五山送り火が行われる8月16日は、京都市内で2件の大きな火災が
起きた日であることをご存じだろうか。
昭和29(1954)年に京都御所にある小御所が燃え、
その33年前の大正10(1921)年にも大丸呉服店京都店(現・大丸京都店)が
火に包まれた。
幸い死者はなかったが建物は全焼した。
京都の歴史に刻まれながら、その記憶は時とともに薄れつつある。
小御所の火災は午後10時55分ごろ、消防が覚知した。
小御所は紫宸殿の北東に位置し、1868年に「王政復古の大号令」を受けて
貴族や薩摩藩士が徳川家の処遇を話し合った「小御所会議」の舞台として知られる。
『京都消防と災害』(京都市消防局)によると、
出火原因は当日午後2時から10時まで鴨川で行われた読売新聞社主催の
花火大会だった。
市消防局は、打ち上げ花火の落下傘に残っていた火が小御所の屋根に落ち、
燃え広がったと断定した。
その33年前。
大丸呉服店の火災は営業前の午前4時55分ごろに発生した。
4階建ての本館が燃え、周囲の民家9軒も半焼した。
火災を報じる翌日の京都日出新聞の記事は
「物凄(ものすさ)まじい物音と共に見る見る二階三階四階から別館まで舐(な)めつくし
さしも八百餘(よ)坪の宏大(こうだい)な建物が僅(わず)か三十分足らずに
全部猛火に包まれてしまひ」
と生々しい。
当時、大丸関係者にとって、送り火の日の火災は皮肉に映ったに違いない。
『大丸二百五十年史』によると、江戸期創業時の屋号は「大文字屋呉服店」で
「あかあかと燃えさかる大文字の送り火を繁栄の象徴と感じて名付けられた」
とあるからだ。
火災後、大丸は焼け跡に仮設店舗「フェニックスホール」を造って
大売り出しを実施したところ盛況となり、まさに「不死鳥」のようによみがえった。
【京都新聞】