『中世の古文書入門』 | 鞭声粛粛、夜本を読む

『中世の古文書入門』

 

   『 中世の古文書入門  読めなくても大丈夫! (小島道裕著、河出書房新社、2016年10月初版)は美しくも難解なくずし字の古文書を読めるようになるかのような題名ですが、これはミスリード。くずし字は絶対に簡単に読めません。「了」をくるっと半回転させたような模様が「候」、「む」と書くのを途中で投げ出したような字が「は」…。訓練や基礎知識(口宣案や下文を「くぜんあん」や「くだしぶみ」と読めることなど)が必要です。

  では、この本はインチキかというと、いやいや。立派な一般向け歴史解説書です。くずし字が読めない人向けのエンタメな解説書です。


宝石ブルー「藤吉郎です、秀吉です」

  日本史科目や古文が嫌いだった人ほど面白いと感じるはずです。古い時代の書式フォーマットや字の大きさ、使う紙の選別から見えてくる微妙な上下関係や人柄は生々しく、評価は「95へぇ」ぐらいは叩き出しているんじゃないでしょうか。(フジテレビの名作「トリビアの泉」!!少し古いかも)。

  たとえば豊臣秀吉がまだ羽柴秀吉だったころ“同僚”の武将に宛てた手紙が写真とともに紹介され、異様な気遣いが分かります。差出人欄で 「 藤吉郎です、秀吉です、 」 (本書の現代語訳)とあえて繰り返し、宛先の武将名に到っては自分よりも高い場所に大きく書いています。追伸が本文よりもうんと長く、すり寄りというのか、人垂らしというのか、手練手管が露骨。ところが関白になった後の同一人物への手紙では…、それは本書を読んでのお楽しみというところでしょう。


宝石ブルー身分が低い実力者

  御成敗式目制定で知られる鎌倉幕府の実力者、執権の北条泰時。手紙二通の写真の解説が「 NO.2の微妙な立場 『 関東下知状 』  」 と 「 頭が上がらない相手への返信 」 というコーナーで展開されています。関東下知状(かんとうげちじょう)とは幕府の命令書。まず、いずれも泰時の字が上手くない。いや、のびのびとしたところが全くない、と言うべきでしょうか。ピリピリした人柄、生活だったのではないかと思われます。中身を見ると、屈折して、ちょっとホラー。

  執権の北条泰時は最高実力者ですが、帝が任じた征夷大将軍ではない。しかも官位は叔父の時房より低い。官位(=身分)が低いことは形式の世界では大きく響きます。関東下知状では、 「 この命令は将軍の仰せによって出されたものである 」 (本書の現代語訳)と代理人の立場を強調して書かれ、しかも署名欄では自分の名前が最初に書かれ、次に叔父時房の順。当時は身分が低い人が最初に署名し、花押を書き加えました。

  ところがこの命令書は一部で堂々と書式を無視しています。本来は日時を記述した場所の下(日下、にっか)に署名するのが礼儀ですが、あえて無礼な書式で別行に 「 武蔵守平(北条家のこと) 」 と署名し、花押を書いています。連署だった叔父時房も同じスタイル。本書は 「 つまり、自分はお前にへりくだらないぞ、という表現とみられます。将軍つまり主人じゃないけれど、他の御家人よりは偉い、という微妙な地位を示した 」 と説明しており、歴史って本当はこういう所から学びたい、と思う読者は多そうです。

  「 頭が上がらない相手への返信 」 というコーナーでは、泰時の書きっぷりはもはや痛いっ。宛先が当時の将軍よりも地位の高い関白だったため官位の高くない泰時の字は一字一句が丁寧。あいかわらず上手くないが。署名はちゃんと日下に書き、しかも 「 武蔵守平泰時 」 とフルネーム。花押に到っては裏に書くへりくだり。でも、当時、泰時に逆らえるものは日本にいなかった…。


宝石ブルーほれぼれする筆致

  室町幕府時代の文書では、神経質で厳格だったとも言われる足利直義(尊氏の弟)の下知状はさもありなん、という文字&文字。尊氏の書いた出陣督促状は人柄か、ザクッとした文字と文章。ほぼ同じ時代の女性とされる明阿弥陀仏が土地をお寺に寄進した際の文書は実に美しい。ほれぼれする筆致です。当時の女性筆者の常識としてひらがなを多用した手紙で、流麗なことこの上ない。

   「 折り紙付き 」  「 合点承知 」 の語源となった書式や、第一次世界大戦中に旧日本陸軍がドイツ租借地、青島を占領した際に部隊に地元から徴発するなと禁止した文書(制札、禁制のこと)の書式が戦国時代と酷似していることなども書かれています。圧巻は最終のコーナーでしょう。なぜ中世の古い文書が多数残されているのか、その理由について生活密着の重い要因があったことが紹介されています。オススメの一冊と思われます。

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