自分と違うモノサシやメガネを持っている人と話すことは、刺激的です。
自分にとって新しい価値観や考え方に触れることは、多くの場合がとても新鮮で楽しいものですが
ときには不快な感情を抱くこともあります。
そして、その体験を通して、その時の自分を知ることになります。
先日、その後者を体験する機会がありました。
とある自己分析ワークショップに参加したときのこと。
ワークショップの前半は、各自が自分と向き合う時間。過去の人生経験を振り返りながら自分についてとことん考え、自分に当てはまる考えるいくつかのキーワードを集めていきます。
次のステップでは、その作業で出てきたキーワードたちをカテゴリーに分けていきます。
最後に、同じテーブルの他の参加者たちに、各々が自分の作品について話す、という流れでした。
その最後のシェアリングの時間で、他の参加者の方が言っていた言葉に
どこか違和感のような、どちらかといえば不快に感じる何かを覚えました。
他の人の話を聞いて、彼女が強い口調で放った一言。
「音楽やってる人なら、絶対そういうものがあるはずだもん」
その彼女が言った、絶対、という言葉が、わたしには受け入れることができませんでした。
どうやったら、他人のことに関して、絶対○○なんて言えるのだろう?
わたしには、できない。
しばらくインシャアッラーのカルチャーにどっぷり浸かっていたからか、今の自分の価値観なのか、わからないけれど
絶対と言える、しかも他人についてのことで言える、って、一体どんな境地なのだろう?と思ってしまうのです。
でも、少し前なら、わたしだってそういうことを言っていたような気もする。
彼女にとっては、絶対そうである、と言い切れることがあることが、しあわせな人生なのかもしれない。
わたしにとっては、絶対、なんてなくていい。
少なくとも、人間が絶対と決めつけられるものなんて、ない方がいい。
その方が、自分にとって幸せだし、生きやすい世界だと感じるのです。
モロッコから戻り1ヶ月となる日、そんな今の自分に気づかされました。