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しゅとらんとしゅとらーせ/iD

おでかけ×アイドル。MVロケ地巡りの記事はテーマ「ロケ地巡り」に集約しています。
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(補訂:2020年5月9日)

 

2011年3月1日に千葉県松戸市へ引っ越した僕が、その10日後に遭遇した東日本大震災。

 

母が秋田出身ということもあり、少なからず東北へ思い入れがある僕でしたが、未曽有の被害を目の前にしてできることはあまりにも少なくて。

ただ強く思ったのは、「東北を旅したい」ということ。

 

2012年に松戸からいわき、そして磐越東線を経由して郡山から東北線で戻るという18きっぷの旅をしたのが、震災後最初の東北への旅。

 

その次は2014年夏。しかもまさかのライブ遠征笑

2014年8月24日、仙台のゼビオアリーナで行われた乃木坂46のライブに行くための旅となりました。

 

行きは時間に余裕があったので18きっぷを使い、帰りは新幹線で帰ることに。

千葉から仙台へ在来線で行くルートとしては東北線か常磐線があるわけですが、震災による原発事故の影響で常磐線は不通。現状ではルート選択の余地はありません。

 

しかし途中の郡山までは、東北線、水戸経由の水郡線、いわき経由の磐越東線とルートを選ぶことができます。

この時は水郡線が未乗車だったのでちょうどいい機会と思い、水郡線で郡山まで向かい、北上することにしました。

 

というわけでおはようございます。

みんな大好き2階建てグリーン車の誰もいない1階で、眠気に身を任せるべるしぃさんがそこにいました。

 

早朝に最寄り駅を発って茨城の県都・水戸には午前7時頃とかなり早い時間に到着。

以前乗車した磐越東線に負けず劣らず、水郡線もなかなかのローカル線。路線を全通する列車はそう多くないので、早めの出立となりました。

ところでキハE130系の行先表示って、「常陸大子」と「郡山」と2つ併記するんですね。

 

そういえば、水郡線のホームにいたら見慣れない色の列車が来たので驚いて見に行ってみたのですが、偶然にも485系「リゾートエクスプレスゆう」に初遭遇しました!

 

 

キハ110系がキハE130系に置き換わって久しい水郡線。カラフルな車体の列車は、久慈川に沿って平野から山あいへと進んでいきます。

途中、常陸大子(ひたちだいご)駅で少し長めに停車するとのことなので、ちょっと駅の外へ出てみることにしました。

 

 

駅舎はお洒落な昭和モダンの時代を感じる木造駅舎でしたが、この後2016年に改装され、より木目調を強めたレトロチックな駅舎になりました。

また駅前には、この路線で使用されていたC12型蒸気機関車も保存されており、昔から現在まで変わらぬ水郡線の要衝駅としての存在感をより際立たせています。

 

 

また、この駅ではホーローの駅名板を見かけたり、隣接する水郡線の拠点・水郡線営業所には転車台もまだ残っていて、この駅自体が昭和の鉄道風景を残す場所として観光資源になりうるのでは…などと思いました。

実際、この乗車の前後に高崎からC61を借りてSLを運転してたことがあったので、継続されていけば万年最下位という悲しい結果ばかりの茨城の魅力度向上にも繋がるような気がします…笑

(ちなみにべるしぃさん茨城めちゃくちゃ好きですし、茨城県内は割とくまなく回ってます。チバラキ民なので)

 

それにしても列車に3時間乗るというのは慣れていましたが、意外とキハE130系の座席って固くて長時間座るのしんどいんですよね…

 

 

そんなこんなで、郡山へ到着しました。ここからは順当に東北線で北へ向かいます。

クロスシート(2人掛)・ボックスシート(4人掛)至上主義の鉄ヲタにすこぶる不評な701系に乗車。個人的には701系嫌いじゃないですよ。

 

そして福島でE721系に乗り換えて仙台へ。

これも椅子固いやつ、、、

 

と思いきや、ちょっと途中の白石駅で降りてみることにしました。

なぜ降りたかというと、列車が白石行だったというのもあるのですが、単に乃木坂46のメンバーである白石麻衣さんと同じ名前の駅だからですw

(ちなみに駅・地名は「しろいし」、乃木坂は「しらいし」で読みは違いますが)

