不当利得金請求の件 大正8年(オ)第134号 大正8年6月19日第二民事部判決
◎判決要旨
1. 民法第145条に所謂当事者とは時効に因り直接に利益を受くるべき者、即ち取得時効に因り権利を取得し又は消滅時効に因り義務を免がるる者を指称し(ししょうし)、時効に因り間接に利益を受くべき者の如きはこれを包含せざるものとす。
1. 時効は時の経過に因りて効力を発生するものにして、消滅時効に罹りたる権利は時効の成就の時に於いて既に消滅せるものなれば、債権者において其の事実を主張するは民法第145条と全然没交渉なるのみならず他に之を妨ぐべき法律上の理由なきものとす。
1. 甲は手形債権が時効に因り消滅したるが故に手形所持人として振出人たる乙に対し償還の請求を為す場合に於いては其の請求の事由として、手形債権の消滅時効に罹りたる事実を主張することを得るものにして、斯かる(かかる)場合に於いては民法第145条の適用なきものとす。
(参照) 時効は当事者が之を援用するに非ざれば裁判所之に依りて裁判を為すことを得ず(民法第145条)
右当事者感の不当利得金請求事件に付き、東京地方裁判所が大正7年12月24日言渡したる判決に対し上告人より一部破棄を求むる申立を為し、且つ、被上告人は口頭弁論期日に出頭せざるに依り欠席の儘(まま)判決ありたき旨申立を為したり
主文
本件上告は之を棄却す
上告費用は上告人の負担とす
理由
上告論旨第一点は原判決理由によれば前略「被控訴人(上告人)は自ら時効を援用せざるに付き控訴人に於いて本件手形上の債権が時効によりて消滅したることを主張し利得償還請求を為すを得ざる旨論争すれども、時効は権利取得又は消滅の一原因なれば、時効を援用するに付き法律上正当の利益を有する者は之が援用を為すを得るものと言わざるべからず」とありて時効に因る権利取得又は権利消滅に依り利益を受くべき者は時効の援用を為し得べきものとせれれたるに拘わらず其の後段理由に於いて「而して手形上の債権が時効に因りて消滅したることを主張し振出人に対して其の受けたる利益の償還を請求する手形所持人の如きは時効を援用するに付き法律上正当理由の利益を有するものなること明なるが故に云々
と断定せられ、因って上告人に敗訴の判決を與え(あたえ)られたりといえども手形所持人の所有する手形債権が時効によりて消滅するときは即ち手形所持人は利益を受くることなく却って不利益を受けて其の利益を受くる者は反対に手形債権者なりとす。然れば、手形所持人たる被上告人は消滅時効を援用し得べき者にあらざるに拘わらず、被上告人に援用権あるものと判定せられたるは理由齟齬(そご)又は法律を不当に解釈適用せられたる違法の判決たるを免れずと言い」。
第二点は原判決理由に示さるる所、上告理由第一点所掲(しょけい)の通りなり。依って之考えうるに原判決の趣旨は時効の援用をなし得べき当事者は其の援用により直接に利益を受くる者たるを要せず間接に利益を受くる者をも包含するものとせられたるものの如しといえども時効援用に関する当事者は直接に利益を受くるべき者を指称することは、御院判例の存するのみならず(明治45年1月25日御院民事一部判決 民事判決録16輯(しゅう)22頁(ページ))、学者の唱道する所なり(中島博士 民法釈義総則805頁 嘉山学士 民法総論中央大学講義録426頁)。而して手形債権が時効により消滅したることを主張し、振出人に対し其の受けたる利益の償還を請求する手形所持人の有する利益は手形債権の消滅により直接に受くる利益にあらずして、商法第444条の規定により別に新なる法律上の原因により取得する利益に過ぎざる者なれば、直接に利益を受くるべき者に該当せず。左れば(されば)原判決は法律を不当に解釈適用したる違法ありといい」。
