ネット記事+論弁群 ;  

  ☆      飽和状態の京都本のなかで、
群を抜いて人気なのは、  「  京都ぎらい  」  
(   井上章一氏著 ;   朝日新書  )   だ。

   人気があるけど、    実際に向き合うと、
面倒くさい京都について、 ずばり書き、
  発売して、 1年が経っても、
ベストセラーを保っている。

   革新的な本に、 追いつけ追い越せとばかり、
 京都本に、 新たな動きが起っている。

 『  もし、 京都が東京だったら、 マップ  』  ;      
 岸本千佳女史    /    イースト新書Q    ;      

    四条大宮と、  赤坂、に、   祇園と浅草、や、
 吉田と本郷などの、
  京都と東京の街の姿らの共通点を、
 ある曜日の、 ある時間帯を、 サンプルにして、
解説している。

 「  街歩きの達人  」  の、   三浦展氏との対談も、 掲載されている。

9月10日に発売されたばかりの、
 「  もし京都が東京だったらマップ  」。
   
  京都と東京の街を、  20ケ所ほどを比べて、
  京都の街を、 東京の街に、 置き換えた、  
マップを、 2015年の暮れに、
ネットで発信したら、 話題に。

   例えば、    御所は、   東京だと、 皇居、
   京大のある吉田は、  東大のある本郷、
というのは、 わかりやすい比較。

    そのほかでは、  
  京都駅は、 品川で、
  祇園は、 神楽坂、
   二条城の近辺は、
  清澄白河など、と、
  独自の視点が光るマップのPV は、
  20万を超え、
  テレビ   (   NEWS   ZERO  )  でも、 紹介され、
 あっという間に、 書籍化が決まった。

    著者の岸本千佳さんは、  
  京都の出で、  今も、 京都を拠点に活動している、
不動産プランナー。

   東京でも、 不動産関係の仕事をしていた経験も、
マップに生かされている。

  岸本さん ;    「   京都の人以外は、
 京都を、 全部、 お寺や神社の多い、
 東京で言ったら、  神楽坂のように、
思っている方が、多いんじゃないか、と、
思うんです。
  でも、  実は、   京都も、多様で、
  神社仏閣の多い地域もあれば、
  カフェや、 現代的な文化が発達ししている
地域もあります。
   そんな京都の多様性を可視化しようと、
地図を作ってみました。

   それが、  思いがけず拡散して、
  賛否両論、たくさんの反響をもらったんです。

   主に、  京都以外の方は、
楽しんでくださったのですが、
 昔から、 京都に住んでいる方からが、
 こんなではない、 と、 言われたことも ( 笑 )。

   地図だけでは、    説明不足で、
  誤解を招くことも、 否めなかったので、
  本にすることによって、
 私が、 なぜ、 このように位置づけたか、
明らかにしたいと思いました。
  実際、書き上げてみて、
 これまでの私の、不動産業活動の集大成になった
気がしています   」。

     岸本さんは、   不動産プランナーとして、  
 京都の各地を、  徒歩や自転車で、まわり、
  それぞれの地区の状況を熟知している。

  とくに、  リノベーション物件を扱っているため、   京都の歴史ある物件が、 現代仕様に変わり、
住む人も、変わっていく様を、
リアルに目撃しているから、
 本に書かれた情報は、 激レアだ。

   岸本さん ;      「     こだわったのは、  今  
 (  2016年   )  です。
   5年後、10年後には、 変わってしまうかもしれないけれど、
  今の街を記録したかった。

  新しく、活性化している地域についても、
  多く盛り込みましたし、
  いま、気になるショップについても、
書いています。
  そのため、 執筆にあたって、
  いま一度、   京都と東京の街を歩き直しました。

   東京も、 2泊3日くらいで行って。
  万歩計をつけたら、 1日3万歩でした ( 笑 )。

    京都は、  朝から昼まで、  原稿を書いて、
  昼休憩に、 外に出て、
 ズレを修正していくことを、 毎日続けました。

   また、  東京で仕事をしていたこともある、
 京都在住の編集の方をはじめ、
 いろいろな方の意見も聞いたうえで、
 ネットで発表したときと、
 置き換える街も、 一部を変更しています   」。

    例えば、    本の帯には、  
 “「  赤羽  」  が好きな人は、
 「  四条大宮  」   に行こう!”   、 と、
書いてある。

    四条大宮は、  はんなり、 雅  ミヤビ  な京都とは、   ちょっとイメージの違う、
 大衆的な飲食店の並ぶ、 ディープな場所。

   大阪から、  京都に来た人は、
 この場所を好むし
 (   電車1本で、 行ける  )、    

   撮影所のある、 太秦にも、
  1本で行けるところから、
  埼玉と東京を結ぶ、  池袋的
 (   東映撮影所に、 西武線で行ける  )  な役割を、
東京人としては、 感じるが、
  さらなるディープさでいったら、
  赤羽に置き換えるのは、 鋭い。