ライブに行く前に気勢を上げようというだけで途中下車しました。

仙台方面からの一部列車が折り返していくこともあって、列車本数も白石駅から増え、仙台都市圏に入ったことを感じさせます。

 

 

そんな白石駅を回ってみると、駅舎のある下りホームの傍に、レンガ造りの倉庫を発見しました。

レンガと言えば明治時代。おそらくは開業当初から使われている、築100年レベルの代物というのはパッと見ですぐわかります。

 

調べてみると、「れんがの油庫」という鉄道関連物のギャラリーとして使われているようなのですが、この日は開いておらず、外見を眺めるのみとなりました。

ちなみに油とはランプなどに使う灯火用の油のことで、建物や通路など人が居る場所だけでなく、鉄道黎明期には信号機でも電気の代わりに使われていたそうです。(ランプの灯を光源にして赤や緑の色付きレンズを光らせていた)

 

実は明治期に建設された鉄道路線にはこういうレンガ造りの建築物は意外と残っていて、パッと思い出せるところですと東海道線の藤枝駅(静岡県)とか、武豊線の半田駅(愛知県)などにもありますね。

 

 

時間もあまりないので、次の仙台行きの701系に乗って、今度は仙台のちょい手前の名取駅で再び途中下車。

ここから仙台空港アクセス線に乗り換えて、仙台空港を目指します!

 

 

この2つの写真はどちらも仙台行ですが、左が福島から乗ったJRのE721系の別バージョン、E721系500番台。右が仙台空港鉄道所有のSAT721系。両社は共通で運用されており、荷物置き場など空港輸送に重点を置いた車両となっています。

 

 

名取から10分ほどで、仙台空港駅に到着しました。

需要に合わせたコンパクトな感じの駅になってますが、仙台空港の出発ロビーに平面で直結しているので、利便性はめちゃくちゃ高い印象でした。

全体的な位置をつかむために地上へ降りて写真を撮ったのですけれど…

 

震災時の津波の高さを示す案内がエスカレーターに張り出されていました。

この高さでも、津波のエネルギーにさらされればひとたまりもないでしょうね…

 

 

仙台空港の中に入ってみると、さすがに3年も経ったので、一見すると爪痕は無いように感じられました。

テレビの映像で見ましたが、右写真の1階なんて完全に津波で浸ったはずですが、職員・スタッフの皆さんの不断の努力があったことと思います。

また、この時は震災に関するパネル展示などもありました。

 

 

屋上のデッキに上がれるということで、ちょっと行ってみました。ちょうどスカイマーク機が着陸するところも撮影成功。

あの海の向こうから津波が押し寄せてきたわけですね…。実際ここで海を見ると、とてもそんな津波が起こったとは思えないような穏やかさでしたが、逆にそれがあの時の記憶とのギャップを生んで、怖さが生まれました。

 

帰り際、「鉄道むすめ」のうちわを配っていたので、すかさず頂戴しましたw

せっかくなので、仙台空港でキーホルダーを1つ購入。まあ小さなお金でも、何かしら落として行かないことにはな、なんて思った次第で。

 

というわけで、色々寄り道をしながらも仙台に到着し、長町のゼビオアリーナで乃木坂46のライブを見てきました。

正直なところライブは座席の位置とセトリの微妙さであんまり印象に残っていません。

 

しかしながら、震災から3年が経ってようやく東北の地を本格的に踏んだこと、あの時の震災を改めて肌で感じたこと、そして自分のルーツの1つである東北をまたこうして訪れることができたこと、そういうもののほうが気持ちとして大きかったです。

 

そしてこの日の時点で、すでに1か月後に東北へ再びやってくることは決定していたのでした

それはまた別のお話。

 

■この日のツイートはこちら→2014年8月24日

 

(補訂:2020年5月9日)

 

2012年夏、少しだけ東北に触れた乗り鉄の旅から1年8か月ほどが過ぎ、その間に転職して今の会社に入り、中学時代以来10数年ぶりとなるカレンダー通りの休みというものを手に入れた僕。

何の気兼ねもなく連休が貰え、遠出もしやすくなりました。

高校時代も大学時代もバイトしていた記憶が多く、大学出てもフリーターで小売に従事していたので、逆にカレンダー通り休むことに違和感がありましたが…

 

