ネット記事+論弁群;

  @      保険にも、入れて貰えない状態で、
 営業していた、 韓国の企業への、
  東京地裁の判事らの判決は、  】  
    甘いというか、
  「  どんな外道にも、しかるべき法の裁きを  」
っていう、   日本らしさの表れなんじゃないかな
強引な差し押さえを禁止しただけで、
 金を払わないと、 何もできないのは、  
よそと同じなわけだし

  @      寄港できるかどうかは、 別問題かと。
差し押さえが禁止ってだけだし。
寄港するのに、 先払いってことは、  禁止されていないわけだしね。


   @      入出港への拒否を禁止でなく、
  寄港した船を差し押さえちゃ、
駄目ってだけだわな
母国が近いんだから、
水や食料云々は、 寄港せずとも、
無問題でしょうし

   @      日本の決裁が速かっただけで、
 多分、  この程度の決定は、
大方の国で、 行われることになるよ
    港湾地区で、
差し押さえの修羅場が演じられる方が、 迷惑

 @     要は、 日本でのトラブルを嫌ったのか


  @       差し押さえを止めただけで、
   積み荷の荷降ろしや、
  燃料の補給やらには、
  金の支払い義務は生じるのだから、
それが出来ないなら、  
 港湾施設の利用は、 やはり出来ない事に、
変わりないわな。

 @      そりゃ、荷下し代と、
燃料代を実費で出すなら、 当然だろ、
運んでる荷物は、 他人のだし。

 @      朝鮮人ら一般に、  物   (  サー ビス)   を売る時は、  現金で、先払いって、 決まってるだろ


    ☆       慶尚南道は、  咸安の街中にある、
  伽耶時代の建物跡の発掘地。
 
「    529年の3月に、
 阿羅国   (  阿羅伽耶   )  が、  
 百済・新羅・倭の使節を招いて、開催した  」、  
と、   日本書紀に記録されている、
 高堂の会議場と推定されている。
http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2016/09/12/2016091201747_1.jpg

  @      だからさ、  そこは、
 倭人たちのテリトリーだから


   @       共同研究で否定されたのは、
 「   任那日本府  」   、 という名前だけで、
 その実態ではない 。
 「  鎌倉幕府  」  、   というのが、
当時から使われていた訳ではない


  @      コリアン学者らが、  根拠が無い、
というなら、  韓国が、 最近持ち出してる、
 「  伽耶  」、   というフレームも、
そうとうに、 根拠とするべき、
証拠固めが、 脆弱だろ
なんだよ、  後期伽耶連盟って、
勝手に言ってるだけだろ

任那日本府は、 倭宰だから


 @       漢字を伝来した、 と、 いわれる、
 王仁  ワニ  殿も、   その記述は、  
 日本の、  「  続   ショク   日本紀  」 にしか、
ないんですが、
しかも、  支那の皇帝の子孫、 と、
明記されてますし

 @       中国流の言い方をしたら、
 任那   ミマナ   、 は、  
 完全に。、  日本の領土だな。
中国なら、もう、 海警の船が、
連日に、 押し寄せているレベルだな。


 @       任那日本府の証拠となっては、
不都合なので、  
 韓半島で出土した、
 前方後円墳は、 壊してなかったことにしたニダ


  @         朝鮮半島の古代史が封印れていたのは、
朝鮮半島の民族員らが、 そっきりいれかわり、
さらに、やたらと、 過去の文書を焼き尽くしちゃったからです。

おかげで、 現存する朝鮮半島最古の文献は、
12世紀のものです。

朝鮮半島の人達に過去を振り返る力はありません。
中国の方に分析をお願いした方がいいと思います。


  @      コリアンらは、
ナゼ、 そんなに、ムキになるんだろうか
当時の朝鮮半島は、  今の自分等の民族とは、
一切関係ないのに
 

  @      最古の文献が、  12世紀とだけ聞くと、
どんな未開な土地なのかと思いますね。

  @      植民地じゃなくて、普通に、
縄文人達の先住地だったんだろ。

九州や対馬まで、 縄文人がいて、
 半島にゼロだったと考える方が、 異常


 @     韓国の学者って、日頃なにやってんだろ

  @      日本の学説らを漁ってる
天皇家が、 半島から来たとか、
 日本の○○は、 半島由来だとかってのは、
 全部が、 元ネタは、 日本の学説。
というか、 日本の学者がたてた仮説
古代のことは、 ほとんど判ってないから、
仮説以外ないんだが、
 それらの日本の仮説らの中から 、
韓国人らが、 ホルホルできそうな奴を
つまみ食いして、  真相は、 こうだったニダ、って喚いて観せる、 簡単なお仕事です