第三点は原判決は時効を権利取得又は消滅の一原因なることを理由として時効を援用するに付き法律上正当の利益を有する者は之が援用を為すことを得るものとせられたり。即ち、時効が権利取得又は消滅の一原因たる法律事実に属することは判事の如しといえども、時効を援用するに付き、法律上正当の利益を有する者は之に因り直接に権利を取得し又は相手方の権利消滅に因り利益を受くる者に限る。換言せば、取得時効に在りては権利取得者、又は消滅時効に在りては時効に因り義務を免れるものならざるべからず。然らば、手形債権の消滅時効に因り義務を免がるる者は手形債務者たらざるべからざるに、反対に手形債権者が時効援用に付き、法律上正当の利益を有するものなりと断じたる原判決は理由齟齬又は法律を不当に解釈適用したる違法あるものというに在り。
仍って按ずるに、時効は公益の為めに設けたる制度なるが故に、当事者の援用すると否とに拘わらず、裁判所は之によりて裁判を為すも不可なきものの如しといえども、時効の利益を受くべき者がこれを受くるを欲せずして証拠に依り理非ざるを争わんとすることあるべく、斯る場合に於いて強いて(しいて)時効の利益を得せしむるは其の必要なきのみならず、反って(かえって)当事者の意思に悖る(もとる)ものなり。是民法第145条の規定ある所以(ゆえん)なれば、同条に所謂当事者は時効に因り直接に利益を受けるべき者、即ち取得時効に因り権利を取得し、又は消滅時効に因り義務を免がるる者を指称し、時効に因り間接に利益を受くべき者の如きは之を包含せざること本院判例(明治42年(オ)第379号 明治43年1月25日言渡)に示す所なり。然れども、時効は時の経過に因りて効力を発生するものにして、消滅時効に罹りたる権利は時効成就の時に於いて業既に消滅せるものなるを以て(明治38年(オ)第355号 同年11月25日言渡判例参照)債権者に於いて其の事実を主張することは前示法条の規定と全然没交渉なるのみならず他にも之を防ぐべき法律上の理由あることなし。故に若し本訴が手形金の支払いを請求する為めのものならんには仮令其の手形が消滅時効に罹りたるにせよ債務者たる被告に於いて時効を援用するに非ざれば裁判所は該手形債権を時効に因り消滅したるものとし債務者の為め勝訴の裁判を為すことを得ざらんも、被上告人は甲第一号証手形債権が時効に因り消滅したるが故に同手形所持人として振出人たる上告人に対し償還の請求を為すものなれば、其の請求の事由として手形債権の消滅時効に罹りたる事実を主張することを得べくして、此の場合に民法第145条の適用るべきに非ず。然り而して上告人は時効を援用せざる旨供述したるも、敢えて時効成就の事実を争いたる事跡なきのみならず甲第一号証手形債権が満期日より三年を経過し、大正6年11月5日消滅時効に罹りたることは原審の確定せる所なれば上告人は被上告人に対し受けたる利益の限度において償還を為すべき義務あること商法第444条の法文上明らかにして、更に多言を要せず。然れば原審が「時効は権利取得又は消滅の一原因なれば、時効を援用するに付き法律上正当の利益を有する者は之が得尿を為すを得るものと言わざるべからず。而して手形上の債権が時効に因りて消滅したることを主張し、振出人に対して其の受けたる利益の償還を請求する手形所持人の如きは時効を援用するに付き法律上正当の利益を有するものなること明らかなるが故に云々」と判示し、時効の利益を受けざる者といえども時効成就の事実を主張することが自己の為め利益なるときは時効を援用することを得ると為したるは不法たるを免れざるも、被上告人の主張に係る消滅時効成就の事実を認めたるは結局正当にして本件上告は理由無きに帰す。
被上告人は弁論期日に出頭せざるも上告論旨は孰れも(いずれも)法律上の問題にして、而も(しかも)上来説明の如くなるを以って民事訴訟法第453条、同第77条に従い主文の如く判決す。
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