ネット記事+論弁群 ;
☆ 飽和状態の京都本のなかで、
群を抜いて人気なのは、 「 京都ぎらい 」
( 井上章一氏著 ; 朝日新書 ) だ。
人気があるけど、 実際に向き合うと、
面倒くさい京都について、 ずばり書き、
発売して、 1年が経っても、
ベストセラーを保っている。
革新的な本に、 追いつけ追い越せとばかり、
京都本に、 新たな動きが起っている。
『 もし、 京都が東京だったら、 マップ 』 ;
岸本千佳女史 / イースト新書Q ;
四条大宮と、 赤坂、に、 祇園と浅草、や、
吉田と本郷などの、
京都と東京の街の姿らの共通点を、
ある曜日の、 ある時間帯を、 サンプルにして、
解説している。
「 街歩きの達人 」 の、 三浦展氏との対談も、 掲載されている。
9月10日に発売されたばかりの、
「 もし京都が東京だったらマップ 」。
京都と東京の街を、 20ケ所ほどを比べて、
京都の街を、 東京の街に、 置き換えた、
マップを、 2015年の暮れに、
ネットで発信したら、 話題に。
例えば、 御所は、 東京だと、 皇居、
京大のある吉田は、 東大のある本郷、
というのは、 わかりやすい比較。
そのほかでは、
京都駅は、 品川で、
祇園は、 神楽坂、
二条城の近辺は、
清澄白河など、と、
独自の視点が光るマップのPV は、
20万を超え、
テレビ ( NEWS ZERO ) でも、 紹介され、
あっという間に、 書籍化が決まった。
著者の岸本千佳さんは、
京都の出で、 今も、 京都を拠点に活動している、
不動産プランナー。
東京でも、 不動産関係の仕事をしていた経験も、
マップに生かされている。
岸本さん ; 「 京都の人以外は、
京都を、 全部、 お寺や神社の多い、
東京で言ったら、 神楽坂のように、
思っている方が、多いんじゃないか、と、
思うんです。
でも、 実は、 京都も、多様で、
神社仏閣の多い地域もあれば、
カフェや、 現代的な文化が発達ししている
地域もあります。
そんな京都の多様性を可視化しようと、
地図を作ってみました。
それが、 思いがけず拡散して、
賛否両論、たくさんの反響をもらったんです。
主に、 京都以外の方は、
楽しんでくださったのですが、
昔から、 京都に住んでいる方からが、
こんなではない、 と、 言われたことも ( 笑 )。
地図だけでは、 説明不足で、
誤解を招くことも、 否めなかったので、
本にすることによって、
私が、 なぜ、 このように位置づけたか、
明らかにしたいと思いました。
実際、書き上げてみて、
これまでの私の、不動産業活動の集大成になった
気がしています 」。
岸本さんは、 不動産プランナーとして、
京都の各地を、 徒歩や自転車で、まわり、
それぞれの地区の状況を熟知している。
とくに、 リノベーション物件を扱っているため、 京都の歴史ある物件が、 現代仕様に変わり、
住む人も、変わっていく様を、
リアルに目撃しているから、
本に書かれた情報は、 激レアだ。
岸本さん ; 「 こだわったのは、 今
( 2016年 ) です。
5年後、10年後には、 変わってしまうかもしれないけれど、
今の街を記録したかった。
新しく、活性化している地域についても、
多く盛り込みましたし、
いま、気になるショップについても、
書いています。
そのため、 執筆にあたって、
いま一度、 京都と東京の街を歩き直しました。
東京も、 2泊3日くらいで行って。
万歩計をつけたら、 1日3万歩でした ( 笑 )。
京都は、 朝から昼まで、 原稿を書いて、
昼休憩に、 外に出て、
ズレを修正していくことを、 毎日続けました。
また、 東京で仕事をしていたこともある、
