ネット記事+論弁群;
@ 保険にも、入れて貰えない状態で、
営業していた、 韓国の企業への、
東京地裁の判事らの判決は、 】
甘いというか、
「 どんな外道にも、しかるべき法の裁きを 」
っていう、 日本らしさの表れなんじゃないかな
強引な差し押さえを禁止しただけで、
金を払わないと、 何もできないのは、
よそと同じなわけだし
@ 寄港できるかどうかは、 別問題かと。
差し押さえが禁止ってだけだし。
寄港するのに、 先払いってことは、 禁止されていないわけだしね。
@ 入出港への拒否を禁止でなく、
寄港した船を差し押さえちゃ、
駄目ってだけだわな
母国が近いんだから、
水や食料云々は、 寄港せずとも、
無問題でしょうし
@ 日本の決裁が速かっただけで、
多分、 この程度の決定は、
大方の国で、 行われることになるよ
港湾地区で、
差し押さえの修羅場が演じられる方が、 迷惑
@ 要は、 日本でのトラブルを嫌ったのか
@ 差し押さえを止めただけで、
積み荷の荷降ろしや、
燃料の補給やらには、
金の支払い義務は生じるのだから、
それが出来ないなら、
港湾施設の利用は、 やはり出来ない事に、
変わりないわな。
@ そりゃ、荷下し代と、
燃料代を実費で出すなら、 当然だろ、
運んでる荷物は、 他人のだし。
@ 朝鮮人ら一般に、 物 ( サー ビス) を売る時は、 現金で、先払いって、 決まってるだろ
☆ 慶尚南道は、 咸安の街中にある、
伽耶時代の建物跡の発掘地。
「 529年の3月に、
阿羅国 ( 阿羅伽耶 ) が、
百済・新羅・倭の使節を招いて、開催した 」、
と、 日本書紀に記録されている、
高堂の会議場と推定されている。
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2016/09/12/2016091201747_1.jpg
@ だからさ、 そこは、
倭人たちのテリトリーだから
@ 共同研究で否定されたのは、
「 任那日本府 」 、 という名前だけで、
その実態ではない 。
「 鎌倉幕府 」 、 というのが、
当時から使われていた訳ではない
@ コリアン学者らが、 根拠が無い、
というなら、 韓国が、 最近持ち出してる、
「 伽耶 」、 というフレームも、
そうとうに、 根拠とするべき、
証拠固めが、 脆弱だろ
なんだよ、 後期伽耶連盟って、
勝手に言ってるだけだろ
任那日本府は、 倭宰だから
@ 漢字を伝来した、 と、 いわれる、
王仁 ワニ 殿も、 その記述は、
日本の、 「 続 ショク 日本紀 」 にしか、
ないんですが、
しかも、 支那の皇帝の子孫、 と、
明記されてますし
@ 中国流の言い方をしたら、
任那 ミマナ 、 は、
完全に。、 日本の領土だな。
中国なら、もう、 海警の船が、
連日に、 押し寄せているレベルだな。
@ 任那日本府の証拠となっては、
不都合なので、
韓半島で出土した、
前方後円墳は、 壊してなかったことにしたニダ
@ 朝鮮半島の古代史が封印れていたのは、
朝鮮半島の民族員らが、 そっきりいれかわり、
さらに、やたらと、 過去の文書を焼き尽くしちゃったからです。
おかげで、 現存する朝鮮半島最古の文献は、
12世紀のものです。
朝鮮半島の人達に過去を振り返る力はありません。
中国の方に分析をお願いした方がいいと思います。
@ コリアンらは、