そうやって土日休みになったからと地元愛知の友人と電話で話をしていたところ、スマホの位置取りゲームを兼ねて旅行がしたいという話になりまして。

喧々諤々…というほどでもない議論を交わし、せっかくだから愛知からなかなか行くことができない東北方面へ行こうということで落ち着きました。

行先は、福島県会津

 

というわけで、おはようございます。2014年4月29日、午前8時頃の東武特急スペーシアの車内です。

ゴールデンウィークまっただ中ということで、友人は前日に千葉のうちのアパートに泊まり、翌朝から共に行動開始となりました。

 

もちろん単純に新幹線に乗って郡山経由で往復する気は毛頭ありません。位置ゲーをする以上、できる限り往路と復路は違うルートで帰るというのが基本原則。

 

というわけで、行きは私鉄3社とJRを乗り継いで、南側から攻めるルートで攻めることにしました。俗に「会津への裏ルート」と呼ばれる経路。

 

その裏ルートの私鉄3社とは、浅草エリアを拠点に北関東へ路線を広げる「東武鉄道」、その日光・鬼怒川線からさらに山深くを行く「野岩鉄道」「会津鉄道」。

そしてその先はJR只見線で会津若松へ。

 

会津だと郡山から西進して会津に入るか、新潟から東進して入るかの、どちらも磐越ルートが割とメジャーな感じがありますが、会津の南側からのアプローチも実はそんなに難しくないです。

東京(浅草)から会津若松まで、乗換1回で済むような乗継もあります。

 

そして、その4つの鉄道会社を通して乗車することができる「4線連絡片道乗車券」がこちらの写真の上の切符。「北千住→会津若松(東日本旅客鉄道)」の片道切符です。

都市圏では地下鉄直通運転などで3社まで乗れる切符は割とあると思うのですが、4社直通の乗車券となると、おそらく日本中探してもここだけでのようです。(フリー切符を除く)

ちなみに途中下車は可能。

 

さて、朝一番の特急スペーシアは「けごん」。つまり日光行なので、鬼怒川温泉方面へ行くには下今市で連絡する快速に乗り換える必要があります。とはいっても列車接続を前提としたダイヤなので、スムーズに乗り換えができます。

本当は1本あとの特急スペーシア「きぬがわ」で鬼怒川温泉まで来ても次は同じ列車に乗ることになるのですが、「きぬがわ」から乗り換える乗客が多いと見込んで、座席を確保するために早い「けごん」に乗りました。

 

 

そして鬼怒川温泉に到着!

駅を出ると、目の前にはさっそく鬼が。やってきた観光客を生温かい目で見つめております。

鬼怒川温泉では30分ほど時間があったので、駅前にあった足湯で一息。さすが温泉郷の駅ですね。

 

足湯を満喫したところで、鬼怒川温泉駅からは、一気に会津若松へと向かう快速「AIZUマウントエクスプレス」に乗り込みます。

この列車は会津鉄道の所有で、以前は東海地区の私鉄の雄・名鉄で特急「北アルプス」として名鉄名古屋から高山を結んでいたキハ8500系のお下がりを使っていましたが、近年になって新車に置き換わって運転されています。(AT-700形)

外装は、会津地方といえば郷土玩具「赤べこ」の赤色、ということでに、真っ赤に塗られています。

 

大元の車両自体は全国どこでも見ることができるローカル線向けの一般型ディーゼル車なのですが、内装は思いのほか凝っておりまして、まず座席は特急のものと遜色ないレベルのリクライニングシートになっています。

ドア部分にデッキは無いですが座席との間に仕切りがあり、また木目調の内壁や間接照明など、居住性はかなり高いです。これが追加料金なしで乗れるというのですから、もちろん悪い気分などするわけもありません。

また、沿線の観光名所のイラストなどを随所に散りばめた装飾で、観光気分を高めてくれる車内となっています。

 

ちなみに2両編成だったのですが、もう1両(AT-600形/上の東武の電車の横に写ってた車両)は普通の車両ですw

とはいえこれでもグレードの高いクロスシートなのですが…

 

列車は東武鬼怒川線から野岩鉄道へ入り、急峻な山間部を鉄橋とトンネルでパスしていきます。しかも割と速い!