京都在住の編集の方をはじめ、
いろいろな方の意見も聞いたうえで、
ネットで発表したときと、
置き換える街も、 一部を変更しています 」。
例えば、 本の帯には、
“「 赤羽 」 が好きな人は、
「 四条大宮 」 に行こう!” 、 と、
書いてある。
四条大宮は、 はんなり、 雅 ミヤビ な京都とは、 ちょっとイメージの違う、
大衆的な飲食店の並ぶ、 ディープな場所。
大阪から、 京都に来た人は、
この場所を好むし
( 電車1本で、 行ける )、
撮影所のある、 太秦にも、
1本で行けるところから、
埼玉と東京を結ぶ、 池袋的
( 東映撮影所に、 西武線で行ける ) な役割を、
東京人としては、 感じるが、
さらなるディープさでいったら、
赤羽に置き換えるのは、 鋭い。
そんな感じで、 単なる印象ではなく、
土地の特徴を俯瞰して、
歴史なども、盛り込みながら、
書いてあるのが、 面白い。
岸本さん ; 「 観光本としても、
散歩本としても、 読めます。
東京の人への、 京都のガイド本としては、
もちろん、
京都の人が、 東京に行くときに、
役立つ、 とも言われていますし、
多様性のある読み方ができると思います。
今、 京町家に住むことが、 注目されていますが、
町家といっても、 いろいろな場所にありますし、地域の人と仲良くしたい人には、
町家は、 おすすめですが、
あまり、 交流したくない人は、
マンションのほうが、 おすすめです。
一口に、 京都と言っても、 人によって、
住みやすい場所は、様々なんですよ 」 。
『 京都の凸凹を歩くー
高低差に隠された、 古都の秘密 』
梅林秀行氏 / 青幻舎 ;
豊臣秀吉氏に由来の、 御土居をはじめ、
祇園、伏見城などを、
土地の凸凹ポイントで、 観ることで、
意外な、 京都の真実が浮かび上がらせる試み。
3D凸凹地形図と、
古地図・絵画などの、 歴史的資料らが、満載。
岸本さんが、 京都と東京を重ねて、
京都の今を見つめている一方で、
今の京都と昔の京都を行き来しながら、
巨大な歴史の影に埋もれた痕跡らの
存在を探している人がいる。
京都高低差崖会崖長の梅林秀行さんだ。
2015年の、 「 ブラタモリ 」 ( NHK ) が、 東京から、 日本の各地に、
守備範囲を広げた、 第1回めで、
京都の御土居、 という、
意外なテーマをとりあげたとき、
案内人として登場した、 梅林さん。
以後、 京都編には、 必ず、 登場し、
タモリさんと、 いい感じの間合いのトークで、
人気者になり、
9月23日には、
「 歴史秘話ヒストリア 」 にも、 登場する。
マニアックなタモリさんをも喜ばせる、
京都の穴場に関する、 深いデータベースの持ち主が、 5月に出した、 初の著書の、
「 京都の凸凹を歩くー
高低差に隠された古都の秘密 」 は、
大好評で、 すでに、 5刷。
聚楽第、伏見指月、淀城と、
大河ドラマの、 「 真田丸 」 好きにも、
興味深い場所から、
京都といえばの、 祇園、
そして、 梅林さんの真骨頂・御土居など、
多岐に渡る土地の今の姿を見つめ、
そこから、 知られざる真実を発見していく。
梅林さん ; 「 僕は、 もともと、
考古学人類学が専攻だったんですよ。
だから、 ここは、 こういう場所です、
という、 地点情報だけを消費していく、
いまの京都への案内が物足りない。
僕が大事にしたいのは、
では、 あなたは、 この場所に来て観て、
何を感じるのか? という、
問いかけから始まって、
より、 パーソナルな観察や共感の視点です。
例えば、 石碑巡りをするとして、
材質は、何か?
なぜ、 こういう形をしているのか?
