ナポリタンスーツの話

Sartoria Napoletana

サルトリア ナポリターナ

サルト・ジュン

 

2008年、小公洞の洋服屋でスーツを作る仕事を辞めて、イタリアのナポリへと向かった。そこでアントニオ・パスカリエロ(Antonio Pascariello)という名前のスーツ職人に出会った。言葉の意味そのままに、ナポリの伝統方式で身体に合ったスーツを作るスミズーラを学び始めた。そして、5年が過ぎた2013年、再びソウルへと戻った。師匠はもっと学ぶことがある、まだイタリアへいるべきだと言ったけど、そうしなかった。とても離れ難かったが、力をもらった。今は、師匠から習った通り、ソウルでイタリアンスミズーラをしている。

あの時、アントニオ先生はこんなことを教えてくれた。“機械より、手の方がもっと精巧でなければならない。手が、機械に勝たなければ”。私の名前は、チョン・ビョンハ。ナポリのスミズーラ職人、アントニオ・パスカリエロの弟子、‘サルト・ジュン’だ。

 

WRITING_ BENJIPARK Editorial Team
Contributing editor_ Maeda Nodoka, 前田 和
PHOTOGRAPHER_ SONG, IN TAK


Sartoria Napoletana in Seoul
Shop Informations

2F 171 Hangang-daero, Yongsan-gu, Seoul Map 
Contact   +82 (0)2-790-5155

 

小公洞から、ナポリへ




小公洞で服を作っていた時期は、工場で服を作って出荷しているようだった。とにかく早く作って納品し収益を得る、それだけに追われる日々だった。ある服は、既製品よりも早く出来上がりもした。そんな中で目にしたのが、日本の男性雑誌 ‘Mens'EX’で紹介されていたスーツの記事だった。
 


アットリーニのスーツは、なぜ100万円もするのか?
キートンは何が違うのか?私たちはこうやって作っているのに、彼らはどうしてこのように作るのか?スーツっていうのは、どうせ西洋の文化ではないか?日帝時代に日本人が着ていた洋服の製造方式で、アメリカンスタイルのスーツを着ていた私たち。やはり自分も既製服自体が身体にしっくりこない体型だったし、身体に合ったスーツを作って着ていても、どこかいつもぎこちない感じがあった。そして決めた。どこかに良い服があるだろうと信じて。私にとって、良い服がある所が理想郷だったのだ。 





荷物をまとめて、イタリアに向かった。ミラノからスタートした。そして南部へと下りながら、フィレンチェ、ナポリへ留まり、スーツの技術を賜ることができる場所を探し回った。ナポリの最後の洋服店で、明日から出てこいという言葉をもらい、長旅の苦労が報われた頃、‘まだ一箇所行くところが残ってるが…’という未練に後ろ髪を引かれた。距離上近いわけでもなく、どうせここで採用になったみたいだし、行くのをやめるか?


しばらく考えてみたが、何故か行かないと後悔するような、モヤモヤする何かを信じてみることにした。そうして向かった所が、アントニオ・パスカリエロ(Antonio Pascariello)のお店だった。そしてその場ですぐに手に針を持ち、師匠が渡す生地の切れ端を縫い始めた。年老いてもなお仕事に邁進する、老人ひとりが一生懸命に仕事をこなす、いつだって人手が足りない場所だった。 





師匠は1941年生まれだ。第二次世界大戦が終わった1945年、ナポリは戦争が残した貧困で荒廃した土地だった。その場所で、師匠は5歳から服を作る仕事を始めた。十分ではないが、それでも食べて暮らす分には困らない仕事としては、理髪師、靴職人、そして服を作る仕事だけだったそうだ。 


アントニオ・パスカリエロ(Antonio Pascariello)は、スーツを見る観点が他の人と並外れていたサルトだった。全体的なシルエットは独自の比率でバランスを追求したが、そのための具体的な作業は容易なものではなかった。

一度縫ったものが気に入らなければ、いつも気分が悪そうだった。着る人もなかなか気づかないような小さな失敗ひとつも見逃さず、ジャケットの全体的なシルエットとバランスを合わすことは、彼の頑固な気性をさらに敏感にさせた。ナポリ市内で洋服屋をすることは、すべて嘘つきだと言った。 


師匠は正直な性格のために心を痛めていたけれど、たとえ大目に見たとしても、嘘は良くないと思っているようだった。70年近くスミズーラの仕事をしてきた彼に、これまでで一番完璧だと思う服はどんな服だったか尋ねてみたら‘いくつもない’という答えが返ってきた。




初めてきちんと習った仕事は、‘針仕事’だった。ソウルで習ったものとは針を握る方法から違った。縫う時の方向も違った。通常、自分の位置を基準に外側に向かって縫い進めていくのだが、師匠は中側へ縫えと教えた。そうすれば、縫っている状態を目できちんと見ることが出来るという理由だった。何十枚のジャケットのパターンが重なったら、一枚ずつ胸に引き寄せて塗った。古くなった原木の作業テーブルの上は、服の生地と糸、道具たちで散らかっていた。整理する人は誰もいなかったが、物を失くしたり、探す人は誰もいなかった。狭い空間いっぱいに広がった高いテーブルに手を置き、首にメジャーをかけた師匠は、ほとんど一日中休むことなく服を縫った。時々、オペラをテナー歌手のように突然歌い始めたりしながら。


