるべくして、
設定させる、
その大本の信不信性や、  
その宛らの属性らの成す、 規定性ら等によって、
機械的にも、 自動的にも、
  日本国民らを、 より、   彼らの共通の、
 集   タカ   りなどの標的に仕立て上げ合う方向へ、掛かる圧力を、 より能く、 減らし得て、
  日本の内外に、  より、  平和な社会状況らを構築し得てゆく事にも、   欠かし得ない事だ       】  。


 【      企業留保として、    日本の、    企業らが、
 それらへの従業員でもあり、
日本の主権者でもある、  日本国民たちへ、
渡し得る、 カネとして働く、 数値らなり、
そうした数値らを帯びてある、 金属片らなり、
紙切れらなり、 を、
企業らの側に、 ため込んで、
設備らを、  あらためたり、 増やしたりして、
余計に、  日本国民たちを雇い入れる、
事をせずにいる分だけ、

  日本国民たちの、 売る事らや、 売る物らを、
日本国民たちが、 買う 、 内需 、 の、 度合いを、 より、 余計に成す、 在り得る度合いと、

   買い物らに使わない、 カネとしての数値らを、
 貯めて置いて、
  未来において、 買い物をする事への元手とする、
貯蓄 、 を、 増やし得る、
あり得る度合いと、 が、
より、 削り減らされて、 小さくされる事になるが、

   経済系において、  2つしかない部門である、
政府部門 、 と、 民間部門 、 とにおける、
その、 民間部門 、 において、

   日本国民たちの生産し、 供給する       ≒
売る      、    サービスらや、 物ら、 を、
 買う事により、
日本国民たちへ、 より、 余計に、
 所得金額らを付け加える事における、
 あり得る度合いが、  それだけ、 削り減らされ、

  それだけ、 物価や、 給料などの、
労働らへの賃金ら、 の、
あり得る度合いを削り減らす、

 『   デフレ不況性     』  、  の、 度合い、が、
あり得てある、
これまでの、 日本の社会の全体な状況にあっては、

     残りの唯一の部門である、
 『   政府部門  』    、  だけが、
  公共事業らを成す事により、

   それへの主  アルジ   の立場にある、
 日本国民たちへ、     直に、 より、 余計に、
 収益である金額らや、  所得である金額らを、
付け加える 、 と、 共に、

      日本の社会の全体における、
一定金額以上の収益や所得の付く、   仕事らの総量
        ≒         投資機会らの総量      、    を、
 日本政府が、   直に、 増やしてゆく 、
事を通して、

   雇い手たちの側において、

  自らへ収益を与える為に、
  より、 少ない立場にされてゆく、
 あり得る、 労働らを得るがために、
賃金らを上げ合う、 競争性を成す、 度合いが、
増してゆくようにもする事において、

   日本国民たちへの賃金らの水準を、 より、
直に、 押し上げてゆく事ができる立場にある。


     中央銀行である、  日本銀行には、
 
  その、 金融政策らを成し行う事において、
 大量に、 カネとして働く数値らを、
  日本の社会の内外の主らへ、 渡し得るようにし、  金利を安くして、
 企業らなどが、  人を雇い増す事にもなる、
設備投資などをする為に、
 一般の銀行らから、
カネとしての数値らを借り易い状況を作り出す事は、 できる、 が、

  中央政府である、 日本政府のように、
 その財政政策において、
 その公共事業らを成す事により、
直に、 日本国民たちへの、 一定金額以上の、
収益や、所得の付く、 仕事らの総量を、
増やしてやる事は、 できない。


  この事は、  中央銀行による金融政策らと、
中央政府による財政政策らとにおける、
  決定的な違い、  でもある。


   日本の主権者として、  自らへの奉仕を成し、
 自らの、 あり得る福利らを、  より能   ヨ  く、
実現させる為だけに、
   日本国民たちの一般と全体とが、
雇ってある、 立場にある、
公共の機関らと、 それを運営する役の者ら、
とに対しては、

  日本国民たちは、    日本の主権者として、
互いの一般の為にも、
そうした者らを監督し、 そうした義務である事らを、 より能く、 成し行わせるべき立場にある。


     日本の憲法の規定事らに照らして、
  それらに違反してある、
役人らや、 政治家ら等を、 裁きに掛け、
 その義務な事らについての、
怠 オコタ りようら等をただし、
それらの任に当たる者らを入れ替えてゆく 、
事によっても、

   日本国民たちは、      より早くに、
 日本国民たちの足元の地下へ、 より、 安全に、
直ちに、 降りてゆける、 避難経路らと、
より、 快適に住める避難所らとを、
 作り拡げてゆく、 公共事業らを成す事により、