というのも、この会津への短絡ルートは、南側の鬼怒川エリア、そして北側の会津鉄道(元は国鉄→JR会津線)が元々開業していたのですが、昭和後期になって両者をつなぐ野岩鉄道が開通した経緯があり、つまり新しい路線である野岩鉄道は、技術の進歩によって地形をガン無視した直線的な路線を敷くことができたため、それによってスピードが出せるようになった、というわけです。

 

 

それなので、旧国鉄時代から存在する会津鉄道となる会津高原尾瀬口からは昔ながらの地形に沿った線路となって、さらに会津田島で架線がなくなったので、会津ののんびりゆったりとした景色を存分に眺めることができます。

 

さて、鬼怒川温泉から野岩鉄道、会津鉄道を経て、心地よい座席に揺られること1時間半弱。到着したのは塔のへつり駅。会津若松に行く前に、ここで途中下車!

 

 

「へつり」とは会津の方言で河食崖、つまり川の流れによる浸食でできた崖のことで、「塔のへつり」は、柱のような崖が連なっていることから名づけられたようです。地形的・地質的にも特異で、見ごたえのある景勝地となっています。

ただし当然ですが崖なので、高所恐怖症の方などにはおすすめできません…w

 

小一時間ほど観光した後、再び塔のへつり駅へ。次に乗るのはお座トロ展望列車

 

  

リクライニングの展望席あり、沿線風景を間近に感じられるトロッコ車両あり、のんびりとくつろげる座敷席ありと、1つの列車で3タイプの座席を持つ、大変面白い列車なのです。

乗車整理券方式なので、整理券さえあれば基本的には自由席。混雑していなければ、どの席も堪能することができます。

 

 

しかもトンネルに入ると天井に映像が映し出されたり、景色の綺麗な鉄橋の上で停車したりと、会津鉄道を満喫するにはもってこいの列車。乗車整理券310円分の価値は十分にありました。オススメです。

 

途中、湯野上温泉駅でちょっとだけ停車時間があったので、列車を降りてみました。

湯野上温泉駅は、会津と日光を結んでいた会津西街道の宿場の1つで、今なおその古い街並を残す「大内宿」の最寄り駅でもあるため、駅舎は宿場町と同じように萱葺き屋根の古民家風の駅舎になっていて、大変風情があります。

そしてこの駅、4月末頃に来ると、なお一層の素晴らしい光景と巡り合うことができます。

 

 

 

それは桜。

この日はホームにある桜がまさに満開で見ごろを迎えていて、南会津はこの4月末になってようやく遅い春を謳歌しているところでした。

街中で見る桜とは違い、山間に咲く桜とこの駅舎の組み合わせは、絵に描いたような古き良き日本の鉄道風景ですね。

曇ってたのがちょっと残念でしたが、それでもあっという間に停車時間は過ぎていき、気づいたら発車時間になっていました。

 

列車はだんだんと山が開けた場所までやってきました。

会津の遅い春が、沿線の風景に彩りを与えてくれています。

 

それにしても、福島ってこういう屋根の形した家が多いですよね。囲炉裏の煙を逃がす穴みたいなやつ。

 

そうこうしているうちに、西若松駅からJR只見線区間に入って、気づけばもう会津若松市内。

自分たちは会津若松駅の手前・七日町駅で降りて、市内の観光へと向かうことにしました。

一区間分乗りつぶせませんが、どっちにしろ只見線に乗るためにもう1回来ると思うのでw、ここは会津若松を満喫するほうを優先します!

 

というわけで、次回は会津若松観光編…は書きません!(は?)

