私たちの存在に対して、そしてこのメッセージの意味合いを、これまでのメッセージを読んでくださった方々は、どのように受け止めていらっしゃるでしょうか?なぜこのような形で、あなた方に伝えられているのでしょうか?
まず、このメッセージを読んでおられる方々は、ビーワンプロジェクトに携わっている方々、または、まったくそれに関係のない方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、それらの方々が、こうしてこれらのメッセージを読んでいて、ああ、ビーワン等のエネルギー商品に関わる人を対象とした、ビーワン等の説明のメッセージなのだという受け取り方をされる方がほとんどではないでしょうか?
確かに、その通りと言えばそうとも言えるのですが、では、これらのメッセージの本来の目的は、やはりビーワン等のエネルギー商品についての補足的な説明のためのみ、あなた方にこのような形で伝えられているのでしょうか?
答えはNOです。なぜならば、このようなメッセージは、今現在も含め、そして遠い過去からのタイムスパンの中で、繰り返し、そして何度も、いろいろな方を通じ、または、様々な形で、あなた方に伝えられ続けているものだからです。
では、これらのメッセージをあなた方に伝える私たちは、どのような立場、及びどのような存在なのでしょうか?
以前にもそこの部分に少し触れたことがありますが、私たちはあなた方と同様、肉体という衣をまとい、この物質次元である、あなた方の地球をはじめとした世界で、実際にあなた方と同じように生活し、そして悩み、苦しみ、そして自己の本質的な真我とも、スピリットとも呼ばれる自己に目覚め、そして、このあなた方のいる次元から、アセンションをした魂の集まりであるのです。そして、あなた方人類に呼びかけ、そして、内なる神性に対する気付きをうながし、人類全体の成長、そして、この地球をはじめとした物質世界を含めた様々な宇宙全体の管理、維持を司っているのです。こういった言い方をされると、まるであなた方一人一人が、すべて管理され、監視されているような感覚にとらわれがちですが、私たちはあなた方一人一人の自由意志に対しての干渉及び、押し付けや支配につながるようなことは一切していません。なぜなら、私たちを含めた生命のすべてが、一つの命、一つの意識から派生した絶対的な自由であり、喜びであるところのただ一つの生命そのものなのです。そしてあなた方は、いろいろな世界、次元、そして自分自身の意識によって、さまざまな形体を取りながら、自己というものを自由に作り出し、そして体現していくのです。
では、すべてが自由であるならば、余計なおせっかいを焼いていると言われればそれまでなのですが、あなた方人類が、この地球に今の形体として誕生して以来、あなた方は、数え切れない生を繰り返し続けるうちに、本当に限定されてしまった自我と呼ばれるものが本来の自分自身だという錯覚におちいり、本質的な自己の姿を忘れ去ってしまった魂がほとんどになってしまいました。そして、自分たちで作り上げた思い込み、そして、数多くの経験から作り上げられた固定された人間意識、そしてそこから派生する限られた思考、限られた意識により、そしてそれらが、限られた人類全体の社会意識を形成し、そしてそれにすっぽりと覆われ、抜け出せないのがあなた方の大多数の現状なのです。
そして、一つ一つの国や、地域の決めごと、そして多くの宗教等の教えと呼ばれるもの、そのようなあなた方を限定していく数多くのとらわれを抱え、肉体そのものが、自分自身だと思い込んでおられる方々のなんと多いことでしょう。そしてその結果、あなた方は地球といったこの狭いフィールドに固定され、抜け出せず、転生を繰り返しています。
あなた方に一つ申し上げたいことがあります。例えば、あなた方がカルマという言葉をよく使われる方がいると思いますが、果たして、カルマというものが実際に存在するでしょうか?多くの宗教団体等において、カルマという、つまり自己がなしたことは、カルマ(業とも呼ばれます)になり、その結果として、今生、または、来世と呼ばれる次の生において、その報いを受けるという一つの考え方があります。では、それは存在するのでしょうか?
実は過去の記憶、経験の集積に対して解放されない場合に存在するのです。(人類のほとんどはそこからの解放がない状態で存在しています)
私たちはすべてにおいて完全なる自由意志を持っています。つまり、この自分自身の世界というものは、自己の意識によって現象として現わし、それを私たちは自己の現実として経験しているのです。つまり本来は、ドラマや映画のように自己によって演出されている世界なのです。そして、あなた方の周りにいる人たち、または、あなた方に立ち現れてくる現象、そして現実というものは、あなた方の意識の投影に過ぎないのです。
では、あなた方が他の人に行ったことは、実際あなた自身に報いとして返ることはないのでしょうか?単純に、人を殺せば自分が殺されるとか、傷つければ傷つけられるような形で返ることはありません。
では、何を他の人にしてもいいのではないのかという問題になってくるのですが、実際あなた方は何をするのも許された存在なのです。そして、自己の意識にある経験したいことをこの現象の世界に現し、そこから、経験を通して理解していくのです。
あなた方は、この肉体を死という形で終えたとき、あなた方は、自分が生まれてから死ぬまでの自分の行為、そして意識のすべてを、そして、そこに関わったすべての存在の意識をも、同時に、完全に自分自身として体験するのです。
例えば、誰かを傷つけたと仮定します。すると、あなたは、傷つけている自己の意識と、自己によって傷つけられている人の意識を同時に自己の意識として体験するのです。つまり、他の人に対して、自己がなしたすべての、そして、他の人に向けたすべての思いは、すべて自己に対して向けられていたことを、その時理解するのです。そして、あなた方が今現在、肉体をもって実際に生活しながら、多くの存在と関わり合いながら、それぞれ生きていることと思いますが、その中で、あなた方が他の人を非難するとき、自己を非難していることになり、他の人を自己の限定した意識で限定するとき、自己を限定することになり、あなた方が、他の人を認めないとき、自己を認めないこととまったく同様なのです。そして、それらを繰り返せば繰り返すほど、結局自分で自分の首を締め付けていくことにつながるのです。
つまり、私たちは、他という存在を、自己と他はまったく別であるという認識のもとで生きているわけですが、実際あなた方の一人一人の目の前のすべての世界、すべての現実、すべてのすべてが、あなた方の自己を映し出しているのに過ぎないのです。そして、自己の本質というものを認識する過程においては、あなた方はそのことを、肉体をもった状態で気付いていくことができるのです。
そして、自分自身を受け入れることと、自分自身を愛することと、他の人を愛することはまったく=(イコール)で結ばれているということに気付いてくるのです。
あなた方の取り組んでおられる環境問題も同様のことが言えます。つまり、川や海を浄化するのと、あなた方の心身を浄化するのも同様に=(イコール)なのです。ただし、ここで気をつけていただきたいことは、例えば、よく宗教などであることなのですが、自分たちの価値観を理解しない人、自分たちの考えを受け入れない人々に対して、それはおかしい、その考えは改めるべきと批判したり、排斥したりする方々が数多くいますし、実際それが、民族間に起こる戦争の原因になっているケースが多いのですが、自分たちの考え、意見に沿わないもの、それを受け入れない人を、自分が受け入れないと言うことは、それがそのまま自分自身を受け入れない、そして、狭い思考に自分自身を限定することにつながることをどうぞ忘れないでください。
すべてを、善悪で判断しがちなあなた方ですが、この大宇宙にとって、善と悪という二極は本来、存在しないのです。そして神というものは、善でも悪でもない、ただ在るということ、自由であり、喜びであり、愛である、在るということそのものなのです。
そして、あなた方すべてのすべて、自己を限定するものすべてから、自己を開放し、自己の本質そのものに立ち戻るとき、神そのものである自己を理解するのです。