この時季になると名古屋に出稼ぎに行っていた頃を思い出す…

三菱自動車に期間工で8ヶ月ばかり、

今で言う派遣に行っていた…


1984年、昭和59年は自分自身どん底にいた。

2月に自動車で正面衝突をして落ち込んでいたところに

追い討ちをかけるように職場がなくなり、尚且つ、転勤したら合理化が進んで仕事がなく

毎日、仕事に行ってもプラプラして帰ってくるだけ…

人間は仕事を与えられないと、うつ になるか、怒り出すかのどちらかになるんだなと…


明けて1985年、昭和60年は人生の中でも体力的に厳しい状況に突入した年であった。、

で、この年、派遣の出番が来た訳ですよ、というか志願して第1号だったけど。

4月から11月いっぱいの8ヶ月間、名古屋に行っただがや、

名古屋港の脇の工場地帯は、どえりゃー蒸し暑いでねー バスラインの仕事で

体重はあっと言う間に当時68キロから58キロまで

身長190cmで体重58キロというのはマッチ棒みたいな姿…

月曜日から金曜日は名古屋の寮にいて、

土曜日も出勤の週は日曜日に名古屋、三重、岐阜、滋賀の観光地巡りをして…

土日又は連休になると実家に帰っていました、それも各駅停車乗り継ぎで帰れる最終…

一緒に行っていた、おじさん達は金持ってるど~奥さん待ってるど~、特急でご帰還~


島崎藤村ではないが、中央西線は総て山の中である、

景色なんて物は夜間だから何も見えず、する事といえば週刊誌、雑誌を読むくらい、

2代目ウォークマンでLPのアルバムを録音してずーっと聞いている事だけだった…

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この当時最新版のアルバムであった。

これはカセットテープ120分のB面に入れ…

余り部分には限定発売だった、オンザストリートコーナーを入れて…

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無論、カセットテープA面はこちら、メロディーズ

B面頭メリーゴーラウンドからクリスマスイブまで怒涛の快進撃

余ったところに出たばかりのシングル 「風の回廊」アルバムに中々入らなかった「スプリンクラー」

アルバム サーカスタウン~フォーユーまでマイベストを入れて…

のヘビーローテーションで聞いていたため、今頃になるとこのアルバムが聞きたくなる…


その年に、NHKサウンドストリートで山下達郎が自身のライブ、

神奈川県民ホールライブを2週に分けて放送してくれて、

クロムテープに録音、マスターに取って置いて、

ノーマルテープにダビングして聞いた聞いた擦り切れるまで…

スプリンクラーのライブはこれだけだもん聴いたのは、誰も知らない曲だもん…

現場で聞けた人が羨ましいよ…



名古屋から中津川、中津川から塩尻、塩尻から岡谷5時間かけて

晴れていれば車窓から夜空の星と闇夜に浮かぶ町の灯を見ながら、

雨が降っていれば、窓ガラスを流れる雫を見ながら滲む灯りを見ながら

明日を見失っていたときに聴いた音楽…

今は別の意味で見失っているのかな…