裏には、 何が刻まれているのか? 、
など、 深く興味をもってほしいんです。
裏には、 たいてい、
作られた年月日が彫ってあって、
それが、 1895年だったら、
94年でも、 96年でもなく、
なぜ、 95年なんだ? 、 と、
そこまで観てあげるなら、
建立された、 さまざまな文脈が明らかとなって、
石碑も、喜ぶでしょう ( 笑 ) 」 。
研究者としての梅林さんの視点が、
何気ない、 街中の微妙な高低差に注がれる。
梅林さんは、 その土地への観察眼を生かして、 「 まいまい京都 」、 という、
まち歩きツアーのガイドをやっていて、
月に何度も、 御土居や伏見や嵐山に、
ツアー参加者を連れて行く。
何度も行った場所でも、 その都度、
事前に下見をして、 データベースを更新し、
観れば観るほど、 その土地への知識は、
深まっていくようだ。
梅林さん ; 「 じつは、 僕の、
「 まいまい京都 」 ツアーは、
『 ブラタモリ 』 に、 大きな影響を受けて、
立ち上がったものです。
『 ブラタモリ 』 を観ながら、
京都に、 タモリさんが来たら、
こんなところに行くだろうと、 妄想を、
tweet していたら、
『 まいまい 』 から、 声がかかった。
その後、 NHKの制作スタッフが、
京都編をやることになって、
京都に詳しい人は、いないか、と、
探して、 まいまい京都に、 問い合わせをしてきたことで、 僕に繋がりました 」 。
しかも、 番組プロデューサーが、
梅林さんの知り合いだった、 という、
奇跡のような再会があった。
梅林さん ; 「 考古学研究会に参加していた同士で、 でも、 20年以上を会ってなかったから、
最初は、 わからなくて。
土地が結びつけた、 カルマのようなものでしょうか ( 笑 ) 。 というか、
あの番組には、 自分のやりたいことを、
徹底的に追求していく人が集まってくるのだ、
と思います。
タモリさんを筆頭にして。
とにかく、 制作陣の志が高いですよ。
京都で撮影するときは、 いつも、
合い言葉のように、 『 かましたる! 』 、
と言っていますよ。
史実では・・・とか、
やいのやいの言う人がいるので・・ ( 笑 ) 」 。
本の中で、 梅林さんは、
こんなことを言っている。
「 『 平安京以来、 1200年を、 変わらず
やってきました 』 っていう姿ではない、 京都のリアリティーが提示されたように思える 」 。
それは、梅林さんが、ツアーや、
高低差崖学会、 という、 趣味でやっている研究と、
同じ視点だ。
本には、 さらに、
「 凸凹地形、 すなわち、 高低差とは、
単なる地形を超えて、
社会の高低差も意味するのかもしれません 」 、
とある。
その視点が、 たとえば、 豊臣秀吉氏や、
坂本龍馬氏などといった、 歴史上の著名人以外の人々の生活に向けられる。
梅林さん ; 「 例えば、 御土居は、
秀吉太閤がつくった経緯に関して、
従来の、 観光客や、 歴史マニアとは、
異なる切り口で、語っていきたい。
僕は、 そこで、 『 何が起きたか? 』 、 と、 同時に、 『 誰が住んでいたか? 』、 という、
テーマを明らかにしたいんです。
すると、 いわゆる、 “高低差の上”に住んでいる人ではない人たちの姿が見えてきて、
それこそが、 いま、京都に住んでいる、
ぼくの多くの知人、友人たち、そして、
僕自身も含まれるような、
密接なストーリーになる。
僕のモットーは、 『 まちが居場所に 』。
いまを生きる、 ぼくらにとって、
街を、 身近で、 共感できるものにしたいんです。
それが、 京都の凸凹を歩く、 という、
ミッション ≒ 任務、 使命 、 だ、 と、
思っています 」 。
そう語る梅林さんだからか、
本には、いまの京都を歩く梅林さんの写真が、
たくさん掲載されている。
梅林さん ; 「 タモリさんも、
僕の、 そういう気持ちをわかって、
面白がってくれている、 と思います。
もともと、 タモリさんが、
そういう人だと思うんですよ、
僕は、 そういうタモリさんの番組を観て育った、
テレビっこですから ( 笑 ) 」 。
「 街は生きている 」 、 という、 岸本さん、
「 タモリさんが言った、 『 土地の記憶 』 、
という言葉が、 印象に残っている 」 、 という、
梅林さん。
どちらも、 京都を有機的にとらえている。
