とある配信の雑感。


最終地点はともかくとして、現状の課題


○管理人同士の関係が一部あまり良くない

○管理人の配信サポート意向が異なる

○それぞれの管理人ごとの想いはありがたく受け止めているため方針が決まったとしても伝え方に困惑している


配信を盛り上げたい、という命題に対する管理人の考え方はそれぞれあるようでその事についてやや関係が複雑化している。それについて配信者は困惑しており、修正軌道が見つかったとしても管理人を尊重する気持ちが強く伝え方が難しいと考えている。


配信を盛り上げる要素は沢山あると思うがそれは全て必要条件であり、必要条件でしかない。という不可知の領域であることを受け入れることがこの話のスタートラインになると思う。


恐らく、それをある程度理解した上で経験上有効だと体験した方法が管理人それぞれの配信を盛り上げる要素としてのファーストチョイスとなっているんだと思う。



先に私なりの結論から提示すると

【先入観、経験をあてにするな】

【管理人という役割に個人の意思はほぼ必要ない】

【弱さという器の強みを知る】


この3つの結論は全ての配信者に該当すると私は考えており、その根幹は「ライブ配信は生き物」のようなものであり「ビジネス」であるということ。


常に可変的で、オープンであること。そしてリスナーはお客さん(customer)であるということ。同じ場面は二度と起こらない、という意味で【経験】という主観的なものが根拠になりにくい、そして先入観つまり思い込みというのも根拠にはならないわけだ。常にその場に溶け込む適応力が重要なのであって、それを忙しなくならぬようにはコントロールして配信の流れをスムーズにするのが管理人に求められる技ではなかろうか。


そして配信者と管理人のサービスは常にリスナーに向くべきであるということ。配信者のビジネスモデルに寄り添う事が重要で、管理人の判断(権限を与えれば話は別)が一致しなければスタンドプレーのような管理になるわけだ。

ライブ配信のサービスとは一言にするとエンタメを提供する、ということになるわけだが「集客」という点においてはそれの前の段階のことである。

様々な手段が検討できるが、もっともポピュラーで簡易的な方法としての新規や他枠からの集客を目的として課金手段は管理人の役割に必ずしも属さないわけである。


定期はどうだろうか。

適切なタイミング、文字数、装飾が噛み合えば有効になる場合もあるが、基本的に人間は長い文字を読むのが嫌いだ。また、頻投稿することによって定期そのものが鬱陶しく見えることもある。

有効と無効の両面を持つため、配信者の意向やその時の雰囲気、会話の速度などを読める人物に責任を持たせるといいんじゃないかと思う。


そして弱さという器の意味だが、世の中には一定数"頼りないから助けてあげたくなる"ようないわゆる『憎めなくて放っておけない奴』、というのがいる。

そんな不束な自分を恥じて強化する人もいるが、考え方によっては助けてくれるサポーターを増やして、それがファンになっていく。という流れもある。


これには傾向としてそういう状況に見えやすい似た状況を意図的に作る人もいるわけだが、それはひとつのビジネスモデルとして成立しているのだ。


まとめると、一般企業におけるビジネスモデルも配信同様にモデル化し、それに沿ったチームビルディング(配信者+管理人)、サービス提供(ライブ配信)、という基本的な土台作りをしていくと、そもそも本当に管理人が必要なのか?という根本的なところからの検討が必要になるわけだが、今回の話においては管理人は配信者の精神衛生管理者としての役割も担っているらしく基本的には管理人の存在は不可欠、ということで固定土台として考えていくといいのではないかと思う。


ライブ配信がなにかのビジネス媒体になる人こそ、こういった基本的なことをまず検討し、他人に振り回されないような根を張る取り組みにチャレンジしてみることを提案したい。

生き物のようだ、と記述したが『根が弱い植物は大木にはなれない』ということに最後無理やり繋げて雑感にしては長い独り言の結びとしようと思います。

偏った意見ですみませんね。