ナゼ、 そんなに、ムキになるんだろうか
当時の朝鮮半島は、 今の自分等の民族とは、
一切関係ないのに
@ 最古の文献が、 12世紀とだけ聞くと、
どんな未開な土地なのかと思いますね。
@ 植民地じゃなくて、普通に、
縄文人達の先住地だったんだろ。
九州や対馬まで、 縄文人がいて、
半島にゼロだったと考える方が、 異常
@ 韓国の学者って、日頃なにやってんだろ
@ 日本の学説らを漁ってる
天皇家が、 半島から来たとか、
日本の○○は、 半島由来だとかってのは、
全部が、 元ネタは、 日本の学説。
というか、 日本の学者がたてた仮説
古代のことは、 ほとんど判ってないから、
仮説以外ないんだが、
それらの日本の仮説らの中から 、
韓国人らが、 ホルホルできそうな奴を
つまみ食いして、 真相は、 こうだったニダ、って喚いて観せる、 簡単なお仕事です
@ 任那日本府って、
後から付けた名前だろ、
鎌倉幕府だって、 当時は、
そんな名前はなかった。
@ 勘違いしてるようだけど
日本が欲しかったのは、
大陸への橋頭堡であって
朝鮮半島自体に、 征服に値する
価値を見いだしていた訳ではないんだ
必死に、 理由をひりだしているところで、
本当に悪い、 と思う
@ 秀吉どんが進出して、
陶工ぐらいしか持ち帰りたいものがなかったというw
半島の庶民は、 両班を追い出した
日本軍を歓待した、 というw
あまりに、かわいそうなので、
南蛮渡来の唐辛子を置いてきてあげた、 というw
@ その当時、既に、 中国には、
トウガラシが伝来していたけど、なぜか、
大陸の盲腸には伝わっていなかったんだよね。
どんだけ、 文化がなかったんだか。
@ 中国にも、 証明する文献が存在するが、
コリアンらは、 無視???
@ 石碑にも書かれてるやないか
中国の歴史書にも書かれてるやないか
@ ホルホルする道具にする対象のが、
歴史だと思ってる時点で、 韓国人らに、
学問は、 無理。
@ 日本書紀なんかより、
遙か昔に書かれた、 後漢書や、
三国志に、 半島の最南部あたりから、
倭国領って書いてあるじゃん。
で、その当時は、 百済も新羅も、
存在してないから、
国としては、 何も書かれてないじゃん。
@ 日本書紀の真実性は、
中国の史記で補完できる。
朝鮮半島の古代史は、 日本の古代史に含まれる。
高句麗によって、 国土の北半分を奪われた、
百済に、 大伴の金村氏は、
任那の4県を割譲した。
この意味するところは、
500年代に入り、
倭人の開拓によって、 十分に発展して来た、
半島の勢力が、 国家化し
高句麗などの、 中国的略奪文化勢力の隆盛で、
大和朝廷は、 半島統治がめんどくさくなって、
撤退を始めた。
と言う事である。
任那日本府という名称や、
地域で、 統治していた必然性は、 無い。
@ 知らないのは、 朝鮮人らだけ
古代の日本が、 朝鮮半島を支配していたことは、 世界中の教科書に載ってるから
@ 百済の滅亡までは、
大和朝廷は、 半島に軍事介入を繰り返してた
形跡が、多く現存してるわけで、
任那も、 そのような、 大和朝廷の、
半島への介入と関係しているのであろう。
@ 違うよ。
元々、 半島の南部には、 倭人達が住んでたんだよ。
@ 日本書紀にも、 好太王碑にも、
日本が、 古代に、
半島に軍事介入してた記録があるから、
元々は、 倭人らが住んでたかどうかに関わらず、軍事介入はあったのだろう。