  英米のカネ貸しらの主張する事らを、 そのまま、
自らもまた、 オウム返しにして、 主張し、
実行もする事において、

  日本の、  財務省の役人らと、
 経済政策への参考にする体   テイ 、 で、
フランスの銀行家の、 ジャック・アタリ氏と、
 会談して観せもした、   菅直人氏のような、
  与野党の、 主な政治家らとが、

   日本政府の財政における、
 カネとして働く数値らの出し入れの、
 あり得る度合いを小さくしたり、
小さいままにしたりする事でもある、

  日本政府の財政における、   緊縮    、  を、
繰り返し、  成す事を通して、

  日本国民たちへ押し付け続けて来てある、
デフレ不況性  、 を、 解消し去ってゆくと共に、

 日本国民たちの防衛性の度合いを、
 飛躍的に高めてゆくべき、 状況にある      】 。


   ☆      日本内外史略   ;

    ササン朝ペルシアは、
 アラビア半島の南東部の、 オマーンに侵攻し、
   アラビア半島の南端の西部の、
 イエメンにあった、 小国らを従属させて、
  東ローマと東洋とを結ぶ、
 紅海の航路を遮断しようとした。

    それに対して、   東ローマ帝国は、
   アフリカ大陸の東海岸と、 それの向こうの、
  アラビア半島の南西部へ、  海を挟んで、
面している、  エチオピアを煽って、
  アラビア半島へ攻め込ませた。


    すでに、  キリスト教国であり、
   アフリカ大陸の東南の部分を占めていた、
  エチオピア 、の、  将軍の、  アブラハ氏は、
    海を越えて、  イエメンへ渡り、  そこから、
  アラビア半島の西岸沿いの地域を攻め上ったが、

   メッカまで来た時に、 突然に、 疫病が流行って、  兵士らが、 バタバタ倒れたので、 退却した。


    メッカの人々は、   アブラハ氏の軍が、
 見た事のない巨大な動物の、 象らを連れている、
  在り様を見て、驚いた。

  それで、   アブラハ氏がやって来た年は、
  「  象の年  」 、 として、  語り伝えられた。

  この年に、   メッカの商人で、
 クライシュ族のアブドゥッラー氏の子として、
  ムハンマド氏が生まれた。

    西暦570年の事と言われている。


    日本では、   聖徳太子
      (     574年     ~     622年     )      、   が、
  574年に、生まれており、
  622年に、   死ぬまでの間に、

   593年には、  20歳で、  そのおばの、
  推古    (    すいこ    )  天皇 への摂政
  (    せっしょう。     天皇の代理     )   、   となり、

    大臣      (   おおおみ    )  、  の 、   蘇我馬子
   (     そが・の・うまこ    )   、  氏、  と、
 協調しながら、  政治を行い、
   豪族らの争いをやめさせて、
  天皇を中心する、 強力な国家を作る、
方向性を示す事にもなる、     冠位十二階
   (    かんい・じゅうにかい   )    を、
  603年 、に、  定めて、
 有能な人たちを、  役人に登用したり、 :

    604年 、  には、
  『   十七条の憲法   』  、   を表して、

     豪族員らや、 役人らへ、   彼らが、
 自らに成すべき、 国家にとって望ましい、
心構えを説いたりし、

   607年  、  には、
 小野妹子    (     おの・の・いもこ   ) 、  氏らを、
  遣隋使として、    シナの隋帝国へ遣   ツカ   わし、

     その時の、    隋     (   ずい    )    、  の、
  第2代の皇帝である、    煬帝    ヨウダイ   、 への、   公式の文   フミ   に、  

   『     日出   ヒイズ    る処   トコロ   の天子、  
 書を、 日没する処の天子へ、致す 。
  恙無   ツツガナ   しや   』    、   などと、 記して、
 
   天下に、   天帝への子分である、  天子 、 は、
  独りしかいないはずである、 とする、
 中華思想の主  ヌシ   であった、  煬帝をして、
 甚  ハナハ  だしく、   怒らせしめたものの、
 
   隋帝国と、  対等の国交を開き、
  大陸の文化や制度を移入し、
  仏教の体系知らの所々が、
日本の人々の心得る所と成ってゆこうか、
という 、   時代であった。


    『   恙無しや   』  、    というのは、
   恙虫、  という、  ものによって、
   特定の病を引き起こされる、  という、  認識が、
  当時の日本の人々には、  あったらしく、
    病まずに、  元気で居ますか、  といった、  
 意味の、  呼び掛けの言葉であるらしい。