昨日、久しぶりに、ある友人が電話をくれました。
お互いに、SNSで近況をなんとなく知ってはいたけれど
なんだかんだ1年くらい会っていなかったので
積もる話もあり、気がつくと1時間以上近く話しこんでいました。
終盤になり、彼女が電話をかけてきたのには、ある目的があったとわかりました。
どうやら、わたしに「薦めたいもの」があったようです。
その「薦めたいもの」とは、とある自己啓発系プログラムでした。
数ヶ月前に彼女自身も受講し、それによって自分の内面にさまざまな気づきが起こったそうです。
その結果、自分の悩んでいたことや、行動の妨げになっていたものがなくなり
本当にやりたいことが見つかったと、言っていました。
そして、わたしにもそのプログラムの受講を是非ともオススメしたい、というのです。
色々なことに興味があって
特に「自分を知る」ことに貪欲だった。
あらゆるツールを使って、自分という人間を知りたいと思っていた。
本当に自分がやりたいことを見つけたいと思っていたし、見つける方法は何でも試してみたいと思っていた。
そう、
意図的な自分探しが、たまらなく楽しかった。
ナチュラル系のものからアカデミックなものまで
講座やセミナーやら、色々なものをかじりました。(遠い目)
そのときはそれを本当に楽しんでいたし、あの時期があってこそ今があると思う。
だから、何事もやってみてよかった、と思っています。
自分の心が、そうしたいと言っていたから、それでよかった。
昨日の友人からの誘いに対しては、迷うことなく、こう答えました。
「お誘いありがとう。でも今その話を聞いて、心から興味が湧かないみたい。興味が湧かないということは、今の自分に必要ないんだと思う。本当に必要なときが来たら、自分からまた声をかけるよ。」
本当にやりたいことは、見つかっていません。
というか、すでに見つかったとも言えるし
まだ見つかっていない、とも言える。
要するに、そこにこだわらなくなった気がします。
私が本当にやりたかったのは、これなんです

と言えるようなものがあっても、なくても
今、とても幸せだし
朝目が覚めて、やりたいことがある日も、何もやりたいことが思い浮かばない日も、
どっちも愛おしい。
自分という人間のことなんて、きっと死ぬ直前になっても100%全てはわからないかもしれない。
だからこそ悩むこともあるかもしれないけど
それが人生だし、生きる醍醐味と思う。
悩むことがない人生は、きっとわたしには退屈だ
明日はこれを作って、こういう風に食べよう。
明日はどこどこへ行ってみよう。
この人にこんなサプライズをしてみたらどうかな。
自分の感覚や、自分の中から起こるアイデアを大切にして進んでいけば
いつの日か
本当にやりたいことが見つかるかもしれないし
そんなものは見つからなくてもいい、と思うようになるかもしれない。
明確な目標やゴールがあり、それに向かって突き進むこと人生の醍醐味

という人も、もちろん大勢いるだろうし
目指すことに向かって努力するって素敵なことだと思います。
だから、やりたいことを探すこと、の否定はしません。
人それぞれ、幸せのかたちも違うなら
人生の楽しみ方も違っていい。
自分にとってよかったものが、他人にもよいとは、限らないのです。