元から、 倭人らが住んでたなら、
大和朝廷が、 それを保護するために介入した、
という線もあるし。
@ 軍事介入のために、 作って、
拠点ではなくて、 もともと、
倭人らが住んでいて、
役所機能は あったんだろうな。
半島の緊張関係の中で、
その役所機能を格上げした。
日本中に、 国府を置いた時期に、 機能を整備した。
欽明天皇の時代に ( 540年頃 )、
大伴金村どんが、 任那の4県を、
無断で、 百済に割譲したとして、
責任を取らされている。
その割譲した地域というのは、
前方後円墳がある土地だ。
@ 中国の史書も日本の史書も、
否定するくせに、
その中のごく一部は、 事実だって主張する。
王仁博士の件も、 そうだし。
韓国が、 「 韓国が、 日本に教えてやった 」 、
と主張する根拠は、否定してるはずの日本書紀
なんだから、 笑えるわ。
@ マジレスすると、
任那は、 奴 ( 那 ) 国のこと、
出土物とも、 見事にガッチ
後に、 大和が、 列島の盟主になると、
畿内系の出土物に入れ替わる。
列島の盟主が治める事ができる、
半島にある、 倭の飛び地みたいなもんだよなあ
@ 神功皇后による、 三韓征伐とは、
朝鮮半島の南部で勃興していた、
新興国らが、 倭人達の地域を 脅かしたから、
守りに行ったってことだろうな。
攻め上がる様子はなく、
「 こっちに手出しをするなら、攻め込むぞ 」 、
というかんじの記述らが、多い。
@ コリアンらの、 この手の記事は、
好太王碑文や中国の史書らには、
絶対に、 触れないんだよな
@ 任那日本府 」は、
古代日本の大和政権が、
西暦の、 720年に編さんした、
『日本書紀』にのみ登場する用語だ。
しかし、 この記録には、
『三国史記』や『三国遺事』にはない、
伽耶史の復元のための <≒
三国史記、三国遺事って、
14世紀にでっち上げられた偽書だろ。
@ 半万年、を、 支那の奴隷国家だった。
19世紀の末に、 日本によって解放されたが、
劣等感から、 逆に、 これを恨み、
現在に至っている。 ( 朝鮮略史 )
@ 隋書や宋書、に、 魏志の倭人の項等々、
古代シナの各書物は、
日本に、 沢山残っているが、
どれもこれも、 日本の項目
( いわゆる、 倭・大和朝廷 ) には、
当たり前の様に入っている、 一文がある
「 海は、 倭人達の領域 」、
「 半島の中部~南部は、 倭人達の支配地域 」、
そして、 半島への支配 ( 監視 ) の為に
置かれたのが、 「 任那 」 。
それ等の存在の証明を、 更に補強するかの様に、
広開土太王の碑 イシブミ 、 があり、
近年の分子生物学では、
日本→ 半島の南部に、 和人らが移民し、
各小国群を築いた、 という結果も出ている。
古代シナ王朝達の各書物 &
分子生物学( 人骨・稲等からのDNA解析 ) の
コンボがある以上、
トンスラーらのほざいてる歴史学 ( 笑 )は、
ただの妄言・妄想
@ この時代のお前等の先祖は、 確か、
シベリアとか、 モンゴルの奥地に棲息しとった
@ 歴史「科学」と言いながら、
生きている慰安婦らの実態への調査も、 現地での聞き取り調査もしない、 詐欺翼の歴史学者。
本当に、 アホです。
朝鮮人を調査するには、
嘘発見器を対象につけて、
調査しなければ、 確実性はない。
なぜ、慰安婦ら「だけ」の証言しかないのか?
なぜ、兄弟や隣人の証言がないのか?
