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三十日参りの国府宮さん



さて
最近また色々と考えるところありでなんすが

やっぱり目指すのは

ナンバーワンよりオンリーワンですね[みんな:06]

なんでしょーか

昔から群れるのは嫌いで

誰かと同じも嫌い

誰かがやったから、
そのマネなんて

まず、絶対やらない子でした。

その、へそ曲がりぶりは

今でも顕在(笑)

(今考えると、いじめられっ子に声かけて一緒に帰っても
次の日は知らぬ顔で、いじめられっ子は当惑しただろうな(^_^;)
結局どちら側でも無いって感じだったんですけどね、わかるかな?話それた?)

なんかでも、急に腑に落ちた気がして

これは私の覚え書きです。


私は私でありたい[みんな:07]

(結局同じ事だとしても
タイミングも形も私が決めるのよ。
私は私)


へへ[みんな:10]


さて前記事続き…

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見つけたお寺は

明星輪寺さんでした。

ひらがなで書いてあった

「こくぞう」は

こちらの虚空蔵菩薩さまの事でした。

知恵の神様なんですね[みんな:12]


にしても
説明なさすぎですってば[みんな:01]

下にあった看板?こくぞうだけですからね

食堂か宿でもあるのかと思いましたあせる

それでも登って行きましたが[みんな:13]


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ついて見たら

何人もの人がお参りにきてらっしゃいました。

三脚とカメラを持って撮影目的の方もちらほら

濃尾平野が丸見えですからねえ[みんな:11]

兎に角 本殿にお参りしましょ

と入ると

奥に何やら塊[みんな:09]

岩なんです。

すんごい大きい岩の祠に

虚空蔵さんがおまつりされてます。

何と中まで入って

岩もさわれちゃうんですが

さすがに写真を撮ることは
はばかられました[みんな:02]

ホームページからお写真借りてまいりました。

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大迫力でしたよ。

同じくホームページより↓

統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(686年)役の小角の創立にかかり
七堂伽藍をはじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。
その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を再建修復す。
このとき恒武天皇は勅願を下し封戸三百石を寄進された。久安四年雷火の為に伽藍残らずに焼失したが時の住僧は八方に手を尽くし復興を図って本堂その他諸堂は再建されたが、塔は再建出来なかった。
その後、慶長十四年美濃高須の城主徳永法院壽昌公は本堂はじめ諸堂を再建された。
江戸時代に入って大垣藩主戸田家は代々祈祷所と定め帰依し保護す、明治維新を迎えて新時代信仰の対象として広く一般参詣者を迎え法灯を今日に伝えております。


686年ビックリマーク!?[みんな:03]

空海さん?

空海さんて、ほんとに彼方此方出没[みんな:04]

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階段をもう一息登ると

何やら公園もあったのですが

今回は母と一緒なので断念。

また、ゆっくりと伺いたい興味深いところでした。

だけど、ほんと
知らない人は、あんなところに

あんな立派なお寺さんがあるなんて

想像できないし。思いもしないですよ。

辿りつけてラッキーです[みんな:08]


ほんとに
はぴはぴはっぴー[みんな:10]

ありがとうございます





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