   そんな感じで、  単なる印象ではなく、
  土地の特徴を俯瞰して、
 歴史なども、盛り込みながら、
 書いてあるのが、  面白い。

   岸本さん ;     「    観光本としても、
散歩本としても、 読めます。
  東京の人への、 京都のガイド本としては、
もちろん、
  京都の人が、 東京に行くときに、
役立つ、 とも言われていますし、
  多様性のある読み方ができると思います。

   今、  京町家に住むことが、 注目されていますが、
  町家といっても、 いろいろな場所にありますし、地域の人と仲良くしたい人には、
 町家は、 おすすめですが、
 あまり、 交流したくない人は、
 マンションのほうが、 おすすめです。

   一口に、 京都と言っても、  人によって、
住みやすい場所は、様々なんですよ   」 。


『   京都の凸凹を歩くー
  高低差に隠された、 古都の秘密  』  
梅林秀行氏  /   青幻舎   ;      

   豊臣秀吉氏に由来の、 御土居をはじめ、
  祇園、伏見城などを、
土地の凸凹ポイントで、 観ることで、
 意外な、 京都の真実が浮かび上がらせる試み。

   3D凸凹地形図と、
古地図・絵画などの、 歴史的資料らが、満載。

   岸本さんが、  京都と東京を重ねて、
京都の今を見つめている一方で、
  今の京都と昔の京都を行き来しながら、
  巨大な歴史の影に埋もれた痕跡らの
存在を探している人がいる。

  京都高低差崖会崖長の梅林秀行さんだ。

  2015年の、  「  ブラタモリ  」 (  NHK  ) が、    東京から、  日本の各地に、
守備範囲を広げた、  第1回めで、
 京都の御土居、  という、  
 意外なテーマをとりあげたとき、
  案内人として登場した、 梅林さん。

 以後、   京都編には、  必ず、 登場し、
   タモリさんと、 いい感じの間合いのトークで、
人気者になり、
  9月23日には、
 「   歴史秘話ヒストリア  」  にも、 登場する。

   マニアックなタモリさんをも喜ばせる、
 京都の穴場に関する、 深いデータベースの持ち主が、 5月に出した、  初の著書の、  
「   京都の凸凹を歩くー
高低差に隠された古都の秘密  」  は、
大好評で、  すでに、 5刷。

    聚楽第、伏見指月、淀城と、
  大河ドラマの、   「  真田丸  」  好きにも、
興味深い場所から、
  京都といえばの、  祇園、
 そして、   梅林さんの真骨頂・御土居など、
 多岐に渡る土地の今の姿を見つめ、
そこから、 知られざる真実を発見していく。

   梅林さん ;    「   僕は、  もともと、
考古学人類学が専攻だったんですよ。
  だから、   ここは、  こういう場所です、
という、   地点情報だけを消費していく、  
 いまの京都への案内が物足りない。
  僕が大事にしたいのは、
 では、 あなたは、 この場所に来て観て、
何を感じるのか?   という、  
問いかけから始まって、
 より、  パーソナルな観察や共感の視点です。

   例えば、    石碑巡りをするとして、
 材質は、何か? 
  なぜ、 こういう形をしているのか? 
  裏には、 何が刻まれているのか?  、  
など、   深く興味をもってほしいんです。

   裏には、  たいてい、  
作られた年月日が彫ってあって、
  それが、   1895年だったら、
 94年でも、 96年でもなく、
  なぜ、  95年なんだ? 、  と、  
 そこまで観てあげるなら、
  建立された、  さまざまな文脈が明らかとなって、
石碑も、喜ぶでしょう  (  笑  )  」 。

   研究者としての梅林さんの視点が、
  何気ない、 街中の微妙な高低差に注がれる。

    梅林さんは、   その土地への観察眼を生かして、   「  まいまい京都  」、  という、
 まち歩きツアーのガイドをやっていて、
   月に何度も、  御土居や伏見や嵐山に、
 ツアー参加者を連れて行く。

   何度も行った場所でも、  その都度、
 事前に下見をして、 データベースを更新し、
 観れば観るほど、 その土地への知識は、
深まっていくようだ。

   梅林さん ;     「    じつは、   僕の、
 「   まいまい京都  」  ツアーは、  
  『  ブラタモリ  』 に、  大きな影響を受けて、
立ち上がったものです。
 『  ブラタモリ  』  を観ながら、
  京都に、  タモリさんが来たら、
 こんなところに行くだろうと、  妄想を、
tweet  していたら、
 『  まいまい  』  から、 声がかかった。