 @       任那日本府って、
後から付けた名前だろ、
鎌倉幕府だって、 当時は、
そんな名前はなかった。

 @      勘違いしてるようだけど
日本が欲しかったのは、
大陸への橋頭堡であって
朝鮮半島自体に、 征服に値する
価値を見いだしていた訳ではないんだ
必死に、 理由をひりだしているところで、
本当に悪い、 と思う

 @     秀吉どんが進出して、
陶工ぐらいしか持ち帰りたいものがなかったというw
半島の庶民は、 両班を追い出した
日本軍を歓待した、 というw
あまりに、かわいそうなので、
南蛮渡来の唐辛子を置いてきてあげた、 というw

  @       その当時、既に、 中国には、
トウガラシが伝来していたけど、なぜか、
大陸の盲腸には伝わっていなかったんだよね。

どんだけ、 文化がなかったんだか。

@     中国にも、 証明する文献が存在するが、
コリアンらは、 無視???

 @      石碑にも書かれてるやないか
中国の歴史書にも書かれてるやないか

 @      ホルホルする道具にする対象のが、
歴史だと思ってる時点で、   韓国人らに、
学問は、 無理。

  @       日本書紀なんかより、
遙か昔に書かれた、 後漢書や、
三国志に、   半島の最南部あたりから、
倭国領って書いてあるじゃん。
で、その当時は、  百済も新羅も、
存在してないから、
国としては、 何も書かれてないじゃん。


 @     日本書紀の真実性は、
 中国の史記で補完できる。
朝鮮半島の古代史は、 日本の古代史に含まれる。

高句麗によって、 国土の北半分を奪われた、
百済に、  大伴の金村氏は、
 任那の4県を割譲した。

この意味するところは、
  500年代に入り、  
 倭人の開拓によって、 十分に発展して来た、
半島の勢力が、 国家化し
高句麗などの、 中国的略奪文化勢力の隆盛で、
大和朝廷は、 半島統治がめんどくさくなって、
撤退を始めた。
と言う事である。 
 任那日本府という名称や、
地域で、  統治していた必然性は、 無い。


 @       知らないのは、 朝鮮人らだけ
 古代の日本が、 朝鮮半島を支配していたことは、  世界中の教科書に載ってるから

  @      百済の滅亡までは、
 大和朝廷は、   半島に軍事介入を繰り返してた
形跡が、多く現存してるわけで、
 任那も、 そのような、 大和朝廷の、
半島への介入と関係しているのであろう。

   @     違うよ。
元々、 半島の南部には、 倭人達が住んでたんだよ。


 @     日本書紀にも、 好太王碑にも、
日本が、 古代に、
半島に軍事介入してた記録があるから、
元々は、  倭人らが住んでたかどうかに関わらず、軍事介入はあったのだろう。
  元から、  倭人らが住んでたなら、
大和朝廷が、 それを保護するために介入した、
という線もあるし。


  @      軍事介入のために、 作って、
拠点ではなくて、   もともと、
倭人らが住んでいて、
役所機能は あったんだろうな。
   半島の緊張関係の中で、
その役所機能を格上げした。
日本中に、 国府を置いた時期に、 機能を整備した。


   欽明天皇の時代に  (    540年頃   )、    
  大伴金村どんが、  任那の4県を、
無断で、  百済に割譲したとして、
責任を取らされている。
その割譲した地域というのは、
前方後円墳がある土地だ。


 @      中国の史書も日本の史書も、
否定するくせに、
  その中のごく一部は、 事実だって主張する。
王仁博士の件も、 そうだし。
韓国が、 「  韓国が、 日本に教えてやった  」 、
と主張する根拠は、否定してるはずの日本書紀
なんだから、 笑えるわ。

 @        マジレスすると、
  任那は、    奴 (  那  ) 国のこと、
 出土物とも、 見事にガッチ
後に、  大和が、 列島の盟主になると、  
畿内系の出土物に入れ替わる。
列島の盟主が治める事ができる、
半島にある、 倭の飛び地みたいなもんだよなあ


 @      神功皇后による、 三韓征伐とは、
 朝鮮半島の南部で勃興していた、
新興国らが、  倭人達の地域を 脅かしたから、
守りに行ったってことだろうな。

攻め上がる様子はなく、
 「  こっちに手出しをするなら、攻め込むぞ  」  、
というかんじの記述らが、多い。


 @      コリアンらの、  この手の記事は、
好太王碑文や中国の史書らには、
絶対に、 触れないんだよな


  @      任那日本府  」は、
  古代日本の大和政権が、  
 西暦の、  720年に編さんした、  
 『日本書紀』にのみ登場する用語だ。

 しかし、  この記録には、
『三国史記』や『三国遺事』にはない、
伽耶史の復元のための         <≒

三国史記、三国遺事って、  
14世紀にでっち上げられた偽書だろ。

 @       半万年、を、 支那の奴隷国家だった。
19世紀の末に、  日本によって解放されたが、
 劣等感から、  逆に、 これを恨み、
現在に至っている。     (   朝鮮略史   )