「 僕や、 『もし京都が東京だったらマップ』の岸本さんなど、 新たなアプローチをかける
著者が出て来た、 というのは、
これまで、 京都を語る文脈に物足りなさを感じる人たちの思いが、 同時多発的に、
沸点を超えたんじゃないでしょうか 」 、 と、
梅林さん。
同じ「祇園」を、 梅林さんは、
華やかな祇園の意外な側面を紹介し、
岸本さんは、 「浅草」と捉えて、紹介。
その視点の違いも、 面白い。
京都が、 地元の人も、
京都にかなり詳しいと思っている人も、
とにかく、 京都を知りたい人も、
梅林秀行さんと岸本千佳さんの本を、
一度は、 手にとってみてほしい。
京都の生々しい鼓動が聞こえてくるはずだ。
( 木俣冬記者 ) 。
☆ 【 国学院大チームが発見 ;
約8300年前の暮らし解明に期待 】
縄文時代の居家以岩陰遺跡
( 長野原町の、 長野原 ) で、
昨年の8月に出土した人骨が、
約8300年前のもので、
埋葬されたものとしては、
国内で、 最古級であることが、
9月13日に、 分かった。
発掘調査している国学院大によると、
多量の人骨が出土しており、
さらに古いものが見つかる可能性がある。
国内最古級とされる人骨は、
頭骨や肋骨、に、 大腿骨、と、 頸骨などで、
灰の層から見つかった。
年代測定で、 縄文時代の早期の中葉の、
約8300年前のもの、 と推定された。
同大は、 今後は、
人骨を回収して、 DNA分析をし、
性別や年齢、に、 遺伝的な特徴などを調べる。
この時期に埋葬された人骨の出土は、
城ノ台南貝塚 ( 千葉県 )や、
栃原岩陰遺跡 ( 長野県 ) などの、
全国で、 数例しかなく、
県内では、 初めて、 という。
人骨は、 骨を保護する作用がある、
炭酸カルシウムを含む、 貝塚で見つかることが、
多く、
山間部での出土例は、 少ない。
居家以岩陰遺跡では、
アルカリ性
≒ 液体において、
負電荷な、 電子の、2個からなる、
電子対、 を、 捨てて、
正電荷な、 陽子、 を、 受け取る、 性質 、
の、 灰が、
骨の分解を防いだとみられる。
埋葬人骨は、 読み取れる情報らが多く、
山間部での、 縄文人らの生活実態らへの解明が、
期待される。
同遺跡は、 白砂川支流の深沢の、
右岸の崖にあり、
土器や、 石器、に、 動物の骨や、
植物の種子も、 出土した。
13日までに、 約8300年前のもの、 と、みられる、 埋葬人骨が、 新たに、 3体が、 見つかった。
2年前に始まった、 発掘調査の指揮をとる、
谷口康浩教授 ( 56 ) は、
「 縄文時代は、 籠を編んだり、
クリを栽培したりと、
現代に通じる、 多くの技術らが確立した。
この遺跡を調べることは、
日本人の起源を探ることに等しく、
考古学、人類学の双方の視点らから、
当時の生活実態らを解明したい 」 、 と、
話している。
http://www.jomo-news.co.jp/ns/6014737814987604/news.html
☆ 武将で、 茶人の、 古田織部 氏
( 1615年に、 没 ) の親族の家譜に、
徳川幕府の第2代の征夷大将軍の、
徳川秀忠氏が、 織部氏に、
格式を重んじる、 武家流の茶法を定めるよう、
命じたとする記述があることが、
9月15日、に、
古田織部美術館
( 京都市は、 北区 ) の調査で、 分かった。
これまで、 千利休氏に代表される、
町衆の茶道に代わる、
武家茶道 ( 大名茶 ) を定めるよう、
織部氏に命じたのは、
豊臣秀吉氏、 と、 されてきた。
安土桃山時代の織豊文化の研究者で、
「 古田織部 」 の著者の、 諏訪勝則さんは、
「 秀忠氏が、 茶道を重要視し、
武家茶道の創設により、 文化的に、
諸大名を従えようとした、 と、 解釈できる。
茶道史の定説を変える可能性がある資料だ 」、
と、 評価している。
共同通信 9/15
http://this.kiji.is/149017172988052988
@ へうげものは、連載だとどこまでいったの?
@ 今、 夏の陣が始まったところ
もうすぐ、 板倉氏に、織部氏が捕まるはず
@ 貴人点前を考えたのも、
織部氏じゃなかったっけ?
@ たかが、 茶を喫するのに、
武家も、町衆も、 無い、 と思うのだが。
@ 無礼講を真に受けて
上司に、タメ口きいちゃうタイプ?
