11月2日おだわら市民学校の「二宮尊徳の足跡に学ぶ」3回目が開かれ、

尊徳翁の晩年までの実践について講義が行われた。

 

今回の第4回目(11月16日)は、尊徳翁の教え①として彼に学ぶ3人の弟子たちが

尊徳翁から得た実践と思想について講義を受けた。

 

尊徳翁は、自らの学びや考え方を自ら書き残すことはなかった。

従って、現存する「教えを伝える」のは、すべて彼の弟子たちが

日々の実践から得たメモや伝聞をまとめたものからなる。

 

・高弟たちが著わしている著書

 

1.富田高慶(とみた たかよし)・・・1814年生、相馬藩士。後に尊徳の娘(ふみ)婿になる。

 『報徳記』の著者。相馬藩の傑物として昌平校で学問に励むものの、肝心の財政復興について得るものは何もなかった。相馬藩の財政を確定し、復興仕法した尊徳の教えを乞うために弟子入りを渇望するが、翁は学者嫌い。なかなか入門を許してもらえなかった。

 

従って、弟子入り前までは、伝聞を主体とした記述となっている。

『報徳記』は全8巻、安政4 (1857) 年高慶が「富国安民の法」である報徳仕法を尊徳の言葉を通して

世に伝えようとしたもの。尊徳の生まれから一家の再興,六百余町村の復興などを語り,その間に逸話などをはさみ,尊徳の思想を著わしている。報徳社を設立。

 

2.齋藤高行(さいとう たかゆき)・・・1819年生、相馬中村(福島県)藩士。叔父富田高慶(たかよし)をたすけ,中村藩領で報徳仕法を指導した。維新後,興復社,相馬報徳社を設立。「報徳外記」「二宮先生語録」

 

3.福住正兄(ふくすみ まさえ)・・・1824年生、二宮尊徳の門人。箱根湯本の旅館福住楼の養子となり,師の報徳思想で家業を再興。小田原藩校集成館で国学をおしえ、報徳社を興し報徳運動を広めた。

著作に「二宮翁夜話」「富国捷径(しょうけい)」など。

 

・尊徳の思想

至誠・勤労・分度・推譲を柱にした。

1.至誠・・・真心をもって

2.勤労・・・『徳』に報いるために働く。人道の本質。

 ①知力と力が必要。②働き甲斐を与える。優良農民の表彰。③田の徳、作物の徳、これに農民の勤労の徳が一円融合して作物を生み出す。④大工の徳、商人の徳、駕籠かきの徳。これは職業の尊さを自覚し天地人の徳に報いる。

3.分度・・・天分に立脚した行動。特に経済的な分度を強調した。入るを計り出を制し、謹んでその分度を守れば常に繁栄する。報徳仕法でも領主の分度を定めそれを守らせた。

4.推譲・・・推しは譲ること。①自譲とは、自分や家族の将来のために備え蓄える。②他譲とは、他人のため、社会のために役立たせる。これらを譲道といい、人道の誠、聖人の道を歩めと説く。

 

 自ら、報徳仕法で村落、藩を救い、その仕法をあまねく全国に普及させた尊徳とその弟子たち。

国の基礎は、米を作る農民であり、それを年具として活用して領民を慈しむのは領主の務め。農民と土地を大切にする心を実践を通して学ばせた。明治維新後の日本の活力となった報徳仕法は、現代社会にも大切な何かを示しているのではないだろうか?