 
  @      隋書や宋書、に、 魏志の倭人の項等々、
 古代シナの各書物は、
 日本に、 沢山残っているが、
 どれもこれも、  日本の項目
  (    いわゆる、  倭・大和朝廷   )  には、  
当たり前の様に入っている、 一文がある

 「   海は、  倭人達の領域   」、

「   半島の中部~南部は、  倭人達の支配地域  」、

そして、   半島への支配  (  監視  )  の為に
置かれたのが、   「  任那  」  。

それ等の存在の証明を、  更に補強するかの様に、
 広開土太王の碑    イシブミ  、  があり、
  近年の分子生物学では、  
  日本→   半島の南部に、   和人らが移民し、
 各小国群を築いた、  という結果も出ている。

古代シナ王朝達の各書物   &  
 分子生物学(  人骨・稲等からのDNA解析  )  の
コンボがある以上、
 トンスラーらのほざいてる歴史学 ( 笑 )は、
ただの妄言・妄想

 
  @      この時代のお前等の先祖は、 確か、  
 シベリアとか、  モンゴルの奥地に棲息しとった


     @       歴史「科学」と言いながら、
 生きている慰安婦らの実態への調査も、 現地での聞き取り調査もしない、 詐欺翼の歴史学者。
 本当に、 アホです。

朝鮮人を調査するには、
 嘘発見器を対象につけて、
調査しなければ、  確実性はない。

なぜ、慰安婦ら「だけ」の証言しかないのか?
  なぜ、兄弟や隣人の証言がないのか?

慰安婦らの証言が、 嘘だからである。

一方で、    拉致、強制連行は、  
 朝鮮民族の伝統である。
   朝鮮王や両班らは、  奴婢の所有者であり、
  売買の主体である。
  売買された奴婢は、  売られた先に、
 「強制連行」される。
   朝鮮王は、  自分の所有する奴婢を、
 支那の皇帝に献上するために、
「強制連行」して、引き渡す。
  大勢の奴婢らの中から、
優秀な奴婢を選抜=拉致して、引き渡す。
   両班らも、 私有する奴婢を拉致して、
支那の奴隷商人に強制連行して、引き渡す。

拉致、強制連行は、
朝鮮民族、支那人の伝統行為である。


  @       新羅の初代王も、 日本人だね。


    @        任那日本府は 、  
 『    任那に、 日本府があった  』   、 ではなくて、     任那が、   倭   (  日本  )   の領地だった、
と言う事。
  いわゆる、   連邦を目指した日本は、  
 百済や新羅領に、
駐留するわけにもいかないので、  
両国の紛争地を、 仲裁がてら統治して、
講和させた。
  まあ、新羅が、 裏切ったわけだが。


   @         宋書 倭国伝
詔除武使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王

和訳
詔を以て、     武    (   という、 日本側の王    )   を、
 使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した。

意味
日本が、  宋へ朝貢をし、
 宋が、  倭王  (  武  )  へ、  
朝鮮半島への支配を認めた。

隋書
卷八十一     列傳    第四十六      東夷 俀國
新羅 百濟皆以俀爲大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來

和訳
新羅・百濟は、みな、 俀を以て、
大国にして、 珍物多しとなし。
  並びに、
  これを敬い仰ぎて、 恒に、 使いを通わせ往来す


  @       随分昔から、   万葉集は、  
韓国語で書かれていた、と 、  在日は、 主張。
日本の学者が、 鼻であしらうと、
ファビョーンで、 五月蠅い、五月蠅い。

万葉集は、    759年に、 完成、
  表音文字の、 諺文ができたのが、  1446年。

    それ以前の朝鮮半島で、
 どんな言葉らが使われていたのかは、
研究のしようも無い。
つまり、   文献は、  全て、  
中国語で記載され、
 朝鮮語の実態、まして、 発音等は、
一切が、  不明だ。

  民族のアイデンティティーを、
自ら否定してきた民族、今更何を?


   @       任那についての、
現存する最古の記述は、 日本書紀じゃない。
それ以前の中国の書物に、
 中には、   「    新羅人から聞いた  」  として、
   数件が、存在する。

   三国史記の列記にも、 一箇所に、 登場する。

  元々は、  この地域の諸侯に、
 服従の証として、 名乗らせたもので、
 朝鮮総督府のようなもんじゃない