勘九郎「すごい!」とびっくり 松本城への登城行列で市民から大歓迎!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2084698&media_id=96

コクーン歌舞伎は第三弾の「盟三五大切」から何本か観たが途中からご無沙汰
して、前作の「盟三五大切」をWOWOW無料体験で録画放映を観たが、正直に
まったく好みでは無かった。役者陣の芝居は別として。信頼する劇評サイトで
読んだ「菊之助が串田和美を冷笑するかの良い芝居だった」という指摘が正に
天からの使いを得た様な思いをくれた。古典歌舞伎は古典でビシッと演るべし。

我が評士は「天日坊」を酷評していた。細かくは記さぬが、宮藤官九郎の脚色を
「舐めきっていて、さすがに河竹黙阿弥では手も足も出なかったとみえる」と、
一刀両断している。自分の眼で観ずとも彼(たぶん)の眼で済まそと傾く僕だ。

評士は、劇中音楽が自由劇場風のトランペット隊によるジャズ風の音を流し
下座音楽を排除していることを「音楽もとってもチープ」と実に安く見積もり、
「ロックをガンガン流せば劇団新☆感線やスーパー一座に限りなく近くなる
のは理解できるけれど…」と意味あるロック音楽使用を認めて下さるかの様
な指摘も加えた。歌舞伎の劇評で初めて「スーパー一座」の記載を見て嬉しい。


しかし、他の劇評サイトで「天日坊」を翼全開で絶賛してて、不思議に思った。
「あまりに良くて嫉妬した。これを生み出した才能に嫉妬せずにいられない」
とまで言っている。もちろん人の好みは十人十色だから両翼端あるだろうが。

串田和美氏はが「歌舞伎の力は、古典などを超えて血の中にある芸能や祭りの
ようなもの。見た事がない人でも、知らない人でも騒ぎたくなっちゃう、知識と
関係なく、ある敷居をとった時に突然自分たちのものになる庶民の文化だ」と
力を込めて語ったそうだ。しかし僕は、いい歌舞伎を観て騒ぎたくなるような
素養は持ち合わせておらず、静かな炎が自分にチャッカマンするのを覚える。
全身の力が抜け、しばらく立ち上がれなくなる。馬鹿みたいにスタンディング
「おべっか」する連中は、立ち上がる力が存分に残っており、リキ入れて観ない
連中だ。歌舞伎役者は観客を呼び込むのに「敷居が高いと思われがちですが」と
やんわり話すが、敷居は当然にあってしかるべきで、いかに「超える」のかが、
時間も空間も自意識も総動員した歌舞伎の愉しみ方であり、演出家たるお方が
「敷居をとった時」と「敷居放棄」してしまっては、呆けコノ上無しと言いたい。
http://www.youtube.com/watch?v=arXsGNBDoNk