@ 利休氏の時代から比べても、
急速に、 茶の湯を通じて、
大名に対しての影響力が広がったのは、
織部氏が、 宗匠になってからなのと、
弟子に、 有力な武将が多かった、
そして、 なんと言っても、
武家茶を確立した、 小堀遠州氏と、
秀忠氏が、 直弟子、 という、
状況証拠から、
武家茶の湯の基礎を確立したのは、
古織だろうってことなんだ、 と思う 。
でも、 古織は、
台子点前使用を許可されてないんだよね。
当時、 武家で、 台子点前使用を許可されてんのは、 秀吉氏と、 織田一門の有楽斎氏くらい。
幽斎氏の子である細川忠興氏ですら、
許可されてない。
☆ 飽和状態の京都本のなかで、
群を抜いて人気なのは、 「 京都ぎらい 」
( 井上章一氏著 ; 朝日新書 ) だ。
人気があるけど、 実際に向き合うと、
面倒くさい京都について、 ずばり書き、
発売して、 1年が経っても、
ベストセラーを保っている。
革新的な本に、 追いつけ追い越せとばかり、
京都本に、 新たな動きが起っている。
『 もし、 京都が東京だったら、 マップ 』 ;
岸本千佳女史 / イースト新書Q ;
四条大宮と、 赤坂、に、 祇園と浅草、や、
吉田と本郷などの、
京都と東京の街の姿らの共通点を、
ある曜日の、 ある時間帯を、 サンプルにして、
解説している。
「 街歩きの達人 」 の、 三浦展氏との対談も、 掲載されている。
9月10日に発売されたばかりの、
「 もし京都が東京だったらマップ 」。
京都と東京の街を、 20ケ所ほどを比べて、
京都の街を、 東京の街に、 置き換えた、
マップを、 2015年の暮れに、
ネットで発信したら、 話題に。
例えば、 御所は、 東京だと、 皇居、
京大のある吉田は、 東大のある本郷、
というのは、 わかりやすい比較。
そのほかでは、
京都駅は、 品川で、
祇園は、 神楽坂、
二条城の近辺は、
清澄白河など、と、
独自の視点が光るマップのPV は、
20万を超え、
テレビ ( NEWS ZERO ) でも、 紹介され、
あっという間に、 書籍化が決まった。
著者の岸本千佳さんは、
京都の出で、 今も、 京都を拠点に活動している、
不動産プランナー。
東京でも、 不動産関係の仕事をしていた経験も、
マップに生かされている。
岸本さん ; 「 京都の人以外は、
京都を、 全部、 お寺や神社の多い、
東京で言ったら、 神楽坂のように、
思っている方が、多いんじゃないか、と、
思うんです。
でも、 実は、 京都も、多様で、
神社仏閣の多い地域もあれば、
カフェや、 現代的な文化が発達ししている
地域もあります。
そんな京都の多様性を可視化しようと、
地図を作ってみました。
それが、 思いがけず拡散して、
賛否両論、たくさんの反響をもらったんです。
主に、 京都以外の方は、
楽しんでくださったのですが、
昔から、 京都に住んでいる方からが、
こんなではない、 と、 言われたことも ( 笑 )。
地図だけでは、 説明不足で、
誤解を招くことも、 否めなかったので、
本にすることによって、
私が、 なぜ、 このように位置づけたか、
明らかにしたいと思いました。
実際、書き上げてみて、
これまでの私の、不動産業活動の集大成になった
気がしています 」。
岸本さんは、 不動産プランナーとして、
京都の各地を、 徒歩や自転車で、まわり、
それぞれの地区の状況を熟知している。
とくに、 リノベーション物件を扱っているため、 京都の歴史ある物件が、 現代仕様に変わり、
住む人も、変わっていく様を、
リアルに目撃しているから、
本に書かれた情報は、 激レアだ。
岸本さん ; 「 こだわったのは、 今
( 2016年 ) です。
5年後、10年後には、 変わってしまうかもしれないけれど、
今の街を記録したかった。
新しく、活性化している地域についても、
多く盛り込みましたし、
いま、気になるショップについても、
書いています。
そのため、 執筆にあたって、