 

実はこの後会津若松城とか飯森山とか行ったんですけど、ここにきて友人が

「歴史興味ないんだよね」

とか言いやがりまして…そりゃもうテンションだだ下がりでしたよ…

 

 

そんなこんなで、2014年最初の東北旅は波乱含みで幕を閉じましたとさ。

次に東北へやってくるのは、この年の8月。なんと初めての東北ライブ遠征です。

よろしければ続きはこちらからどうぞ。

 

■この日(2014年4月29日)のツイートは→こちら

(補訂:2020年5月9日)

 

2011年㋂に起こった、東日本大震災。

その震災の10日前の2011年3月1日、千葉県に住民票を移した自分。

 

まさか引っ越してすぐこんな大地震に遭遇するとは思ってもおらず、しかも仕事を決めないまま来たので、最初はすぐにでも実家に帰りたいと思いましたが、何だかんだ人間というものは生きていればなんとかなるもので、結局2017年8月まで6年以上の歳月を千葉県で過ごしました。

 

そして、千葉県に来たことで東北地方がより近い地域になり、旅行もしやすくなりました。

この千葉での6年ぐらいの暮らしで、前半はどちらかというと西日本方面に行くことが多かったのですが(人生で初めて飛行機に乗ったのもその頃)、後半の2014年以降は東北地方を周遊することが多くなりました。

それは「つばさFly」というアイドルグループと、そのグループのメンバーの一人のおかげなのですが、それも含めてこれから順番に書いていきたいと思います。

 

東北自体は、母親が秋田県出身ということもあり、自分のルーツがある場所とも思っていますし、色々あって今では自分の故郷と同じかそれ以上に、愛着のある場所となりました。

 

レミニセンス。

回想。

千葉に引っ越してきてから6年、自分が東北で何をしに行ったのか、色々書き留めておこうと思います。

 

 

 

さて、2011~2013年で東北へ行ったのは、恥ずかしながら1回しかありませんでした。

それは2012年8月7日(火)、18きっぷで千葉から常磐線に乗って福島県いわき市へ行き、そこから磐越東線で郡山へ。そして東北本線を南下して帰るだけの、ただ電車に乗るだけの旅でした。

 

  

とはいえ、やはり近づいてみないと分からないことがたくさんありました。

使わなくなった電車が放置されていたりとか、電車から見える震災がれきの山とか、原発事故の避難区域が路線図から消されていて、通れなくなっているのを目の当たりにしたりとか、少なからず自分にとって影響があったように思います。

 

 

一時はいわき市も混乱の渦中にありましたが、1年半弱が経過した市内では、にぎやかにお祭りが開催されていました。

福島県浜通り地域随一の都市であるいわきにも、原発事故の避難区域から避難してきた方がたくさんいらっしゃったようでしたが、その避難区域の1つである浪江町のグルメ「なみえ焼きそば」が屋台で売られていたので、1つ食べてみました。

そばと言いながらも極太のうどんのような麺で驚きましたがw、おいしかったです。

 

避難してきた方のお店だったのだろうと思いますが、避難先でもこうやって地元を忘れることなく生活をしている光景には、思わされるところがありました。

 

 

 

いわきからは、ディーゼルカーの走る磐越東線に乗車。

列車から見える、架線の無い線路と青空と緑の木々の組み合わせは、とても日本の夏らしい風景で、とても心地が良かったです。

 

 

福島県中通り地方の交通の要衝・郡山に到着して、東北本線に乗り換え。

新幹線で通過したりすることはあったけど、下車するのは初めてでした。まあこの後ちょくちょくお世話になっていったのですがw

 

 

架線を流れる電気が交流と直流で入れ替わる黒磯駅で再度乗り換え。新幹線開業前の青函トンネルも走れた金太郎ことEH500は交直両用ですが、黒磯で停車してました。それとJR貨物の直流機がやたらと連結されて留置されていました。

 

 

栃木県の小山まで南下して戻った自分は、そこから水戸線に乗り換えて、友部経由で常磐線を使って千葉へ帰ることに。

途中、なぜか駅構内と周辺の雰囲気が良くて突発的に降りたのが、JR水戸線・稲田駅。

 

この2012年当時は木造の味のある駅舎でしたが、残念ながら翌2013年に建て替え工事があり、この駅舎はすでに過去帳入りとなってしまいました。

今にして思えば、ここで降りたのも偶然とはいえ良かったなと思います。

静かな夜の田舎駅で過ごすこと1時間。虫の鳴き声ぐらいしか聞こえないこの駅で、次の電車までの待ち時間は、思いのほかあっという間でした。

そして友部で常磐線に乗り換え、千葉へ帰ったのでした。

 

 

そんなわけで、これが震災以後初めての東北行きでした。

そこから2年弱の間が開くのですが、なぜか2014年から怒涛の東北攻略戦が始まります。

それはまた別のお話。

 

次回「福島会津の旅(2014年4月)」に続く!

