「対岸の火事」という言葉は良く、耳にする。大きな事件や事故が、海外などで起きたときにニュースや新聞などで「これは対岸の火事ではすまされない」などといわれることが多い。この言葉には「対岸の火事」は直接自分の身に降りかかる心配がないので人事のように感じてしまっているということと同時に、「対岸の火事」を人事のようにみていると、「いつか自分の身に降りかかる」ということや「そうなったときに、誰も助けてくれない」という戒めも含まれているのだろう。

思い出してみると、私が心療内科を受診したのは、昨年の11月である。その時まで、うつという病気は私とって、「対岸の火事」のごとく、自分には無関係のことのように思われていた。しかし、その言葉の戒めどおり、わが身に降りかかってきたわけである。そしてその時自分の無知さに気がついた。

私の身近にいた人でも、うつをきっかけに自殺までしてしまった人が何人かいる。その時思ったことは、残された家族に対する、やるせない気持ちと、「バカなことをしたもんだ」という、自殺した本人への怒りに近い感情だった。

しかし、いざ自分の身に降りかかったときに感じたのは、全く別の感情だった。
「なんて、つらい病気なんだろう・・・」そしてその「つらい」の意味が「症状そのもの」以外に「周りの人の理解がされない」という、二つの辛さがあることを実感した。そして、はじめて「消えたい」という感覚と、それが「死にたい」に変わる可能性があることを実感したのだ。そして、そんなことも理解しないで、いままで、うつをきっかけに自殺した人たちを、さげすんでいた自分こそ「バカだ」と思ったのも、そのときからである。

いまでこそ、誰でもかかる可能性のある病気であると理解しているものの、やはり、認知度の低さは否めない。誰でもが、かかる可能性のある病気であるからこそ、もっと多くの人に、この病気の「つらさ」を知ってもらえるように、何らかの方法を考えてほしいものである。
すべての人が「対岸の火事」でないことを、知ってほしいものである