ポーツマス2日目の目的地、ポーツマス歴史協会です。
John Paul Jones House
43 Middle St, Portsmouth
日露戦争の講和条約を行ったのが、ここポーツマスです。
日本とロシアの戦争なのに、なぜアメリカ?
こんなアメリカ人のなかでもさほど有名でない町で?と
誰もが思うかもしれませんが。
外務大臣だった小村寿太郎が学友だった
ルーズベルト大統領にロシアとの講和の仲介を求めて
実現した講和会議で、
Wikipediaより抜粋。
パリ (ロシア案)、芝罘 またはワシントンD.C. (日本の当初案)、ハーグ (米英案)を押さえての開催地決定であった[1] 。ポーツマスは、ニューヨーク の北方約400キロメートル地点に立地し、軍港 であると同時に別荘 の建ち並ぶ閑静な避暑地 でもあり、警備 がきわめて容易なことから公式会場に選定されたのである
ポーツマスの人たちは
おそらくほとんどの日本人がこの町の名前をしっていることを知ったら
さぞかし驚くだろうな(笑)。
実際、講和会議は日本とロシアの激しい駆け引きの末
1か月もかかり、条約締結しました。
途中何度も破談に終わりそうになったのを
助けたのがポーツマス市民だったと言われている。
両国の全権大使らを外に連れ出し、晩餐会や庭園パーティーを
催し、気分転換を図って交渉が決裂しないように励まし続けたらしい。
講和内容の骨子は、以下の通りである。(Wikipediaより抜粋)
- 日本の朝鮮半島 に於ける優越権を認める。
- 日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
- ロシアは樺太 の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。
- ロシアは東清鉄道 の内、旅順 -長春 間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
- ロシアは関東州 (旅順 ・大連 を含む遼東半島 南端部)の租借権 を日本へ譲渡する。
- ロシアは沿海州 沿岸の漁業権 を日本人に与える。
日本は1905年10月10日 、講和条約を批准し、ロシアは10月14日 に批准している[7] 。
以上
この時の樺太南側の譲渡が北方問題として今もなお続いている。
ロシアからの賠償金は取れなかったけれど
この条約により、朝鮮・満州からロシアを撤退させた小村寿太郎の功績はとても大きい。
(日本国内からは非難されたようだが)
これがなかったら日本は共産国になっていた可能性が高い。
一部日本語でも説明があります。
日本の全権大使 小村寿太郎。
彼が講和条約終結時に座っていた椅子。
風刺絵
条約締結を知らせた号砲の薬夾。
風刺絵も沢山。
アメリカの操り人形の日本とロシア。
条約締結記念グッズも沢山。
うちわやナイフまで。。。
*ここだけ情報*
小村寿太郎は150センチに満たない男だったのに対し
ロシア側の全権大使ウィッテは180センチ以上の大男だったらしい。
セオドア・ルーズベルト米大統領は、この条約を仲介した功績が評価されて、
1906年にノーベル平和賞を受賞している。










