我々は、知らないということに気付いて初めて、知らなかった自分に気付くことがわけですが、ここに大きな落とし穴があります。自分が知っていないことを知らないわけですから、それは聞いて聞かず、見て見ずという状態にあるということです。まず、このことに気付かなくてはなりません。
また、反省するという言葉がありますが、人間は反省することが苦手です。反省というのは、気が付いて初めてできることですから。ところが、ほんとに反省した「つもり」で終わっています。
自分に間違いがあった、改めなければならない、と気づいて初めて反省ができるのです。それがわかっていても、なお、覆い隠そうとするのがまた人間です。我々には、そういうエゴがあるのです。
つまり、我々人間には二面性があるのです。すなわち、欲望の自分、自我の自分、そして、良心の自分です。真我の自分です。誰もがそうです。みな二面を持っています。これも相対の関係です。
換言すると、我々の中には、船頭が二人いるということです。自我という船頭と自我という船頭が。二人の船頭が舵取りをしていたら、混乱するのは明らかです。
真我の船頭は、これがまた大変優しく、控えめです。だから、他を押し退けてまでもやろうとはしません。それが本人にとって、また世の中にとって、どんなに良いことであってもです。ところが反対に、自我という船頭は他を押しのけてもやってしまいます。それぞれの船頭は、そのような性質の持ち主です。
例えば、禁煙しようとする。そうすると「なにも止めなくてもいいじゃないか」と自我の船頭が言います。真我の船頭は、「それもそうだね」と、すぐ妥協してしまいます。
また、真我の船頭は、「環境の仕事をしめいるんだから、止めたほうがいいんじゃないか」とも言います。すると自我の船頭が、「煙草を吸っている人はいっぱいいる。経済効果もあるし」というと、「それもそうだね」と。この繰り返しです。だから、結局は止めれません。
●実感がともなわないと、「つもり」で終わってしまう
なぜそうなってしまうのか。それは、実感していないからです。深い部分での実感がないからです。「社会の問題だけじゃなくて、自分の健康にもいけないことだ!!」と、気付かない限りは、一向に変わりません。それが「つもり」ということです。実感がないと、何事も「つもり」で終わってしまいます。
自我はいろいろな理由をつけて、自分を正当化しようとします。いくらでも言い訳を用意します。そういう二人の船頭は誰の中にもいます。
先ほどの禁煙の例えですが、煙草を止めますと言って、あめをなめたりパイプにしたりもしますが、結局は難しい。当然です。本心では、止めようと思っていないのですから。実感していないということです。本当に止めようと思ったら、その時点でスパッと止めるでしょう。これが気付きです。だから、実感しないで何かをやろうというのは、一切継続しないということです。
「○○見てせざるは勇なきなり」という言葉があります。この言葉は、正しい=勇気だということを表しています。勇気があるからできるのではありません。勇気があるから正しいのでもありません。正しいことだから我々はできるのです。
正しいと思ったらやることです。逃げ道をつくって正当化していることは、正しく見ていないということの証です。気付いていないということです。やらないということは見ていないということ。利己で見たもには勇気はありません。ですから、正しいと思ったことは、率先して積極的にやることです。
このことは、ビーワンにも当てはまります。ある美容師が、環境に良いという理由でビーワンを導入したとしても、気付きがないと、それを使いことを止めてしまいます。使いこなすことができないからです。なぜなら、環境にいいという新しい商材が出たら、そちらに切り替えてしまうに違いありません。価格の比較もするでしょう。ですが、それは環境にいいことをやっている「つもり」であって、気付きではありません。やっていると思い込んでいるだけなのです。「つもり」と「気付き」はまったく違います。
これは今の社会全体に当てはまることです。政治にしても、社会にしても、企業にも全部です。会社においても家庭においてもまったく同じ。本人が知っていないということを知らないのですから、やっている「つもり」でしかありません。まずは、そのことに気付くことが先決です。知らないことを知ることが重要です。
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