来月7月1日は、明石家さんまサンの誕生日である。昨春の昼に「アッコにおまかせ」を
観てたら「明石家さんまがラジオで、レアグッズ入手等で世話になってるカラテカ入江に
頼まれたら、(闇営業に)行ってた~と話してた」と、話題になっていた。けさ検索すると、
「吉本がギャラ上げてくれたら、そうした仕事に行かずに済む」とも、言及したそうだ。
松嶋屋の片岡孝太郎丈が、ブログで「闇営業、、、」と題して、所属事務所を通した仕事、
本業(?)とは違う仕事について言及している。「芸人が悪いことやっとる」で済ましては
いけない、「働き方改革」の好機だと、松嶋屋さんは示唆しているのではないだろうか。
二日後に大阪で幕を開けた彼は、「歌舞伎の世界へ転職しては如何ですか?」と、
誘いをもつづっている。梨園の社会派と捉えてしまっては迷惑だろうが、松嶋屋の目、
鋭い眼を通した「歌舞伎の仕事」とは何なのか?「歌舞伎の波浪沸」を書くだろうか。
ハローワーク
きょう7月1日は、わたくし外郎童が書くブログで、テーマを「歌舞伎」とするものの数が
となる。最近に消去してしまったものもあるし、8年程前に集中して書いた文を探ってみると、
「鈴木雅之さんライブレポート」的なものも「歌舞伎」にしてしまっているので、純粋に歌舞伎に
ついて500本を書いたか定かで無いが、まぁ、良しとして、書き進めることにする。よろしくね!
さんま師匠の明石家では無い、「家」でなく「屋」が付く、「明石屋」という屋号の歌舞伎役者の
大谷友右衛門
歌舞伎公演の御園座出演をハネ、ラフな装いで、おひとりで現れた大谷友右衛門丈に対し、
ラストオーダー済んで30分後に閉店、と追い返したのは外郎童!
御園座北のレストラン「キッチンマツヤ」で当時、働いてた僕は、御園座で歌舞伎が掛かると
ご機嫌で、歌舞伎役者さんが来店するのを心待ちにしてた。そんな時、一門で現れたは…、
これは、僕が愛之助丈にお目に掛かった2回目だ。店員としてのやりとりしかしてないが。
この頃を思い出すと、愛之助丈の番頭氏の大柄な男性が、コンパクトな二人席の小振りな
椅子にデカい下半身を押し込め、ランチを食べてたこと。感じのいい方だったと記憶する。
1回目の対面は、国立劇場で十五代目片岡仁左衛門丈が「霊験亀山鉾」を掛けられたとき。
この時はまだ、愛之助丈に意識をあまり向けてなく、「染五郎丈が抜擢されてる」と思った。
開場前に国立劇場の資料館に赴き、近くの駐車場で楽屋入りする愛之助丈を見かけた。
ただ、それだけである。声を掛けた訳でも、サインや写真撮影をお願いした訳でもない。
本題の3回目を書くに当たり、妻を起こす時間が迫り、片手落ちになりそうなのが、切ない。
2001年10月、大阪松竹座の夜の部、三階席で、スーパー歌舞伎「新・三国志Ⅱ」を観た。
劇場音楽を音楽家の加藤和彦氏が手掛け、ロシアのオーケストラの演奏による重厚な音楽。
当時の僕は、歌舞伎の仕事に就きたく「イヤホンガイド株式会社」の面接を受けたが落ちた。
生活のため名古屋の業界新聞社で編集アシスタントとして働き、趣味で歌舞伎を観ていた。
猿之助丈が
宙を飛ぶ
僕は泣いた。そして思った。
「猿之助が飛ぶのに、
なぜ俺は、飛ばない?
飛べ、今すぐ、飛べ!」
僕は終幕後、大阪松竹座の三階席から飛び降りる狂言自殺の戯作者となることはなく、
公衆電話から、朝日新聞社の雑誌「月刊アサヒグラフ person」の編集部に電話した。
当時に出始めたインタビュー雑誌で、「ライター募集」の告知を見つけて、何となくだが
歌舞伎のインタビュー記事を書きたい と目星を
つけていたのである。歌舞伎の感動が背中を押して、夜9時近くだったが電話したのだ。
企画書書きました。読んで下さい
企画書なぞ書いてもいないのに、である。宙乗りの効果か。すると受話器の向こうの方は
はい、明日9時に来て下さい!
帰宅し徹夜でワープロで企画書を書き、始発の新幹線で築地口の朝日新聞社に行った。
面談で男性の副編集長が企画書を読んで下さった。彼は「ククク」と笑いをこらえる感じで
「この企画書おもろい、エグい」とおっしゃった。内容の一部をザックリ説明すると、当時に
芸能界を騒がせた、役者とその家族等関係者の不祥事問題で役を降板する事件が続き、
「代役(アンダー)を考える」
と題する企画で、不祥事による配役降板と、その代役対応、(緊急の)代役に備える準備、
代役で白羽の矢が立った役者へのインタビューなど、エグエグな内容の企画書を創った。
片岡京子氏の取材を希望した
無礼にも片岡仁左衛門丈のお譲様の名前も出した。歌舞伎接近への意図は無かったけど。
副編集長さんは静かに口を開く。
他のライター氏は歌舞伎役者と
コネクションを持ってる人が居て
片岡愛之助さんを引っ張り出し、
上方歌舞伎ゆかりの地を旅する
そんな企画を提案してきてます。
「東京で仕事をする」というのは、
結論言うと、こういう事なのです。
しかし外郎童さん、あなたには
力があると思います。まずは、
地元で活動してはいかがですか
僕は丁重に礼をして、地元・名古屋に帰って、歌舞伎への活動を開始した。
実際に活動をして、賃金も得て、実績もいくらか得た。この続きを書くのか?
机上で愛之助丈と出逢った物語
【後日談】
話題のライター氏は企画・運営して
片岡愛之助丈のPersonを誌面で
「上方歌舞伎紀行」として披露した。
「片岡愛之助と歩く 上方歌舞伎紀行」
そして月間アサヒグラフ person 2002年7月号
巻頭特集 アジアンビューティー part1
藤原紀香 NORIKA 世界へ
http://anamon.obunko.com/mokuroku-graph.htm
雑誌「person」は愛之助丈と紀香姐を
春と夏に「person~人(ひと)」で出逢わせ
ふたりを結び付けた「縁結びの雑誌」。
その現場(編集部)で人(編集者)と関る、
その事が僕にとっての「宝物」となった。
妻を起こす時間だ。アデュー
【編集後記】
「歌舞伎」と題する文章が500本
「ミスチル」「ブログ」「音楽」で33本
500円のワンコインで見つけた
33回転のアナログLPレコード
そんな名盤を吹き込んだと思う。
「Good Morning Wonderful Fiend」
おはよう素晴らしき歌舞伎狂
https://www.youtube.com/watch?v=DH9fsXRx608
https://www.youtube.com/watch?v=ORaezM7DErk