いま一度、 京都と東京の街を歩き直しました。
東京も、 2泊3日くらいで行って。
万歩計をつけたら、 1日3万歩でした ( 笑 )。
京都は、 朝から昼まで、 原稿を書いて、
昼休憩に、 外に出て、
ズレを修正していくことを、 毎日続けました。
また、 東京で仕事をしていたこともある、
京都在住の編集の方をはじめ、
いろいろな方の意見も聞いたうえで、
ネットで発表したときと、
置き換える街も、 一部を変更しています 」。
例えば、 本の帯には、
“「 赤羽 」 が好きな人は、
「 四条大宮 」 に行こう!” 、 と、
書いてある。
四条大宮は、 はんなり、 雅 ミヤビ な京都とは、 ちょっとイメージの違う、
大衆的な飲食店の並ぶ、 ディープな場所。
大阪から、 京都に来た人は、
この場所を好むし
( 電車1本で、 行ける )、
撮影所のある、 太秦にも、
1本で行けるところから、
埼玉と東京を結ぶ、 池袋的
( 東映撮影所に、 西武線で行ける ) な役割を、
東京人としては、 感じるが、
さらなるディープさでいったら、
赤羽に置き換えるのは、 鋭い。
そんな感じで、 単なる印象ではなく、
土地の特徴を俯瞰して、
歴史なども、盛り込みながら、
書いてあるのが、 面白い。
岸本さん ; 「 観光本としても、
散歩本としても、 読めます。
東京の人への、 京都のガイド本としては、
もちろん、
京都の人が、 東京に行くときに、
役立つ、 とも言われていますし、
多様性のある読み方ができると思います。
今、 京町家に住むことが、 注目されていますが、
町家といっても、 いろいろな場所にありますし、地域の人と仲良くしたい人には、
町家は、 おすすめですが、
あまり、 交流したくない人は、
マンションのほうが、 おすすめです。
一口に、 京都と言っても、 人によって、
住みやすい場所は、様々なんですよ 」 。
『 京都の凸凹を歩くー
高低差に隠された、 古都の秘密 』
梅林秀行氏 / 青幻舎 ;
豊臣秀吉氏に由来の、 御土居をはじめ、
祇園、伏見城などを、
土地の凸凹ポイントで、 観ることで、
意外な、 京都の真実が浮かび上がらせる試み。
3D凸凹地形図と、
古地図・絵画などの、 歴史的資料らが、満載。
岸本さんが、 京都と東京を重ねて、
京都の今を見つめている一方で、
今の京都と昔の京都を行き来しながら、
巨大な歴史の影に埋もれた痕跡らの
存在を探している人がいる。
京都高低差崖会崖長の梅林秀行さんだ。
2015年の、 「 ブラタモリ 」 ( NHK ) が、 東京から、 日本の各地に、
守備範囲を広げた、 第1回めで、
京都の御土居、 という、
意外なテーマをとりあげたとき、
案内人として登場した、 梅林さん。
以後、 京都編には、 必ず、 登場し、
タモリさんと、 いい感じの間合いのトークで、
人気者になり、
9月23日には、
「 歴史秘話ヒストリア 」 にも、 登場する。
マニアックなタモリさんをも喜ばせる、
京都の穴場に関する、 深いデータベースの持ち主が、 5月に出した、 初の著書の、
「 京都の凸凹を歩くー
高低差に隠された古都の秘密 」 は、
大好評で、 すでに、 5刷。
聚楽第、伏見指月、淀城と、
大河ドラマの、 「 真田丸 」 好きにも、
興味深い場所から、
京都といえばの、 祇園、
そして、 梅林さんの真骨頂・御土居など、
多岐に渡る土地の今の姿を見つめ、
そこから、 知られざる真実を発見していく。
梅林さん ; 「 僕は、 もともと、
考古学人類学が専攻だったんですよ。
だから、 ここは、 こういう場所です、
という、 地点情報だけを消費していく、
いまの京都への案内が物足りない。
僕が大事にしたいのは、
では、 あなたは、 この場所に来て観て、
何を感じるのか? という、
問いかけから始まって、
より、 パーソナルな観察や共感の視点です。
例えば、 石碑巡りをするとして、
材質は、何か?
なぜ、 こういう形をしているのか?
