自回答の引っ越し保管と改訂 ;
papilio2008さん
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生命は分子を部品として組み立てられた機械だと思いますが、人間も同じでしょうか。
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2009/02/23 17:27
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bergflatさん
物質に基づいて運動が成り立つ、とする機械論の一種と観受け得る説ですが、 その分子なるものも、物質で隙間無く充たされ得ている存在ではなく、
実際は隙間だらけであり、 物質間に働く力そのものは、物質とは到底観なし難いものであるにも関わらず、
多くの人たちが何の疑問も覚えず、物質に生命活動その他の運動の根拠を求める事自体が不思議な事であるように思われる。
諸物質は、運動状態が移送されるに際して、その中間的な諸項目と成り得ているだけであって、
運動は、運動そのものに基づいている。
我々が、何かを手で触れていると思っている場合にも、原子次元では、物質同士の接触などといった事は成り立ってはいない、という事を科学は証言し得ている。
我々が、物質に過度に信を置く所以は、 アンリ・ベルグソン師が指摘し得ているように、
やはり、我々が、我々の身体をして自由に直に外界に働きかけられる唯一の手段が、接触を介したものである、という事にあるのだろう。
重力も電磁力もどんな力も物質ではない。 諸物質は、その変化の様相への我々の認識をして、力の作用などを我々が認識する際の手がかりを提供するものに過ぎず、
何の力でもない諸物質が、なんらかの運動を生じしめる根源因と認めるべき合理的な根拠は何もない、と思い構えて観る事ができる。
物質にすべての根源因を見出そうとする機械論一般の前提観念は、
我々が、日常的に我々の手や何か身体の一部以上のものと諸物との接触を介して、「諸物を動かし得ている気になっている」、という所にその生成の根拠があり、
まさにその日常的な「諸物と自身との接触を介した連動に関する」経験知の脈塊(みゃくれ)によって、それ自らの成り立ちを得ているものである、と思われるが、
前述したように、その接触事象を構成し得ている筈の自身と非自身各々の物質における、物質同士の接触などというものは成り立っていないし、
そもそも物質は、何の力でもないので、そのあるがままを観る限り、そのままでは、運動生起の根源因とは観なすべき筋合いに無いのである。