慰安婦らの証言が、 嘘だからである。
一方で、 拉致、強制連行は、
朝鮮民族の伝統である。
朝鮮王や両班らは、 奴婢の所有者であり、
売買の主体である。
売買された奴婢は、 売られた先に、
「強制連行」される。
朝鮮王は、 自分の所有する奴婢を、
支那の皇帝に献上するために、
「強制連行」して、引き渡す。
大勢の奴婢らの中から、
優秀な奴婢を選抜=拉致して、引き渡す。
両班らも、 私有する奴婢を拉致して、
支那の奴隷商人に強制連行して、引き渡す。
拉致、強制連行は、
朝鮮民族、支那人の伝統行為である。
@ 新羅の初代王も、 日本人だね。
@ 任那日本府は 、
『 任那に、 日本府があった 』 、 ではなくて、 任那が、 倭 ( 日本 ) の領地だった、
と言う事。
いわゆる、 連邦を目指した日本は、
百済や新羅領に、
駐留するわけにもいかないので、
両国の紛争地を、 仲裁がてら統治して、
講和させた。
まあ、新羅が、 裏切ったわけだが。
@ 宋書 倭国伝
詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王
和訳
詔を以て、 武 ( という、 日本側の王 ) を、
使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した。
意味
日本が、 宋へ朝貢をし、
宋が、 倭王 ( 武 ) へ、
朝鮮半島への支配を認めた。
隋書
卷八十一 列傳 第四十六 東夷 俀國
新羅 百濟皆以俀爲大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
和訳
新羅・百濟は、みな、 俀を以て、
大国にして、 珍物多しとなし。
並びに、
これを敬い仰ぎて、 恒に、 使いを通わせ往来す
@ 随分昔から、 万葉集は、
韓国語で書かれていた、と 、 在日は、 主張。
日本の学者が、 鼻であしらうと、
ファビョーンで、 五月蠅い、五月蠅い。
万葉集は、 759年に、 完成、
表音文字の、 諺文ができたのが、 1446年。
それ以前の朝鮮半島で、
どんな言葉らが使われていたのかは、
研究のしようも無い。
つまり、 文献は、 全て、
中国語で記載され、
朝鮮語の実態、まして、 発音等は、
一切が、 不明だ。
民族のアイデンティティーを、
自ら否定してきた民族、今更何を?
@ 任那についての、
現存する最古の記述は、 日本書紀じゃない。
それ以前の中国の書物に、
中には、 「 新羅人から聞いた 」 として、
数件が、存在する。
三国史記の列記にも、 一箇所に、 登場する。
元々は、 この地域の諸侯に、
服従の証として、 名乗らせたもので、
朝鮮総督府のようなもんじゃない
@ 保険にも、入れて貰えない状態で、
営業していた、 韓国の企業への、
東京地裁の判事らの判決は、 】
甘いというか、
「 どんな外道にも、しかるべき法の裁きを 」
っていう、 日本らしさの表れなんじゃないかな
強引な差し押さえを禁止しただけで、
金を払わないと、 何もできないのは、
よそと同じなわけだし
@ 寄港できるかどうかは、 別問題かと。
差し押さえが禁止ってだけだし。
寄港するのに、 先払いってことは、 禁止されていないわけだしね。
@ 入出港への拒否を禁止でなく、
寄港した船を差し押さえちゃ、
駄目ってだけだわな
母国が近いんだから、
水や食料云々は、 寄港せずとも、
無問題でしょうし
@ 日本の決裁が速かっただけで、
多分、 この程度の決定は、
大方の国で、 行われることになるよ
港湾地区で、
差し押さえの修羅場が演じられる方が、 迷惑
@ 要は、 日本でのトラブルを嫌ったのか
@ 差し押さえを止めただけで、
積み荷の荷降ろしや、
燃料の補給やらには、
金の支払い義務は生じるのだから、
それが出来ないなら、
港湾施設の利用は、 やはり出来ない事に、
変わりないわな。
@ そりゃ、荷下し代と、