裏には、 何が刻まれているのか? 、
など、 深く興味をもってほしいんです。
裏には、 たいてい、
作られた年月日が彫ってあって、
それが、 1895年だったら、
94年でも、 96年でもなく、
なぜ、 95年なんだ? 、 と、
そこまで観てあげるなら、
建立された、 さまざまな文脈が明らかとなって、
石碑も、喜ぶでしょう ( 笑 ) 」 。
研究者としての梅林さんの視点が、
何気ない、 街中の微妙な高低差に注がれる。
梅林さんは、 その土地への観察眼を生かして、 「 まいまい京都 」、 という、
まち歩きツアーのガイドをやっていて、
月に何度も、 御土居や伏見や嵐山に、
ツアー参加者を連れて行く。
何度も行った場所でも、 その都度、
事前に下見をして、 データベースを更新し、
観れば観るほど、 その土地への知識は、
深まっていくようだ。
梅林さん ; 「 じつは、 僕の、
「 まいまい京都 」 ツアーは、
『 ブラタモリ 』 に、 大きな影響を受けて、
立ち上がったものです。
『 ブラタモリ 』 を観ながら、
京都に、 タモリさんが来たら、
こんなところに行くだろうと、 妄想を、
tweet していたら、
『 まいまい 』 から、 声がかかった。
その後、 NHKの制作スタッフが、
京都編をやることになって、
京都に詳しい人は、いないか、と、
探して、 まいまい京都に、 問い合わせをしてきたことで、 僕に繋がりました 」 。
しかも、 番組プロデューサーが、
梅林さんの知り合いだった、 という、
奇跡のような再会があった。
梅林さん ; 「 考古学研究会に参加していた同士で、 でも、 20年以上を会ってなかったから、
最初は、 わからなくて。
土地が結びつけた、 カルマのようなものでしょうか ( 笑 ) 。 というか、
あの番組には、 自分のやりたいことを、
徹底的に追求していく人が集まってくるのだ、
と思います。
タモリさんを筆頭にして。
とにかく、 制作陣の志が高いですよ。
京都で撮影するときは、 いつも、
合い言葉のように、 『 かましたる! 』 、
と言っていますよ。
史実では・・・とか、
やいのやいの言う人がいるので・・ ( 笑 ) 」 。
本の中で、 梅林さんは、
こんなことを言っている。
「 『 平安京以来、 1200年を、 変わらず
やってきました 』 っていう姿ではない、 京都のリアリティーが提示されたように思える 」 。
それは、梅林さんが、ツアーや、
高低差崖学会、 という、 趣味でやっている研究と、
同じ視点だ。
本には、 さらに、
「 凸凹地形、 すなわち、 高低差とは、
単なる地形を超えて、
社会の高低差も意味するのかもしれません 」 、
とある。
その視点が、 たとえば、 豊臣秀吉氏や、
坂本龍馬氏などといった、 歴史上の著名人以外の人々の生活に向けられる。
梅林さん ; 「 例えば、 御土居は、
秀吉太閤がつくった経緯に関して、
従来の、 観光客や、 歴史マニアとは、
異なる切り口で、語っていきたい。
僕は、 そこで、 『 何が起きたか? 』 、 と、 同時に、 『 誰が住んでいたか? 』、 という、
テーマを明らかにしたいんです。
すると、 いわゆる、 “高低差の上”に住んでいる人ではない人たちの姿が見えてきて、
それこそが、 いま、京都に住んでいる、
ぼくの多くの知人、友人たち、そして、
僕自身も含まれるような、
密接なストーリーになる。
僕のモットーは、 『 まちが居場所に 』。
いまを生きる、 ぼくらにとって、
街を、 身近で、 共感できるものにしたいんです。
それが、 京都の凸凹を歩く、 という、
ミッション ≒ 任務、 使命 、 だ、 と、
思っています 」 。
そう語る梅林さんだからか、
本には、いまの京都を歩く梅林さんの写真が、
たくさん掲載されている。
梅林さん ; 「 タモリさんも、
僕の、 そういう気持ちをわかって、
面白がってくれている、 と思います。
もともと、 タモリさんが、
そういう人だと思うんですよ、
僕は、 そういうタモリさんの番組を観て育った、
テレビっこですから ( 笑 ) 」 。
「 街は生きている 」 、 という、 岸本さん、
「 タモリさんが言った、 『 土地の記憶 』 、
という言葉が、 印象に残っている 」 、 という、
梅林さん。
どちらも、 京都を有機的にとらえている。
「 僕や、 『もし京都が東京だったらマップ』の岸本さんなど、 新たなアプローチをかける
著者が出て来た、 というのは、
これまで、 京都を語る文脈に物足りなさを感じる人たちの思いが、 同時多発的に、
沸点を超えたんじゃないでしょうか 」 、 と、
梅林さん。