   その後、    NHKの制作スタッフが、
 京都編をやることになって、
 京都に詳しい人は、いないか、と、
探して、   まいまい京都に、 問い合わせをしてきたことで、 僕に繋がりました   」 。

しかも、    番組プロデューサーが、
 梅林さんの知り合いだった、   という、  
奇跡のような再会があった。

梅林さん  ;     「    考古学研究会に参加していた同士で、  でも、  20年以上を会ってなかったから、
  最初は、 わからなくて。
  土地が結びつけた、 カルマのようなものでしょうか  (  笑  ) 。       というか、
  あの番組には、  自分のやりたいことを、
徹底的に追求していく人が集まってくるのだ、
と思います。
  タモリさんを筆頭にして。
  とにかく、 制作陣の志が高いですよ。
  京都で撮影するときは、  いつも、  
合い言葉のように、   『  かましたる!  』   、
と言っていますよ。
   史実では・・・とか、  
やいのやいの言う人がいるので・・ (  笑  ) 」 。

本の中で、  梅林さんは、  
こんなことを言っている。
 「  『  平安京以来、   1200年を、 変わらず
やってきました  』   っていう姿ではない、  京都のリアリティーが提示されたように思える    」 。

それは、梅林さんが、ツアーや、
高低差崖学会、 という、 趣味でやっている研究と、
同じ視点だ。
   本には、   さらに、  
 「   凸凹地形、  すなわち、  高低差とは、
 単なる地形を超えて、
 社会の高低差も意味するのかもしれません  」 、
とある。
  その視点が、   たとえば、   豊臣秀吉氏や、
坂本龍馬氏などといった、  歴史上の著名人以外の人々の生活に向けられる。

梅林さん ;       「     例えば、   御土居は、
 秀吉太閤がつくった経緯に関して、
 従来の、 観光客や、 歴史マニアとは、
異なる切り口で、語っていきたい。
  僕は、  そこで、  『  何が起きたか?  』   、 と、 同時に、   『   誰が住んでいたか?  』、   という、
テーマを明らかにしたいんです。
  すると、    いわゆる、 “高低差の上”に住んでいる人ではない人たちの姿が見えてきて、
 それこそが、 いま、京都に住んでいる、
ぼくの多くの知人、友人たち、そして、
僕自身も含まれるような、
密接なストーリーになる。

    僕のモットーは、   『   まちが居場所に   』。
  いまを生きる、 ぼくらにとって、
 街を、 身近で、 共感できるものにしたいんです。
 
    それが、  京都の凸凹を歩く、   という、
ミッション     ≒      任務、    使命    、 だ、 と、
思っています    」  。

そう語る梅林さんだからか、
 本には、いまの京都を歩く梅林さんの写真が、
たくさん掲載されている。

梅林さん  ;     「    タモリさんも、
 僕の、 そういう気持ちをわかって、
面白がってくれている、 と思います。
  もともと、  タモリさんが、
そういう人だと思うんですよ、
 僕は、  そういうタモリさんの番組を観て育った、
テレビっこですから  (  笑  )  」  。


 「   街は生きている  」   、  という、  岸本さん、

 「  タモリさんが言った、   『  土地の記憶  』 、
という言葉が、 印象に残っている   」 、  という、  
梅林さん。
  どちらも、 京都を有機的にとらえている。

 「    僕や、  『もし京都が東京だったらマップ』の岸本さんなど、  新たなアプローチをかける
著者が出て来た、 というのは、
 これまで、  京都を語る文脈に物足りなさを感じる人たちの思いが、  同時多発的に、
沸点を超えたんじゃないでしょうか   」   、 と、
梅林さん。

  同じ「祇園」を、   梅林さんは、
 華やかな祇園の意外な側面を紹介し、
  岸本さんは、  「浅草」と捉えて、紹介。
  その視点の違いも、 面白い。

   京都が、 地元の人も、
 京都にかなり詳しいと思っている人も、
とにかく、 京都を知りたい人も、
  梅林秀行さんと岸本千佳さんの本を、
一度は、 手にとってみてほしい。

   京都の生々しい鼓動が聞こえてくるはずだ。
 (   木俣冬記者  ) 。

 
   ☆     【   国学院大チームが発見  ;    
 約8300年前の暮らし解明に期待  】

 縄文時代の居家以岩陰遺跡
 (    長野原町の、 長野原   )  で、
  昨年の8月に出土した人骨が、
  約8300年前のもので、
  埋葬されたものとしては、
 国内で、 最古級であることが、
  9月13日に、 分かった。