燃料代を実費で出すなら、 当然だろ、
運んでる荷物は、 他人のだし。
@ 朝鮮人ら一般に、 物 ( サー ビス) を売る時は、 現金で、先払いって、 決まってるだろ
☆ 慶尚南道は、 咸安の街中にある、
伽耶時代の建物跡の発掘地。
「 529年の3月に、
阿羅国 ( 阿羅伽耶 ) が、
百済・新羅・倭の使節を招いて、開催した 」、
と、 日本書紀に記録されている、
高堂の会議場と推定されている。
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2016/09/12/2016091201747_1.jpg
@ だからさ、 そこは、
倭人たちのテリトリーだから
@ 共同研究で否定されたのは、
「 任那日本府 」 、 という名前だけで、
その実態ではない 。
「 鎌倉幕府 」 、 というのが、
当時から使われていた訳ではない
@ コリアン学者らが、 根拠が無い、
というなら、 韓国が、 最近持ち出してる、
「 伽耶 」、 というフレームも、
そうとうに、 根拠とするべき、
証拠固めが、 脆弱だろ
なんだよ、 後期伽耶連盟って、
勝手に言ってるだけだろ
任那日本府は、 倭宰だから
@ 漢字を伝来した、 と、 いわれる、
王仁 ワニ 殿も、 その記述は、
日本の、 「 続 ショク 日本紀 」 にしか、
ないんですが、
しかも、 支那の皇帝の子孫、 と、
明記されてますし
@ 中国流の言い方をしたら、
任那 ミマナ 、 は、
完全に。、 日本の領土だな。
中国なら、もう、 海警の船が、
連日に、 押し寄せているレベルだな。
@ 任那日本府の証拠となっては、
不都合なので、
韓半島で出土した、
前方後円墳は、 壊してなかったことにしたニダ
@ 朝鮮半島の古代史が封印れていたのは、
朝鮮半島の民族員らが、 そっきりいれかわり、
さらに、やたらと、 過去の文書を焼き尽くしちゃったからです。
おかげで、 現存する朝鮮半島最古の文献は、
12世紀のものです。
朝鮮半島の人達に過去を振り返る力はありません。
中国の方に分析をお願いした方がいいと思います。
@ コリアンらは、
ナゼ、 そんなに、ムキになるんだろうか
当時の朝鮮半島は、 今の自分等の民族とは、
一切関係ないのに
@ 最古の文献が、 12世紀とだけ聞くと、
どんな未開な土地なのかと思いますね。
@ 植民地じゃなくて、普通に、
縄文人達の先住地だったんだろ。
九州や対馬まで、 縄文人がいて、
半島にゼロだったと考える方が、 異常
@ 韓国の学者って、日頃なにやってんだろ
@ 日本の学説らを漁ってる
天皇家が、 半島から来たとか、
日本の○○は、 半島由来だとかってのは、
全部が、 元ネタは、 日本の学説。
というか、 日本の学者がたてた仮説
古代のことは、 ほとんど判ってないから、
仮説以外ないんだが、
それらの日本の仮説らの中から 、
韓国人らが、 ホルホルできそうな奴を
つまみ食いして、 真相は、 こうだったニダ、って喚いて観せる、 簡単なお仕事です
@ 任那日本府って、
後から付けた名前だろ、
鎌倉幕府だって、 当時は、
そんな名前はなかった。
@ 勘違いしてるようだけど
日本が欲しかったのは、
大陸への橋頭堡であって
朝鮮半島自体に、 征服に値する
価値を見いだしていた訳ではないんだ
必死に、 理由をひりだしているところで、
本当に悪い、 と思う
@ 秀吉どんが進出して、
陶工ぐらいしか持ち帰りたいものがなかったというw
半島の庶民は、 両班を追い出した
日本軍を歓待した、 というw
あまりに、かわいそうなので、
南蛮渡来の唐辛子を置いてきてあげた、 というw
@ その当時、既に、 中国には、
トウガラシが伝来していたけど、なぜか、
大陸の盲腸には伝わっていなかったんだよね。
どんだけ、 文化がなかったんだか。
@ 中国にも、 証明する文献が存在するが、
コリアンらは、 無視???