 

■この日のツイートはこちら→2012年8月7日

人の気持ちなんて移ろいやすいというけれど、実のところ意外とそうでもないのではないかと拍子抜けしてしまうほど、あの2年と数か月の間に起こった様々なできごとは、今も仲間たちと集った時に繰り広げられる話題の中心であり、そしてそんな仲間たちを繋ぐ絆であることに変わりはない。いつだってあの日々の出来事は、より美化されて、鮮明に思い出されるのだ。

 2016年6月12日のツアーファイナルを最後にライブがなくなり、その後7月に解散が決まり、9月21日に最後のライブが行われた。そしてそこからも半年ほどが過ぎた。時間の流れという者は早い。
あれから新しいアイドル現場を見つけたやつもいれば、元々好きだったバンドのライブに傾注するやつもいる。過ぎゆく日常に埋没するように生きているやつも、少しぐらいはいるだろう。自分たちは大人だから、いちいちそれぞれの生き方について干渉しないし、そもそもどのような仕事をしているかとか、家族構成とか、相手の人生についてそこまで知らないのだから、干渉のしようがない。でもそれが心地いいものだったりする。

 そんな年齢や性別、趣味、音楽の嗜好が違う様々な人が1つのアイドルグループのライブを通して知り合い、ライブハウスで熱量を共有し、彼女らが終わりを迎えても時々遊んだり、ライブへ出かけたり、酒を飲んだりして関係性を保っているのは、なんだかおもしろい。
自分の推しは、最後に「私たちが終わっても、ファン同士これからも仲良くやってほしい」って言ってたから、少なくとも自分に関して言えば、その遺言(一生会えないと思っている以上、この表現もあながち間違ってないだろう)を律儀に守っているんだろうなと考えると、結局推しありきだなぁと自虐的な笑みを浮かべてしまう。

 特定のアイドルグループに足繁く通って仲間とライブを楽しんで、次にまた会おうと言って別れて、それを繰り返す。そこに行けば出会える友人がいる。今にして思えば、まるで学校みたいな場所だった。
学校と違うことは、年齢という共通項だけで自動的にそこに集められるか、何もかもが違う人々が自分たちの意思で集まっているかの違いだろう。同じものを好きで集まったのだから、何もかもが違っている中だって、共通項が存在する。もちろんその度合いは様々だったし、推しが好きで通っていたとか、音楽が好きでとか、理由も様々だった。しかしその中心には、いつも彼女たちがいた。
 グループが解散した理由は様々あるかもしれないし、たぶんこれといった決め手もないのかもしれないけど、個人的には良い終わり方をしたなと思っている。発つ鳥跡を濁さず、後腐れのないきれいな最期だった。だから今でも、このグループを好きでよかったと思っているし、良き思い出のままで残っている。アイドルを推すなんてバカみたいなことを、バカ真面目に楽しくやっていた。だからたまに昔のことを思い出しては、感傷に浸ることに心地よさを感じてしまう。こんな文章を書いてしまうのも、その延長だろう。

 恥ずかしながら、20代後半になってアイドルの現場に通い始め、地元に現場が少ないからと東京(住所は千葉)へと出てきた自分。そこからもう6年が過ぎていた。そのうちの2年数か月を、1つのグループに費やした。1つのグループ、1人の推しに対して極限まで情熱を注ぐことは、その歳月で全てやり切ったと思っている。金銭的にも、精神的にも、肉体的にも、同じことをもう1回やれと言われても絶対にできない。何せ、一番長く付き合った彼女よりも長い時間と高い金を使っているんだから。
 自分は割と飽き性というか、器用貧乏なところがあって、何をしていても途中で先が見えてしまって、もういいやとなって投げ出してしまうことが多い。だけれどもこの現場で「やり切った」とまで言えるのは珍しいことだし、それがプライベートな話にしろ、そこに自分の生きる価値や希望を見出していた以上は、そこが現実だった。遠くない将来に終わることが分かっていても。

