片づけられない親を持つ
幸せ老後ナビゲーター
大城悦子です。
さて前回の続きをお伝えしますね。
前回の記事はこちら↓↓
ゴミ屋敷火災 ~愛知県豊田市~ 「ゴミは同志」
ゴミを周囲の人が迷惑するほどに
集め溜め込むこの行動の理由
まず一つは
寂しさや孤独感という「心の隙間」を
物理的な空間を埋めることで
解消しようとしているから。
次に
社会から必要とされていない自分と
ゴミを無意識に同化していて
ゴミを集めることで
社会から捨てられている自分を
助けようとしている。
この2つが大きな要因だと
私は考えています。
そしてこの心のカラクリがあると
周囲や行政の取り組みが
余計にゴミ屋敷問題を
大きくさせてしまうことがある。
というのが今日のお話です。
今回のゴミ屋敷でも
過去2回の行政代執行でゴミを撤去したり
定期的に近隣のボランティアが
何トンものゴミを一緒に片づけたりしていました。
この周囲の行動がゴミ屋敷住人に
どんな気持ちの変化を
起こしていたと思いますか?
「ゴミがあれば人が気にかけてくれる」
もちろん無意識にですが
こう感じてしまうのです。
ゴミは自分と社会をつないでくれる
大事なツールとなってしまうんですね。
ゴミを片づけてもらったり、
行政代執行が「つながり」と言えるのか?
と思われるかもしれませんが
私たちヒトが最も耐えられないのは
無視されること、
孤立することなんですね。
できるなら健全で明るいつながりを持ちたい。
誰でもそう思っています。
でもなんらかの理由で
それが叶わないとしたら
例えネガティブな関係であっても
人と社会とつながることを
私たちは本能で求めています。
つまり
本能で求めていた
このつながりをなくさないためには
永遠にゴミを集めつづける必要があるのです。
もちろんゴミ屋敷の住人も
そういう自覚はないかもしれません。
ボランティアの方々の熱意と厚意に
「もうゴミは集めない」
と固く心に誓ったかもしれません。
その気持ちは本当だと思います。
でもどんなに固く意志の力で誓ったとしても
本人すらコントロールできないところで
ゴミで心の隙間を埋めること
それがもたらしてくれる
人との関わりを求めてしまうのです。
行政やボランティアの方が
誠意を尽くされていることが
逆の結果を生んでしまうとしたら
それは残念で悲しいことですね。
この矛盾を解消するためにはやはり
行動や結果を変えるための
アプローチではなく
そうせざるを得ない
ゴミ屋敷住人の心に寄り添う
サポートが必要なのです。
そしてこれは実家の片づけ
親に対しても同じことがいえるんですね。
モノがあふれた状態をなんとかしようと
勝手に片づけたり、
無理やり片づけをさせようとしても
結局は元の木阿弥になってしまう。
それよりもそこに
どんな親の気持ちや心の動きがあるのか
そういう部分に
目を向けてみるといいかもしれません。
長くなってしまいました。
今回も最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。