@ 石碑にも書かれてるやないか
中国の歴史書にも書かれてるやないか
@ ホルホルする道具にする対象のが、
歴史だと思ってる時点で、 韓国人らに、
学問は、 無理。
@ 日本書紀なんかより、
遙か昔に書かれた、 後漢書や、
三国志に、 半島の最南部あたりから、
倭国領って書いてあるじゃん。
で、その当時は、 百済も新羅も、
存在してないから、
国としては、 何も書かれてないじゃん。
@ 日本書紀の真実性は、
中国の史記で補完できる。
朝鮮半島の古代史は、 日本の古代史に含まれる。
高句麗によって、 国土の北半分を奪われた、
百済に、 大伴の金村氏は、
任那の4県を割譲した。
この意味するところは、
500年代に入り、
倭人の開拓によって、 十分に発展して来た、
半島の勢力が、 国家化し
高句麗などの、 中国的略奪文化勢力の隆盛で、
大和朝廷は、 半島統治がめんどくさくなって、
撤退を始めた。
と言う事である。
任那日本府という名称や、
地域で、 統治していた必然性は、 無い。
@ 知らないのは、 朝鮮人らだけ
古代の日本が、 朝鮮半島を支配していたことは、 世界中の教科書に載ってるから
@ 百済の滅亡までは、
大和朝廷は、 半島に軍事介入を繰り返してた
形跡が、多く現存してるわけで、
任那も、 そのような、 大和朝廷の、
半島への介入と関係しているのであろう。
@ 違うよ。
元々、 半島の南部には、 倭人達が住んでたんだよ。
@ 日本書紀にも、 好太王碑にも、
日本が、 古代に、
半島に軍事介入してた記録があるから、
元々は、 倭人らが住んでたかどうかに関わらず、軍事介入はあったのだろう。
元から、 倭人らが住んでたなら、
大和朝廷が、 それを保護するために介入した、
という線もあるし。
@ 軍事介入のために、 作って、
拠点ではなくて、 もともと、
倭人らが住んでいて、
役所機能は あったんだろうな。
半島の緊張関係の中で、
その役所機能を格上げした。
日本中に、 国府を置いた時期に、 機能を整備した。
欽明天皇の時代に ( 540年頃 )、
大伴金村どんが、 任那の4県を、
無断で、 百済に割譲したとして、
責任を取らされている。
その割譲した地域というのは、
前方後円墳がある土地だ。
@ 中国の史書も日本の史書も、
否定するくせに、
その中のごく一部は、 事実だって主張する。
王仁博士の件も、 そうだし。
韓国が、 「 韓国が、 日本に教えてやった 」 、
と主張する根拠は、否定してるはずの日本書紀
なんだから、 笑えるわ。
@ マジレスすると、
任那は、 奴 ( 那 ) 国のこと、
出土物とも、 見事にガッチ
後に、 大和が、 列島の盟主になると、
畿内系の出土物に入れ替わる。
列島の盟主が治める事ができる、
半島にある、 倭の飛び地みたいなもんだよなあ
@ 神功皇后による、 三韓征伐とは、
朝鮮半島の南部で勃興していた、
新興国らが、 倭人達の地域を 脅かしたから、
守りに行ったってことだろうな。
攻め上がる様子はなく、
「 こっちに手出しをするなら、攻め込むぞ 」 、
というかんじの記述らが、多い。
@ コリアンらの、 この手の記事は、
好太王碑文や中国の史書らには、
絶対に、 触れないんだよな
@ 任那日本府 」は、
古代日本の大和政権が、
西暦の、 720年に編さんした、
『日本書紀』にのみ登場する用語だ。
しかし、 この記録には、
『三国史記』や『三国遺事』にはない、
伽耶史の復元のための <≒
三国史記、三国遺事って、
14世紀にでっち上げられた偽書だろ。
@ 半万年、を、 支那の奴隷国家だった。
19世紀の末に、 日本によって解放されたが、
劣等感から、 逆に、 これを恨み、
現在に至っている。 ( 朝鮮略史 )
@ 隋書や宋書、に、 魏志の倭人の項等々、
古代シナの各書物は、
日本に、 沢山残っているが、
どれもこれも、 日本の項目
( いわゆる、 倭・大和朝廷 ) には、
当たり前の様に入っている、 一文がある
「 海は、 倭人達の領域 」、
「 半島の中部~南部は、 倭人達の支配地域 」、
そして、 半島への支配 ( 監視 ) の為に
置かれたのが、 「 任那 」 。
それ等の存在の証明を、 更に補強するかの様に、
広開土太王の碑 イシブミ 、 があり、
近年の分子生物学では、
日本→ 半島の南部に、 和人らが移民し、
各小国群を築いた、 という結果も出ている。
古代シナ王朝達の各書物 &
分子生物学( 人骨・稲等からのDNA解析 ) の
コンボがある以上、
トンスラーらのほざいてる歴史学 ( 笑 )は、
ただの妄言・妄想
@ この時代のお前等の先祖は、 確か、
シベリアとか、 モンゴルの奥地に棲息しとった
@ 歴史「科学」と言いながら、
生きている慰安婦らの実態への調査も、 現地での聞き取り調査もしない、 詐欺翼の歴史学者。
本当に、 アホです。
朝鮮人を調査するには、
嘘発見器を対象につけて、
調査しなければ、 確実性はない。
なぜ、慰安婦ら「だけ」の証言しかないのか?