   発掘調査している国学院大によると、
  多量の人骨が出土しており、
 さらに古いものが見つかる可能性がある。

 国内最古級とされる人骨は、
  頭骨や肋骨、に、 大腿骨、と、 頸骨などで、
  灰の層から見つかった。

    年代測定で、  縄文時代の早期の中葉の、
 約8300年前のもの、 と推定された。

   同大は、  今後は、
 人骨を回収して、  DNA分析をし、
性別や年齢、に、 遺伝的な特徴などを調べる。

 この時期に埋葬された人骨の出土は、
 城ノ台南貝塚  (  千葉県  )や、
 栃原岩陰遺跡  (  長野県  )   などの、
 全国で、 数例しかなく、
 県内では、 初めて、 という。

 人骨は、  骨を保護する作用がある、
 炭酸カルシウムを含む、 貝塚で見つかることが、
多く、
   山間部での出土例は、 少ない。

    居家以岩陰遺跡では、
  アルカリ性      
    ≒        液体において、  
  負電荷な、 電子の、2個からなる、
 電子対、 を、 捨てて、  
  正電荷な、 陽子、 を、 受け取る、  性質     、
の、  灰が、
  骨の分解を防いだとみられる。

   埋葬人骨は、  読み取れる情報らが多く、
 山間部での、 縄文人らの生活実態らへの解明が、
期待される。

 同遺跡は、  白砂川支流の深沢の、
右岸の崖にあり、
 土器や、 石器、に、 動物の骨や、
植物の種子も、 出土した。

   13日までに、  約8300年前のもの、 と、みられる、  埋葬人骨が、 新たに、 3体が、 見つかった。

 2年前に始まった、 発掘調査の指揮をとる、
谷口康浩教授 ( 56  ) は、
 「   縄文時代は、  籠を編んだり、
 クリを栽培したりと、
現代に通じる、 多くの技術らが確立した。

   この遺跡を調べることは、
 日本人の起源を探ることに等しく、
 考古学、人類学の双方の視点らから、
当時の生活実態らを解明したい   」   、 と、
話している。

http://www.jomo-news.co.jp/ns/6014737814987604/news.html


   ☆ 武将で、 茶人の、  古田織部 氏
 (   1615年に、 没  )  の親族の家譜に、
  徳川幕府の第2代の征夷大将軍の、
徳川秀忠氏が、  織部氏に、
 格式を重んじる、 武家流の茶法を定めるよう、
命じたとする記述があることが、
 9月15日、に、
 古田織部美術館  
(    京都市は、  北区  )  の調査で、 分かった。

 これまで、  千利休氏に代表される、
町衆の茶道に代わる、
 武家茶道  (  大名茶  )  を定めるよう、
 織部氏に命じたのは、
  豊臣秀吉氏、 と、 されてきた。

 安土桃山時代の織豊文化の研究者で、
 「  古田織部  」 の著者の、 諏訪勝則さんは、
 「   秀忠氏が、 茶道を重要視し、
 武家茶道の創設により、  文化的に、
諸大名を従えようとした、 と、 解釈できる。
 茶道史の定説を変える可能性がある資料だ  」、  
と、 評価している。

共同通信 9/15
http://this.kiji.is/149017172988052988

 @      へうげものは、連載だとどこまでいったの?

  @    今、  夏の陣が始まったところ
もうすぐ、 板倉氏に、織部氏が捕まるはず

 @    貴人点前を考えたのも、
織部氏じゃなかったっけ?

 @    たかが、 茶を喫するのに、
武家も、町衆も、 無い、 と思うのだが。

 @     無礼講を真に受けて
上司に、タメ口きいちゃうタイプ?

  @       利休氏の時代から比べても、
 急速に、 茶の湯を通じて、
 大名に対しての影響力が広がったのは、
 織部氏が、 宗匠になってからなのと、
 弟子に、 有力な武将が多かった、
そして、  なんと言っても、
武家茶を確立した、  小堀遠州氏と、
秀忠氏が、 直弟子、  という、
状況証拠から、
 武家茶の湯の基礎を確立したのは、
 古織だろうってことなんだ、 と思う 。

   でも、  古織は、
  台子点前使用を許可されてないんだよね。

   当時、  武家で、  台子点前使用を許可されてんのは、  秀吉氏と、 織田一門の有楽斎氏くらい。

  幽斎氏の子である細川忠興氏ですら、
許可されてない。