師匠の洋服店には、シルバノ(Silvano)というドイツ系イタリア人もいた。イタリアで生まれ育った彼だけど、いつもドイツを賞賛しながら、イタリアを嘆いていた。酒とタバコを楽しみ、師匠の仕事を一手に引き受け処理する60を超えた老人だった。彼は口癖のように言った。‘あと1年だけ働いたら、この仕事を辞めて年金で楽に暮らすんだ’と。

ある日、アイロンをかけていたシルバノは、大きな音をたてて突然にゆっくりと倒れ、この世を去った。あと1年したら好きな安いワインを飲みながら、一生ゆっくりするはずだった彼があっけなくこの世を去り、私と師匠だけが残った。シルバノのいなくなった分だけ、やらなければならないことも2、3倍になった。








おかげで、師匠の技術をもっと多く学ぶことはできた。その奥深さと理解を一歩一歩追いかけて行った。良いスミズーラは、良い生地、良い針仕事、そして良い型紙の全てが揃えば、それだけ完成に近い。経験がない人には当たり前の真理だけど、経験がある彼らは、この当たり前の真理に首を縦に降るしかない。それほど、完璧に身体に合ったスーツが世界に存在する確立は低い。個人差もあれば、人の体型はすべて異なる。サルトの実力は、絶対的に他の人の体型から一番美しく見える最適のシルエット、それを探し出す長年の経験と鋭利な感覚にかかっているのだ。



      " すべての美しいものと同じように、カギはバランスにある。

型紙を針仕事によって繋げていく過程で、

‘無理やり’ということはありえない。

無理をするすべてのことは、バランスをあらかじめ壊す、

間違った行いだ "

 






私が修行しているナポリ方式の秘訣も、やはりバランスにある。全体的なシルエットをつかみ、ディテールを細かく具現化することが原則だ。一番大切な部位は、‘肩’。肩のバランスが少しでもゆがんだなら、服のすべてが崩れてしまうのだ。

フィレンチェの肩の型紙が若干外へ出ている形なら、ナポリは肩のラインをきちんと合わせて服を作る。若干のドレープは基本のため、着た時にゆったりとしたボリューム感を与えるのだ。上半身で一番動かす腕を楽にさせるためには、肩とアームホールに一番気を使わなければならない。 


 



上体にきちんと合ったジャケットが国内スーツで普遍的に見られるシルエットだが、スミズーラは肩と胸にドレッシーな余部を与える。この部分が優雅な感じを具現化するエッセンスの役割をするのだ。師匠は、いつもこう言った。‘この部分がピザのようにぺったりとしたらダメだ’。肩と胸にドレープを手縫いで完成させることは、既製のスーツやデパートのブランド服で表現できない部分だ。必ずサルトの手縫いと比率感によって、美しいドレープを生かすことができるのだ。

ナポリ伝統方式のスミズーラが服を見る時、一番目が行く部分でもあるが、ラテン系の骨格に合わせた優雅さでもある。ソウルに住むサルトリア ナポリターナである私は、この部分について改めて見直すことにした。東洋人の体型に最適化されたドレープを、独自のノウハウで表現するのだ。 




ソウルにて最適化されたスミズーラを完成させるため、生地についても悩んだ。ナポリで地中海の海風にあたり、薄い生地を風になびかせながら立つ男のロマンは、ソウルでは不可能だ。

イタリア生地特有の柔らかい性質のためだ。ソウルの湿度では、イタリア生地はダメになってしまう。力のある生地が必要だった。結果的に、ナポリ伝統方式のスミズーラを、イギリスの生地で作ることになった。





私の服を着てみた多くの人が多く口にする言葉は、‘男性的な感じが強い’だ。すべての工芸品も、知らないうちに作家の趣向が作品に現れるように、私もやはりそのようだ。

意図したことではないが、全体的にボタンやポケットなどが少し下の方にある。これが何よりも冷静なイメージを与えている。そして、ここにイギリス生地が格を与え、重みのあるイメージをプラスするようだ。





採寸をし、数百回にも及ぶ針仕事で1次フィッティングを終え、再び顧客が着てみて身体に繊細に合わせる2次フィッティングが済むと、微細なディテールを修正しながら服を完成させるスミズーラ、その一連の過程を経験してみた彼らは、過度過ぎも不足もしない適度な美学を知ることになる。


その誰でもない自分だけに最適化された美しさが何か、サルトと知っていく作業だ。サルトと友達になり、新しい服が1着できる。どんなに素晴らしいことだろうか。





この素晴らしいサービスにより、誰かの日常の中で眠っていた感覚を呼び覚ましたり、格の概念をもう少し明確に持つ経験が出来るのならば、私にとってもこの上ないやりがいなのである。

 

 

 

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