これはこの地域の伝統的な食べ物で、とか
伝統的には、こういう方法で作っていた、とか
毎日のようにどこかしらで出てくる。
砂漠での夜、他国からの旅行者たちと、火を囲みながら話していた。
日本食について話題が盛り上がっていたとき、ドイツ人の彼が「日本人は伝統的には、肉食ではなかったしね」と言った。
「そうそう、魚や穀物中心の食生活だったからね」と、その時はあまり気に留めずに返した。
でも、あとで考えてみたら、魚も食べていない時代もあったはず。
そう思うと、
どこからどこまでが伝統?
そもそも、伝統的かどうかって、どうやって決まる?
伝統が変わったり、アップデートされることはあるのか?
伝統の反対語ってなんだろう?
と、疑問がたくさん浮かんできて。
考えだしたら止まらなくなってしまった(笑)
伝統とは、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋などの有形あるいは無形の系統を受け伝えること、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い伝えて来た、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術、あるいはそれらの中心をなす精神的あり方などのことをいう。(Wikipediaより引用)
その「古くから」ってのがざっくりしていてますます疑問だけど、とにかく「何年続いている」という定義はなさそう。
トマトの原産は、メキシコやペルーなどの中南米とされている。
コロンブスが新大陸後に、スペイン人によってヨーロッパに持ちこまれ、のちに世界中に広まったと言われている。
ということは、それ以前は、ペルー以外の国の人は、トマトを食べたことも、栽培したことも、見たこともなかったはず。
他の国や文化から持ち込まれたものでも、長い年月をかけて経てそこで根付けば、立派な伝統になりうる。
そう考えると、今はまだ歴史の浅いものも、100年後、200年後には「伝統○○」と呼ばれているかもしれない。
「伝統だからよい」ということは必ずしもないのだろうし
そもそも何をもって「よい」とするかは人によって違うので、なんとも言えないけれど
長い年月の間愛されて来たものには、信頼が生まれる
ということは、多少なりともあると思う。
なくならない、続いている、継承されている
ということは、それだけ人々が価値を認めていること。
時代に合っていた、ということもあるだろう。
だから、時代が変わり、合わなくなれば、いつかは必要とされなくなる日が来ることもあるかもしれない。
それでもやっぱり、伝統的と呼ばれるものに惹かれるし、かっこいいし、安心感がある
古くから続いていて、今でも人びとの暮らしに根付いた伝統文化は、素敵だと思う。
伝統的なものに触れることで
その土地の風土だったり、その地で暮らす人々が何を思い、どんな考え方や価値観を大切にしてきたか
少しでも想いを馳せることができるから。
伝統料理タジンに使われる鍋のパーツを作る職人、アノワール。
こうやって若い世代に受け継がれているのを見ると、うれしくなるなぁ。




