昨日になって気が付いた。今年はうるう年だった。

テレビを見なくなってから、日にち感覚があやしくなってきた。

ついこの間、コロナ禍で一年延期された東京オリンピックが、”2020”のまま、とりおこなわれた。そして、あと149日?で、フランスでのオリンピックが開催される。

 

昨年あたりから、地元の本屋さんにはフランス語の本が並び、結構売れていた。9.11の時は、次の日に(誰も読まないだろうなと恥ずかしい気持ちで)コーランの本を探しに新宿の本屋さんに行ったら、すべて売り切れていた。日本の社会人は勉強しない、という人もいるが、時代の流れをつかむべく、皆勉強しているのだな、とその時思った。

 

私はたぶんなまけものの部類で、これだ、と腹落ちしないと手につかない。フランス語もボンジュールで止まったまま。でもワインのフランス語本はおもしろくて、ワインがものすごく好きなわけでもないし、読めてもいないはずなのに、知っているワインの名前と数字を頼りに解読できると、何だかエスプリに触れた気分になって、嬉しくなる。きわめて単純だ。食わず嫌いなだけだろうと、いつも自分に言い聞かせるが、なかなか言うことを聞かない。

 

フランスにも俳句があって、ルールに従って万物を表現していて、とても美しいのだそうだ。ずいぶん前の大河ドラマに、呂宋助左衛門という貿易商の話があって、言葉がわからずに困っていた時に、現地の人にとってははめずらしいものを取り出して見せると、子供たちが寄ってきて何か言っている。たぶん「それ、何?」だろうと推測し、日本語と使い方を教えると、ここにはこういうのがあってこう言うんだよ、と子供たちが教えてくれて、そこから様々な言葉を覚えていった。人間だもの、だね、と思う。でも、勉強という神々しい言葉がつくと、逃げたくなる。困った。