 その現実は今、記憶の中にしかない。これまでと同じ現実、あるいは新しい現実がまた自分の頭上に乗っかってきている。長い人生、そんなものだろう。
 しかし自分にとっては、過去に得ることができなかった青春時代そのものの記憶として、この先もずっと持っていこうと思う。10代後半ぐらいで普通の若い人が過ごすような日々を過ごすことができず、そんなに面白いこともなくて日々悶々としてた自分が、30歳を過ぎているにも関わらず青春時代と同じようなことをできたのが本当に嬉しかったから。

 記憶というものは美化されて、頭の中に根を生やして、永遠に育っていく。それでいい。これからもそれを糧にして生きていきたい。そしてこれから刻まれる新しい記憶と共に、それらを死の間際に思い出して、微笑んで旅立つことができれば幸せなことだと思う。
 そして今はもう会えなくなってしまった推しに改めて、人生の少しの間だけでも日々の暮らしに充分すぎるぐらいの潤いを与えてくれたことに感謝したい。宮沢野乃香は、これまでもこれからも、おれの最高の一推し。

長文を書くのは久しぶりのべるしぃです。

昨夏からいろいろお出かけネタを書こうと思いつつ筆不精になり早半年、久しぶりに記事を書こうと思います。

 

昨年11月30日に発売された欅坂46の3rdシングル「二人セゾン」。世間的にも個人的にも評価の良い名曲。

そのTYPE-Cには、欅坂46とけやき坂46(ひらがなけやき)を兼任している長濱ねるさんの個人PV「じぶんルール」が収録されているのですが。

 

【こちらは公式の予告編】

この作品内で静岡県の「岳南電車」がロケ地として使われていました。鉄ヲタのべるしぃさん、これに食いつかないわけがない。

というわけで行ってきました!

 

 

岳南電車はその名前の通り、富士山の南側の麓を走る電車。

その始発駅は静岡県富士市・JR東海道本線の吉原駅に隣接しています。

 

吉原駅は熱海駅と静岡駅のちょうど真ん中ぐらいに位置する駅で、どちらからも普通列車で約40分(乗り換え等の時間は含まず)ほど。

青春18きっぷが使えるシーズンであれば、普通列車でも割と気軽に東京から日帰り往復できるかなと思います。(東京から普通列車で約3時間ぐらいというところです)

 

通常の改札口とは別に、ホームの静岡側に岳南電車乗り換え口へ行くこ線橋があり、これを渡っていきます。

 

[岳南電車Webサイト]

http://www.fujikyu.co.jp/gakunan/home.html

[吉原駅構内図]

http://railway.jr-central.co.jp/station-guide/shizuoka/yoshiwara/map.html

 

というわけで乗り換え口にやってきました。

乗り換え口にはJRの自動改札、そして岳南電車の窓口があります。なお、JR乗り越し精算等はできないようなので、通常改札口で済ませましょう。

 

 

上の写真の左側に、ねるちゃんたちが話していた待合室があります。

掲示物は定期的に変わっているようですね。岳南電車さんの乗客の方への心遣いが感じられます。

 

  

寝不足になりながら考えてきたじぶんルールを発表する、待合室から改札口を通ってホームまでのシーンのカットを、いくつかトレースしてみました。

当然ですが改札口から先のホームに入る場合は、入場券(150円)が必要になりますのでご注意を。

ちなみにその入場券、「硬券」と言われる昔ながらの硬い紙を使用した切符が使われていて、鉄道好きにはたまらない逸品になっております。

 

改札を入ると、ホームはこんな感じ。1面2線の割と広めのホーム。

 

  

「アイツ」を待ったのに電車が発車してしまった時の場面。

 

そして逆側のホームが、最後の場面に出てくるほうですね。

こっち側には日中は電車が停まらないようでした。残念。

 

というわけで、簡単ではありますが、長濱ねる個人PVロケ地探訪のご紹介でした。

 

1両の電車が走る、地元に愛される小さなローカル線、岳南電車。

長崎育ちのねるちゃんの素朴な雰囲気にぴったりな駅や電車の風景が、個人PVの趣をより強くしているのかもしれませんね。

 

ちなみに岳南電車は赤と青の2色の電車が走っていて、ちょうど来た電車がロケと同じ青色のほうだったのはラッキーでした。

 

「好きです。」

 

\オレモー!!/