同じ「祇園」を、 梅林さんは、
華やかな祇園の意外な側面を紹介し、
岸本さんは、 「浅草」と捉えて、紹介。
その視点の違いも、 面白い。
京都が、 地元の人も、
京都にかなり詳しいと思っている人も、
とにかく、 京都を知りたい人も、
梅林秀行さんと岸本千佳さんの本を、
一度は、 手にとってみてほしい。
京都の生々しい鼓動が聞こえてくるはずだ。
( 木俣冬記者 ) 。
☆ 【 国学院大チームが発見 ;
約8300年前の暮らし解明に期待 】
縄文時代の居家以岩陰遺跡
( 長野原町の、 長野原 ) で、
昨年の8月に出土した人骨が、
約8300年前のもので、
埋葬されたものとしては、
国内で、 最古級であることが、
9月13日に、 分かった。
発掘調査している国学院大によると、
多量の人骨が出土しており、
さらに古いものが見つかる可能性がある。
国内最古級とされる人骨は、
頭骨や肋骨、に、 大腿骨、と、 頸骨などで、
灰の層から見つかった。
年代測定で、 縄文時代の早期の中葉の、
約8300年前のもの、 と推定された。
同大は、 今後は、
人骨を回収して、 DNA分析をし、
性別や年齢、に、 遺伝的な特徴などを調べる。
この時期に埋葬された人骨の出土は、
城ノ台南貝塚 ( 千葉県 )や、
栃原岩陰遺跡 ( 長野県 ) などの、
全国で、 数例しかなく、
県内では、 初めて、 という。
人骨は、 骨を保護する作用がある、
炭酸カルシウムを含む、 貝塚で見つかることが、
多く、
山間部での出土例は、 少ない。
居家以岩陰遺跡では、
アルカリ性
≒ 液体において、
負電荷な、 電子の、2個からなる、
電子対、 を、 捨てて、
正電荷な、 陽子、 を、 受け取る、 性質 、
の、 灰が、
骨の分解を防いだとみられる。
埋葬人骨は、 読み取れる情報らが多く、
山間部での、 縄文人らの生活実態らへの解明が、
期待される。
同遺跡は、 白砂川支流の深沢の、
右岸の崖にあり、
土器や、 石器、に、 動物の骨や、
植物の種子も、 出土した。
13日までに、 約8300年前のもの、 と、みられる、 埋葬人骨が、 新たに、 3体が、 見つかった。
2年前に始まった、 発掘調査の指揮をとる、
谷口康浩教授 ( 56 ) は、
「 縄文時代は、 籠を編んだり、
クリを栽培したりと、
現代に通じる、 多くの技術らが確立した。
この遺跡を調べることは、
日本人の起源を探ることに等しく、
考古学、人類学の双方の視点らから、
当時の生活実態らを解明したい 」 、 と、
話している。
http://www.jomo-news.co.jp/ns/6014737814987604/news.html
☆ 武将で、 茶人の、 古田織部 氏
( 1615年に、 没 ) の親族の家譜に、
徳川幕府の第2代の征夷大将軍の、
徳川秀忠氏が、 織部氏に、
格式を重んじる、 武家流の茶法を定めるよう、
命じたとする記述があることが、
9月15日、に、
古田織部美術館
( 京都市は、 北区 ) の調査で、 分かった。
これまで、 千利休氏に代表される、
町衆の茶道に代わる、
武家茶道 ( 大名茶 ) を定めるよう、
織部氏に命じたのは、
豊臣秀吉氏、 と、 されてきた。
安土桃山時代の織豊文化の研究者で、
「 古田織部 」 の著者の、 諏訪勝則さんは、
「 秀忠氏が、 茶道を重要視し、
武家茶道の創設により、 文化的に、
諸大名を従えようとした、 と、 解釈できる。
茶道史の定説を変える可能性がある資料だ 」、
と、 評価している。
共同通信 9/15
http://this.kiji.is/149017172988052988
@ へうげものは、連載だとどこまでいったの?
@ 今、 夏の陣が始まったところ
もうすぐ、 板倉氏に、織部氏が捕まるはず
@ 貴人点前を考えたのも、
織部氏じゃなかったっけ?
@ たかが、 茶を喫するのに、
武家も、町衆も、 無い、 と思うのだが。
@ 無礼講を真に受けて
上司に、タメ口きいちゃうタイプ?
@ 利休氏の時代から比べても、
急速に、 茶の湯を通じて、
大名に対しての影響力が広がったのは、
織部氏が、 宗匠になってからなのと、
弟子に、 有力な武将が多かった、
そして、 なんと言っても、
武家茶を確立した、 小堀遠州氏と、
秀忠氏が、 直弟子、 という、
状況証拠から、
武家茶の湯の基礎を確立したのは、
古織だろうってことなんだ、 と思う 。
でも、 古織は、
台子点前使用を許可されてないんだよね。
当時、 武家で、 台子点前使用を許可されてんのは、 秀吉氏と、 織田一門の有楽斎氏くらい。
幽斎氏の子である細川忠興氏ですら、
許可されてない。