造形作家のベニエダと申します。50代、男性、会社員です。

 

 

「何の役にも立たなのに、そばいると嬉しい」というテーマで、猫のフィギュアを制作しています。しかし専業の造形作家ではありません。家族はカミさんと息子がいて、30年近く会社員としてデザイン分野で就業しています。

 

 

そんな私が、猫のアートを作り、ハンドメイドマーケットへ出品するに至った経緯を自己紹介としてお話させていただこうと思います。







一見、無駄と思われることばかりの自分。

 

 

はじめに、どのような造形活動かを少しご紹介します。私は「手でものを作る」ことが大好きです。そして「猫」が大好きです。そんな私は前々から感じていることがありました。

 

 

それは今の時代、「手で作る」ことは「非効率」で「無駄が多く」「費用対効果が悪い」という見方が増してきているように感じます。

 

 

一方、猫もまた「役に立たない」「気まぐれ」「言うことを聞かない動物」で、実用性はなく、いてもいなくても不便ではないけど、好きならどうぞ、という存在。例えるならば、数学や英語などの主要科目ではなく「美術」のように、やってもやらなくても進学には関係ないけど、好きならどうぞ。という存在にも似ているように感じます。

 

 

そこで私は気づきます。「ん?自分の好きな ”手で作ること” も ”猫” も、みんな効率の悪い、役にたたない、主要科目ではないものじゃないか?」と。

 

 

いやいや、そんな事はないはずだ。効率だ、成果だ、合理的に、という今だからこそ、

「一見、無駄」「一見、役にたたない」「一見、非効率」と思われている事にこそ、実は、重要な価値が隠されているのではないかと、感覚的には思うし、思いたい。

 

 

そこで、私はこの「何の役にも立たないけど、一緒にいると嬉しい」という猫の存在を手で作る、という価値をカタチにするために作品を作り、知っていただきたいと考え、造形活動をしています。

 

 

しかしホントは、やりたいことを続けているうちに自分の中で感じていたことがわかってきた、ということのように思います。

 

 


幼児期のネリゴム体験と、23歳の長生き猫が原点。

 

 

私が手で何かを作るきっかけは、私が幼児の頃、父が画材のネリゴムを「おみやげ」と称して買ってきた事から始まります。

 

 

下記写真は、おそらく当時と同じ商品が同じように売っていたので、つい買ったものです。ネリゴム。

 

 


その後、私はネリゴムを普通の粘土だと思い込み、毎日、毎日、毎日、遊び続けました。

 

 

寒い冬の日はネリゴムが少し硬くなるのでコタツの網にくっ付けて、柔らかくなったところで、また遊びました。

 

 

作っていたのは自分で考えたロボットとか怪獣とか、そんな感じだったように記憶しています。下の写真は、当時の感じを思い出し、今、再現したものです。

 

 


一方、猫も幼児の頃から大好きで、何度も飼っては死んでしまったり、いなくなったりを繰り返しましたが、しかし、中学3年の時にもらってきたミオという猫が、その後づっと長生きをして、23年間生き続け、私とともに育った大好きな猫でした。

 

 

写真がミオで、1つめは0歳(生まれた年)で、2つめが、たぶん20歳くらいのころのものです。


 

 

 

 


美大を目指す。しかしなぜか平面造形の方向に。

 

 

小さい頃から、ものを作ることが好きだった私は都立高校を卒業し、美大の予備校で二浪の末、多摩美術大学のグラフィックデザイン科へ入学しました。

 

 

「グラフィック」は2次元上が主な表現フィールドで、当時はポスターやイラストレーションや写真などの2次元系の技法などを確かに学びましたが、その本意は今で言う「コミュニケーションのデザイン」というニュアンスも強かったように思います。

 


あれだけネリゴムや工作が好きだった私が、美大を目指す時になぜグラフィックデザイン科を目指したのか今でもわかりません。

 

 

これは、なぜ立体造形である彫刻科とかプロダクトデザイン科等ではなく、平面造形が主体のグラフィックデザイン科だったのか、という意味です。兄が日芸のグラフィックデザイン科だったので、なんとなくそんな気分だったのかもしれません。

 


しかしこの時の選択が、約35年近く経った後に影響を及ぼすことになるとは、よもや思いはしませんでした。

 

 

下の絵は、美大予備校の頃の私のデッサンや色彩構成など基礎的な訓練のものです。

 

 

今はわかりませんが、当時はデザイン科のデッサンは石膏像がポピュラーだったので、その訓練を毎日のようにしました。

 

今、見返すと確かに「ん~、まあまあか」ということがよくわかります。カタチはそこそことれているような気もしますが、実存感というかボリューム感が弱いように思います。ややお恥ずかしい。






仕事に集中した20代、30代、40代。

 

ともあれ、多摩美のグラフィックデザイン科を卒業し、デザイン関連の職種で会社へ就職しました。

 

 

仕事はコンテンツの制作で、アイデアを考えたり、それを実際に制作したり、いわゆる「作る仕事」で、それは楽しく充実した日々を過ごしました。時代的にはコンテンツと言ってもグラフィックが中心でした。


20代、30代、40代と、今とは違い残業もかなり許された時代だったため、寝る間も惜しんで仕事をしました。

 

 

必ずしも仕事で成功したわけではなかったけれど、しかし仕事に集中することから逃げないように、意図的に他の趣味や個人の造形活動はしませんでした。

 

 

例えば個人の造形活動としてイラストを描いて何かに応募して評価などされると、仕事がうまくいかななくても「自分にはイラストがあるから」と逃げ道を作るような気がして、それを避けるために仕事以外の事はせずにいました。



 

うすうす感じていたことが、だんだん出てきちゃった。

 

そんなカタチで仕事に集中し続けて会社生活も20年が過ぎたころ、うすうす感じていた事がだんだんと、はっきりとわかるようになってきました。

 

 

それは「作る」という意味では仕事もグラフィックデザインも同じだし楽しいけど、しかし自分が幼児の頃から本当に好きだった事とは、やはり”手でものを作る立体造形”だ、ということがわかるようになってきていました。

 

 

平たく言うと「絵を描くより工作が好き」という感じです。それは、20年以上会社での仕事を続けたからこそ気づくことができたのかもしれません。


そして会社生活も25年が経過したころ、自分が若手の頃から一緒に仕事をした会社の先輩たちが少しづつ定年退職をされ始めました。

 

 

そこで自分も純粋に「そろそろ、やりたいことをやっても良いのでは」と考えるようになりました。

 

 

長い話しにお付き合いいただき、まことにありがとうございます。話が長くなるため、ここで一度区切らせていただき、この続きは後編として、書かせていただこうと思います。よろしけばぜひ続きをご覧ください。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

後編はこちら

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー