自らの回答の引っ越し保管と改訂 ;
jyai_boyさん
未来は不可知なるものですか。
2009/06/19 19:46
330
4
ベストアンサーに選ばれた回答
bergflatさん
未来には、
決して、現在化する事の無い、
いわば、永遠に現在にやって来ない未来と、
現在化し得る、可能的な現在としての未来とがあります。
前者の未来は、
我々が、各々の現在に常に在りながら、
時系列の観念上に、未来として格付けた場へ、時間的な持続性の相と、空間の相とに含まれる諸事象を投影し、
そこに、もう一つ以上の現在の投影事象を想い構えて観ることから成るものであり、
後者の「可能的な現在」としての未来は、
我々と共に常に在る、唯一のものが、
我々各々の、「現前せる現在」であるにも関わらず、
前者の未来を心構えて観る作業に加えて、
現前し得た途端に、
次々に、過去事象となってゆくものに対応しつつ、
「現在のものそのものである、記憶上の過去事象」、と、成り得てゆくものらの中に、
現在めいた、過去たる基点を置いて、
そこから、
現前せる現在へ至る、
現在の残像的な諸事象が縮約されたものを、
その後のものたる未来として、
幾通りにも変え得る枠組みのもとで、
予期し直して観ることにより、
我々は、
現前せる現在に、ずっと居合わせたままで、
やがて、現在化し得るものとして規定されている所のある、
「 未来なるもの 」を心構えて観る作業を行う事にも成ります。
我々が、
現前せる現在に、
常に在るままでありながら、
やがて、実現する筈の未来として思い構えて観る当のものは、
現前せる現在と成り得る「可能的な現在」であり、
その場合の未来においても、
時間的な持続性と、空間とが、相互に浸透し合って現前し得る場は、
現前せる現在である、という事には、何ら、変わりは無く、
時空そのものが唯一存在し得ている場が、現前せる我々の現在をおいて、
他には、無い、という事にも、
何ら、変わりはありません。
従って、 我々は、
可能的な現在である未来に対して、
何らかの物事の成り立ちを予測して観ることはできるし、
現に、ほとんど常に、
直近の未来の物事らについては、
予測し続けている状態にあります。
その事に気を取られ過ぎて、
目の前の事をおろそかにする度合を成し、 事故などを成す、危険性の可能的な度合いを成し増す事の度合いを成さない様に、
常に、 互いに、意識し直し合う、機会らを与え合うべき必要性がある程に、
我々は、 観念上の未来の格の物事らを宛居とする、考えらを産み成し付けている。
可能的な現在らは、
現前せる現在に常在する所から観て、
一様でも一つでもないので、
細部に至るまで、あらゆる事象らを総じて、確定的に予知し果せる、等という事は、
「全知全能の、阿弥陀如来、ないし、
ユダヤ・キリスト・イスラム教の唯一神」といった格のもので無い限りは、
不可能である、という事になります。
2009/06/20 00:27
jyai_boyさん
未来は不可知なるものですか。
2009/06/19 19:46
330
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ベストアンサーに選ばれた回答
bergflatさん
未来には、
決して、現在化する事の無い、
いわば、永遠に現在にやって来ない未来と、
現在化し得る、可能的な現在としての未来とがあります。
前者の未来は、
我々が、各々の現在に常に在りながら、
時系列の観念上に、未来として格付けた場へ、時間的な持続性の相と、空間の相とに含まれる諸事象を投影し、
そこに、もう一つ以上の現在の投影事象を想い構えて観ることから成るものであり、
後者の「可能的な現在」としての未来は、
我々と共に常に在る、唯一のものが、
我々各々の、「現前せる現在」であるにも関わらず、
前者の未来を心構えて観る作業に加えて、
現前し得た途端に、
次々に、過去事象となってゆくものに対応しつつ、
「現在のものそのものである、記憶上の過去事象」、と、成り得てゆくものらの中に、
現在めいた、過去たる基点を置いて、
そこから、
現前せる現在へ至る、
現在の残像的な諸事象が縮約されたものを、
その後のものたる未来として、
幾通りにも変え得る枠組みのもとで、
予期し直して観ることにより、
我々は、
現前せる現在に、ずっと居合わせたままで、
やがて、現在化し得るものとして規定されている所のある、
「 未来なるもの 」を心構えて観る作業を行う事にも成ります。
我々が、
現前せる現在に、
常に在るままでありながら、
やがて、実現する筈の未来として思い構えて観る当のものは、
現前せる現在と成り得る「可能的な現在」であり、
その場合の未来においても、
時間的な持続性と、空間とが、相互に浸透し合って現前し得る場は、
現前せる現在である、という事には、何ら、変わりは無く、
時空そのものが唯一存在し得ている場が、現前せる我々の現在をおいて、
他には、無い、という事にも、
何ら、変わりはありません。
従って、 我々は、
可能的な現在である未来に対して、
何らかの物事の成り立ちを予測して観ることはできるし、
現に、ほとんど常に、
直近の未来の物事らについては、
予測し続けている状態にあります。
その事に気を取られ過ぎて、
目の前の事をおろそかにする度合を成し、 事故などを成す、危険性の可能的な度合いを成し増す事の度合いを成さない様に、
常に、 互いに、意識し直し合う、機会らを与え合うべき必要性がある程に、
我々は、 観念上の未来の格の物事らを宛居とする、考えらを産み成し付けている。
可能的な現在らは、
現前せる現在に常在する所から観て、
一様でも一つでもないので、
細部に至るまで、あらゆる事象らを総じて、確定的に予知し果せる、等という事は、
「全知全能の、阿弥陀如来、ないし、
ユダヤ・キリスト・イスラム教の唯一神」といった格のもので無い限りは、
不可能である、という事になります。
2009/06/20 00:27