昨週土曜に、高校時代の友人らと呑んだ。
「報道ステーションで観た、内田也哉子さん
の謝辞が、美しく凄かった」と、言ってた。
偶然に僕は、ウェブのその全文を印刷して
いたので、翌朝に読んだ。いい謝辞と思う。
風潮では、故・内田裕也さんは御本人も曰く
「ロッケンロール」の様に思える。鳴り続ける
「ロックンロール」のイメージの一翼を担って
いる様だが、僕は違和感を、拭いきれない。
僕は歌手の佐野元春さんに取材をした事が
ある。独立レーベル「Daisy Music」を設立し、
アルバム「THE SUN」を発表した時のことだ。
外郎童: 「佐野さんにとって、Rock’n Rollとは
何ですか?」
佐野さん:「そうですね、僕にとって、Rock’n Roll
とは、『あきらめないこと』です。または
『大人になるってどんな事だろう?』
と、胸に突き刺さってくる音楽では
ないでしょうか。
これは、当時に、東海地区で朝刊に入っていた
フリーペーパー「Well Papas」に僕が寄稿した
記事を元にした、取材会話の再現です。
内田裕也さんを象徴したロッケンロールは、
也哉子さん、夫の本木さんの言葉を眺めて
「破天荒で、全ての予定調和を嫌うこと」と、
僕は捉えている。ゆえの違和感だろうか。
内田裕也さんと佐野元春さんの個性の違いか。
では僕にとってのロックンロールは何だろうか。
僕は通勤の行き帰りやランチ後散歩の折々に
寺社仏閣に手を合わせて小声で唱えている。
「外郎童です。外郎妻とともに、
朗らかに
健やかに
労して
流れますように
『朗』・『健』・『労』・『流』!
(ろう・けん・ろう・る)」
毎日、同じことを淡々と粛々と、演る。
それが僕の「ロックンロール」である。
