『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』 | 鞭声粛粛、夜本を読む

『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』

  風采の上がらない男が高嶺の花のハートを射止める焦れったい物語はラブストーリーの定番です。先駆けは江戸時代後半の絵本で現代の男性コミックに相当する黄表紙 『 江戸生艶気樺焼 』 (ゑどうまれうはきのかばやき、山東京伝、1785年・天明5年)とされています。ナンセンス&コメディの連続で、決して胸キュン的な美しい物語ではなく、世間知らずの大馬鹿野郎と冷めて計算高い元遊女の滑稽な、当時としては衝撃的な面白い古典です。

  都道府県立図書館には確実な底本に基づいた原文と現代語訳があるはずですし、ネットの世界でも珍しくありません。


宝石ブルー「命がけの思ひ付をしける」

  田沼時代。商人が大手を振っており、主人公は大店の一人息子で世間の厳しさを知らない艶二郎(えんじろう)。

  浄瑠璃などで歌われる壮絶な恋愛に憧れ 「 一生の思ひ出にこのやうな浮気な浮き名の立つ仕打ちもあらば、ゆくゆくは命も捨てやうと、馬鹿らしきことを心がけ、命がけの思ひ付をしける 」 (意訳:生きている間に浄瑠璃の物語のように女性関係で有名になれるなら死んだってかまわないと意気込む骨の髄までおバカになった)。

  ところが、艶二郎はぶおとこ。鼻といい、眼といい、全体像といい、格好が悪い。それでも、女にもてる、といううわさをねつ造しようと、スキャンダルをでっち上げて周到に親に勘当をねだったり、有名遊女 「 浮名 」 を大金をはたいて身請けしたのに、心中ごっこ(当時の法律は心中を極刑処置)を企んだりして大騒ぎ。

  結局、追いはぎに襲われて、二人は今でいうパンイチの状態に転落。艶二郎はふんどし一つと木刀、浮名は腰巻だけ。これで帰るしかない。艶二郎は親にこっぴどく怒られ、浮名は艶二郎がブオトコなのを我慢して、二人は夫婦となる。

  山東京伝の名の由来は、江戸の紅葉「山」(現在は皇居の一角)の「東」に位置する「京」橋に住んでいる「伝」蔵から。最初の妻は年季が明けた遊女で、早くに亡くし、後妻には身請けした遊女を迎えていました。のちに寛政の改革で筆禍を問われ手鎖50日間の刑に遭いました。


宝石ブルージェーン、しずかちゃん、響子さん

  醜男にヒロインが心を寄せて終わる物語は海外の古典では 『 ジェーン・エア 』 (シャーロット・ブロンテ著)が挙げられます。発表された19世紀半ば、英国でブームになって、男やもめで金持ちの中年ぶおとこ探しがはやったとの説もあります。孤児ジェーンが堂々と、実直に生き、愛を貫く姿は男尊女卑のヴィクトリア時代のインテリ層で物議を醸したほどでした。今でも一気読み作品。

  本邦の恋愛物語でも、伝統タイプは 『 源氏物語 』 の光源氏のように身分が高く容姿と才智に恵まれた男(あるいは剛毅で頼もしい益荒男)ですが、ニュータイプとして世に放たれたのが18世紀後半の 『 江戸生艶気樺焼 』 。それまでの惨めで情けない脇役タイプを主人公に設定する恋愛物語の源流とされています。

  現代では、 『 江戸生… 』 の亜流・末裔・分家筋的な小説がたくさんありますが、そうした冴えない男と才色兼備の女性が結ばれる物語を歓迎する文化、世間の受容性が育ってこそです。 『 ドラえもん 』 の存在も大きいでしょう。のび太君がタイムマシンを降りて眺めた未来の世界では、しずかちゃんと結婚できるという感涙の展開が待っていました。

  五代君の成長物語も“ダメ男のラブストーリー文化”に一役買っています。1980年代に長期連載された 『 めぞん一刻 』 です。 「 抜けてて頼りない 」 五代君(1961年=昭和36年生まれの設定)が、2歳上の美人で 「 焼きもち焼きで早とちりの 」 寡婦、音無響子さんを一途に思い続けて人として大きくなり、6年かかった末にプロポーズして、涙目の響子さんから 「 お願い、1日でいいから、あたしより長生きして… 」 と承諾されて結ばれる物語。

  尤も、 『 めぞん一刻 』 の文学性は後半以降になってやっと鋭角的に描かれるわけですが、都市部の大型書店では今でも、手塚治虫作品と同じ古典コミックのコーナーで販売され、しかも全巻そろっていないことがよくあるようです。 『 ドラえもん 』 と同じで、在庫が切れている、ということでしょう。


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