片岡愛之助丈は昨日のブログで、新潟・山形・その周辺で地震に被災した方に
ねぎらいの思いと、被害が広がらないことを祈念していた。巡業で公演に赴いた
地でもあるだろう。自分の事の様に胸を痛めている松嶋屋を思うと、頭が下がる。
愛之助丈は昨年9月の巡業で、義経千本桜の吉野山と四の切の奮闘を引っさげ、
全国各地を巡演した。そのなかで9月12日に、岡山県高梁市での歌舞伎公演を
予定していたが、先だっての西日本豪雨の被災状況から復旧回復がままならぬ
状態で、開催中止となった。松嶋屋は、その公演の相棒の中村壱太郎丈と共に、
「被災者のために何かできないか」と、公演日のはずだった12日、高梁市を実際に
訪れ、市民センターに集った地域住民に、サインや記念撮影などをまじえて交流、
ひとりひとりに声をかけ励まし、ふたたび歌舞伎で戻り、元気づけることを誓った。
https://www.youtube.com/watch?v=vWP8WjnnuZA
これまで歌舞伎を観てきたなかで、チャリティーの機会に接したことがある。前の20世紀の、
'99年師走の国立劇場での、九代目松本幸四郎丈の「義経千本桜 渡海屋~大物浦」と、
四世中村雀右衛門丈の舞踊「手習子」と、五代目坂東八十助丈と七代目中村芝雀丈による
「芝浜革財布」三本立てだった。僕が座った席の後ろには、いとうせいこう氏が女性と一緒に
ご覧になっていて、きっと八十助丈とご交流があるのだろうなと、その時、僕は想像していた。
その狂言の幕間の30分ほどのところで、ロビーに出てこられるのであろう役者さんが数名、
会議用長机座って居並び、たぶん客人は千円位を払って色紙を受取り、並んだ役者さんに
順にサインを書いてもらうという運びだった。恥ずかしながら、僕は誰からサインを頂いたか
覚えておらず、ただひとり、ハッキリ記憶に刻まれたのが、十七世市村羽左衛門丈だった。
橘屋はその公演に出演されてなかったが、お人柄なのだろう、チャリティに協力していた。
僕は翌月の、新世紀初の歌舞伎座公演に羽左衛門丈が出演される事を知っていたので、
外郎童:矢の根、楽しみです!
羽左衛門丈:それはそれは!
~~と、歌舞伎役者と言葉を交わしたのを覚えている。矢の根パンツは当日、履いていない。
地震からの復旧を切に願う。