なぜ、兄弟や隣人の証言がないのか?
慰安婦らの証言が、 嘘だからである。
一方で、 拉致、強制連行は、
朝鮮民族の伝統である。
朝鮮王や両班らは、 奴婢の所有者であり、
売買の主体である。
売買された奴婢は、 売られた先に、
「強制連行」される。
朝鮮王は、 自分の所有する奴婢を、
支那の皇帝に献上するために、
「強制連行」して、引き渡す。
大勢の奴婢らの中から、
優秀な奴婢を選抜=拉致して、引き渡す。
両班らも、 私有する奴婢を拉致して、
支那の奴隷商人に強制連行して、引き渡す。
拉致、強制連行は、
朝鮮民族、支那人の伝統行為である。
@ 新羅の初代王も、 日本人だね。
@ 任那日本府は 、
『 任那に、 日本府があった 』 、 ではなくて、 任那が、 倭 ( 日本 ) の領地だった、
と言う事。
いわゆる、 連邦を目指した日本は、
百済や新羅領に、
駐留するわけにもいかないので、
両国の紛争地を、 仲裁がてら統治して、
講和させた。
まあ、新羅が、 裏切ったわけだが。
@ 宋書 倭国伝
詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王
和訳
詔を以て、 武 ( という、 日本側の王 ) を、
使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した。
意味
日本が、 宋へ朝貢をし、
宋が、 倭王 ( 武 ) へ、
朝鮮半島への支配を認めた。
隋書
卷八十一 列傳 第四十六 東夷 俀國
新羅 百濟皆以俀爲大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
和訳
新羅・百濟は、みな、 俀を以て、
大国にして、 珍物多しとなし。
並びに、
これを敬い仰ぎて、 恒に、 使いを通わせ往来す
@ 随分昔から、 万葉集は、
韓国語で書かれていた、と 、 在日は、 主張。
日本の学者が、 鼻であしらうと、
ファビョーンで、 五月蠅い、五月蠅い。
万葉集は、 759年に、 完成、
表音文字の、 諺文ができたのが、 1446年。
それ以前の朝鮮半島で、
どんな言葉らが使われていたのかは、
研究のしようも無い。
つまり、 文献は、 全て、
中国語で記載され、
朝鮮語の実態、まして、 発音等は、
一切が、 不明だ。
民族のアイデンティティーを、
自ら否定してきた民族、今更何を?
@ 任那についての、
現存する最古の記述は、 日本書紀じゃない。
それ以前の中国の書物に、
中には、 「 新羅人から聞いた 」 として、
数件が、存在する。
三国史記の列記にも、 一箇所に、 登場する。
元々は、 この地域の諸侯に、
服従の証として、 名乗らせたもので、
朝鮮総督府のようなもんじゃない