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半井紅太郎を応援する会

福島県・BENTONスクールの塾長であり、作家でもある半井紅太郎さん(なからいこうたろう)さんを応援する人たちのブログです。著作「ベントン先生のチョコボール」の宣伝や講演会イベントを企画しています。

5/12横浜での子育て・教育トークイベント講師のベントン先生

彼の福島県田村市での近況をちょっと覗き見しちゃいましょう(´∀`)

※ 文中の半井(ナカライ)がベントン先生です。

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「進路相談」


県立高校の受験に失敗、滑り止めの私立高校へ進学する生徒と母親との3者面談がありました。
私にとっても、原発事故以降久々の進路相談のための3面談。
この生徒は中1の時、150人中120番でベントンに。
兄弟は兄が一人の二人兄弟。
でも、兄だけがしばらく前に中国へ帰ってしまったとのこと。

「センセ、ワタシ、コノコニハ、キョウイク、タクサンシマス。キョウイクハダイジデス」

半井は、2年前、半井へむきになって話す母親の言葉をはっきりと記憶していた。
そう、お母さんは中国人。
中国人、フィルピン人、韓国人のお嫁さんの姿は、ここ田村市では珍しくない。
お父さんは、田村市出身の大工さん。
そんな家庭環境で、ベントンに通い始めてから2年間で、順位は120番から46番へ。
半井の責任は全うしている。
でも、余裕のはずの志望校の合格の夢は叶わなかった。
彼は、みんなからかずっちと呼ばれていた。
$ベントン先生のお話が聴きたい!
そんなちょっと不可解な思いで半井は2人との面談に向かった。
今回の面談は、A子先生も同席。
彼女が、教室の運営を任せていたから、彼女の情報が無いと面談が成立しない。

「お母さん、夢叶わずであったこと、申し訳ありませんでした。私の力不足でした」

と、半井丁寧に頭を下げて面談は始まった。
お母さんは恐縮して手を顔の前で横に振った。

「先生、先生のお蔭、この子、ここが大好き、だからここに来てホント良かった。先生、謝らないでください」

お母さんの顔が真っ赤になった。
ベントン先生のお話が聴きたい!

「でも、勝負はこれから、国立大学を目指してがんばろうな、かずっち」

と、半井から。
ところが、高校の話になった瞬間から、親子の表情は曇ってしまった。
聞くと、お父さんが高校受験の2日前に脳溢血で倒れ、意識不明のまま。
医師からは、意識の回復は期待できないと診断されたとの事。
つまり、植物人間なのだと。
収入は、このお母さんの稼ぎだけ。
お父さんは、身寄りもないらしい。
母一人、子一人。
本来ならば、息子が高校に入学して将来を夢見る時。
中国からこの日本に期待してやって来た結果がこれ。

「とりあえず、何かあった時は、私に連絡をしてください。それと、こいつは最後まで私が面倒を見ますから、安心してください。お前は、とにかくお母さんの相談相手になって勉強を頑張れ。お前だけがお母さんの希望だからな。分かったな」

半井は、真剣な眼差しで順に親子の顔を見詰て、ゆっくりと話した。
親子は、恐縮しつつお辞儀を。


2人が帰ったあと、早速、書類の準備を。
高校3年間、授業料無料の奨学生へ。
保証人は、母親。
返済は、出世払い。

原発事故後、ベントンスクールの経営はひっ迫。
売上は、年ごとに減少へ。
避難先で母を亡くした弔い合戦とばかりに、全国を駆け巡っていた半井。
半井はこの状況に、ボランティアを減らして教室の運営に戻ることにした矢先のことだった。
塾の運営の外に経営までを任せていたA子先生が、私の言葉を真剣に聞いていた。

「あのお母さんが、この日本に来たことを悔やんで欲しくない。これは、施しではない。私たち日本人が、日本人として恥ずかしくない事をしたまで」

と、半井はA子先生を睨むように言い放った。
そして、今度は表情が穏やかに一変して、

「という事で、また儲からないね。余計なまねばかりして、ごめんねA子先生」

と言って、半井は口をへの字に苦笑い。

「いいえ、そんなことないです。良かったです、本当に良かったです」

と、半井を見詰める晴れやかな表情のA子先生がいた。

ベントン先生のお話が聴きたい!


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ひたむきに子どもたちとお母さんに寄り添いたいと活動してきているベントン先生です。
5/12は皆さんの子育て・教育についての悩み、なんでも彼にぶつけてみてください。

「ベントン先生が横浜に!」

1月の練馬でのトークイベントの様子はこちら

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