6月のある雨の日、矢島は駅からかばんを頭に乗せて走って家に向かっていた。

突然の雨に、ずぶぬれになりながら家の玄関のドアを開ける。

「うわ~かあさん、タオル持ってきて!」

矢島が、大きな声で奥にいるであろう母親を呼んだ。家の奥から母親が小走りで出てくる。

「まったく、夕方から雨だって予報だったじゃない。」

母親が矢島にタオルを渡す。矢島はそれを乱暴に受け取ると、ずぶぬれの頭をがさがさとぬぐった。

「早く部屋で着替えちゃいなさい。」

母親の言葉を聞き流しながら、矢島は二階に駆け上がっていった。

矢島は部屋着に着替えると、またタオルで頭をごしごしと拭いている。そのときドアを誰かがノックしてきた。

「健一、入るよ。」

姉の洋子だった。

「あ~いいよ。」

洋子がドアを開けて入ってきた。
洋子は入ってくるなり、矢島の顔を覗き込みながら言った。

「健一、今日は何の日か覚えてる?」

「え?今日?・・・6月10日だろ・・・なんだっけ?」

矢島がカレンダーを見ながら、答える。洋子はあきれたような口調で言った。

「まったく、自分の誕生日も覚えてないの?」

そう、今日は矢島の誕生日だ。
矢島の頭の中からはすっかりそのことが消えていたようだ。

「あ、そうだ。。」

「はい、これ誕生日のプレゼント。」

洋子が手に持っていた小さな手提げの紙袋を矢島に差し出した。
袋には携帯電話会社のロゴが入っている。

「ねえさん・・・これ・・・」

「ほしかったんでしょ?携帯。かあさんから聞いたの」

洋子は持っていた手提げ袋を、ぐいっと矢島のほうに突き出した。
矢島が遠慮がちにそれを受け取った。

「・・・・ありがと・・」

「ま、高校生にもなれば必需品だからね。使い方くらいは分かるでしょ?早く友達のメールアドレスでも入れちゃいなさい。この間来ていた女の子のメールとかね!」

どうやら、洋子は由加利とまひるのどちらかに、矢島が気があると思っているらしい。

「ねえさん、そんなんじゃ・・・。」

「照れるな、色男!じゃあね。」

それだけ言うと、洋子は矢島の部屋から出て行ってしまった。

矢島は、ゆっくりと袋の中から小さな箱を取り出して、中身を空けてみた。青い新品の携帯電話が入っている。矢島が携帯を開けると、すでに充電されていて青空の絵の待ちうけ画面が現れた。時計も正確な時刻を刻んでいた。
矢島は、ゆっくりとボタンを操作してアドレス帖をひらく。

真っ白な画面だけが映し出される。

何もない真っ白な画面。
それは、今までの矢島の生活を象徴しているようだった。
入れるべき友達が一人もいない証拠・・そう思えた。

矢島は机の引き出しを開けた。

机の中には、まだまひるからもらった携帯メールアドレスのメモが入ったままだ。
矢島はそれを取り出してじっと眺めていた。

まひるとすごした動物園での一日。学校でのまひるとの会話。家に来たときのまひるのはしゃいだ声。
そのあとも、矢島とまひるは接近することも離れることもなく、それなりにクラスメートとして付き合っている。由加利も、そして早瀬とも。
でも、
それは、友人という域に達しているのかどうか、まだ矢島には自信がなかった。

『携帯買ったら、かならずアドレス入れておいてね。』

あのときの明るいまひるの声がよみがえる。

本当に入れていいのだろうか。
そして、メールをしてもいいのだろうか。
やっぱりばかにされるのではないか。

矢島はまだ、一抹の不安と疑念を払拭することができずにいた。
矢島にとって、本当の友達とはどういうものをいうのかすら、まだ分からずにいた。

姉の気を利かせたプレゼント。
矢島にはまだ重たかった。
矢島は、しばらく携帯とまひるのアドレスを交互に見ながら、悩んだ。

=つづく=