「歌舞伎の将来のため」玉三郎、人間国宝に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2089168&media_id=42

この記事を読んで玉三郎丈が人間国宝に認定されたことで「良かった事は?」
と問われたのだろうか、「ハッキリものが言える」と、おそらくキッパリ言った
と想像され、体が震えた。本当に人格者としての大和屋が感じられ涙した僕だ。

「功なり成し遂げた人がなるもの」と、人間国宝受諾の打診を一旦、固辞したと
会見で吐露した師匠を、弟子は会場でいかに見詰めたか、または聞いたのか?

玉三郎丈の弟子である坂東功一さんは、六月の南座公演「壇浦兜軍記 阿古屋」
で要役の榛沢六郎に抜擢されたばかりだ。玉三郎丈個人色の強い公演かとも
思うが、血縁者の壁を乗り越えた配役に、大和屋の強い思いを感じた処だった。

坂東功一さんは、師匠が人間国宝を受ける会見で、偶然にだとは重々思うけど
「功なり成し遂げた人」と、おそらくは師匠が与えてくれた「功」の字を、使った
ことを、どう感受しただろうか。僕が功一さんだったら、タガを締め直すけど☆
http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/meikan/actor/124


「ポスト玉三郎育成」と無礼に書くなブン屋。「玉三郎」は「身ブン」で無く歌舞伎だ!
「東スポ」の「ポスト」に苦情の手紙を投函しようと思ったらサンケイスポーツ…
海老蔵、猿翁の言葉に「ヤバい!感動です」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2087298&media_id=96

猿之助丈に「伊達十は君ね」と言われたら、僕は感動はするが、ヤバいと言わぬ。
「伊達十」より「桜姫東文章」を観たい。観るなら市川段治郎丈の権助の映像を
叩き込んで臨む。清玄を務める片岡愛之助丈の脇を固める(?)姿勢と出来を
見詰めて、叔父・片岡仁左衛門丈が指導する権助が、成田屋を超える未来を想像。

海老蔵が「権助は自分と似てる。教わってる父は色気がある」と言うのに表情が緩む☆
http://www.youtube.com/watch?v=7taANTlww18&feature=plcp
市川猿之助「思い出のメロディー」テレビ初司会
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2086471&media_id=42

放映日8月18日が誕生日のSMAP中居正広さんが司会を務めた方が良策
と僕は思う。紅白司会で「歌の心」を体に染み付かせてる彼が最強の司会者です。
「時代をつなぐ歌、伝統を受け継ぐ歌舞伎」とか、亀治郎で安売りすべきで無い☆
http://www.youtube.com/watch?v=-1fNbD-8avo
勘九郎「すごい!」とびっくり 松本城への登城行列で市民から大歓迎!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2084698&media_id=96

コクーン歌舞伎は第三弾の「盟三五大切」から何本か観たが途中からご無沙汰
して、前作の「盟三五大切」をWOWOW無料体験で録画放映を観たが、正直に
まったく好みでは無かった。役者陣の芝居は別として。信頼する劇評サイトで
読んだ「菊之助が串田和美を冷笑するかの良い芝居だった」という指摘が正に
天からの使いを得た様な思いをくれた。古典歌舞伎は古典でビシッと演るべし。

我が評士は「天日坊」を酷評していた。細かくは記さぬが、宮藤官九郎の脚色を
「舐めきっていて、さすがに河竹黙阿弥では手も足も出なかったとみえる」と、
一刀両断している。自分の眼で観ずとも彼(たぶん)の眼で済まそと傾く僕だ。

評士は、劇中音楽が自由劇場風のトランペット隊によるジャズ風の音を流し
下座音楽を排除していることを「音楽もとってもチープ」と実に安く見積もり、
「ロックをガンガン流せば劇団新☆感線やスーパー一座に限りなく近くなる
のは理解できるけれど…」と意味あるロック音楽使用を認めて下さるかの様
な指摘も加えた。歌舞伎の劇評で初めて「スーパー一座」の記載を見て嬉しい。


しかし、他の劇評サイトで「天日坊」を翼全開で絶賛してて、不思議に思った。
「あまりに良くて嫉妬した。これを生み出した才能に嫉妬せずにいられない」
とまで言っている。もちろん人の好みは十人十色だから両翼端あるだろうが。

串田和美氏はが「歌舞伎の力は、古典などを超えて血の中にある芸能や祭りの
ようなもの。見た事がない人でも、知らない人でも騒ぎたくなっちゃう、知識と
関係なく、ある敷居をとった時に突然自分たちのものになる庶民の文化だ」と
力を込めて語ったそうだ。しかし僕は、いい歌舞伎を観て騒ぎたくなるような
素養は持ち合わせておらず、静かな炎が自分にチャッカマンするのを覚える。
全身の力が抜け、しばらく立ち上がれなくなる。馬鹿みたいにスタンディング
「おべっか」する連中は、立ち上がる力が存分に残っており、リキ入れて観ない
連中だ。歌舞伎役者は観客を呼び込むのに「敷居が高いと思われがちですが」と
やんわり話すが、敷居は当然にあってしかるべきで、いかに「超える」のかが、
時間も空間も自意識も総動員した歌舞伎の愉しみ方であり、演出家たるお方が
「敷居をとった時」と「敷居放棄」してしまっては、呆けコノ上無しと言いたい。
http://www.youtube.com/watch?v=arXsGNBDoNk