お陰で、私は経営のコツを摑むことにより、お店の工事も順調に進み、何事も心配することも無く、共同建築で4F建ての住宅兼店舗「珍竹林」という割烹料理店を42才の厄年でオープンさせることができました。

お陰で、周りからも注目される大繁盛店になりました。

新たなお店のオープンから2年後のことです。「PHP沖縄全国大会」がちょうど沖縄で開かれることになりました。その時に、なんと私が沖縄代表として体験談の発表者の3人に選ばれることになったのです。

何故、私が選ばれたのかは最初は理解できませんでしたが、1つ目の理由として、一日も休まず通い続けたことにより、沖縄PHPという会の火を消すこと無くともし続けたということと、2つ目が、小さなラーメン屋さんから大きな割烹料理店へと事業の拡大に成功したというのが理由でした。

全国大会が沖縄で開催されるわけですからPHPの本部から講師の先生方や来賓の方々をお迎えし、1500人規模の会場の中でお話をするわけです。舞台の中央にライトが降りそそぎ初めてスポットライトあびるわけです。しかし会場のお客様の顔も全く見えませんでした。数日前から原稿を書きおろし、必死で覚えたつもりでしたがいざ、当日私の頭は真っ白、足はガタガタ震え、何を話したかは全く覚えてはおりません。その当時の私は人前で話をするのが大の苦手で、これが人生において最初で最後と思って引き受けることにしました。今、日本全国で公演活動をさせて頂いておりますが、まさかこのような状況になるとは思ってもいませんでした。この経験が私の礎になっていると思います。

講演の内容ですが、「学生時代から勉強らしき勉強を何もせず、学歴も無く、いちラーメン屋のおやじがPHPの会のおかげで経営のコツを、自然の法則を学ばせて頂き、実際に大きな割烹料理店をオープンさせることがでましたことを心から感謝をいたします。」という、感謝の思いが内側から込み上げてきた内容だったと思います。思いが伝えわったのでしょうか・・・。

その当時、世の中は、不景気の時代でもありましたが、沖縄の船井総研と言われている経営コンサルタントの方が、「こんな不況の中で繁盛しているお店がある。是非、見に行くように」と私の名前やお店の話が講演の中で出るようになり、沖縄の飲食店業界でもかなり話題になりました。様々な会社や異業種の会から講演依頼や、さらに話を聞きつけたお客さまが来店されるなど、私のお店は大繫盛店になりました。

これが私の「経営のコツここなりと気づけば百万両」という気づきによる実感体験です。

 

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