皆さん、あけましておめでとうございます(←ぶっ
)
今更ですが一応ご挨拶させて下さい。
去年は怒濤の『BANANA FISH祭』にお付き合い頂きありがとうございます。
これからは『BANANA FISH』のことは別で語ることにしました。
ここでは今まで通り本の感想を。
小説版『BANANA FISH』の感想はいずれ書くかもしれませんが。
今回は新年一発目に相応しい重めの作品をご紹介します。
東野圭吾『虚ろな十字架』
『内容(「BOOK」データベースより)
中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。数年後、今度は小夜子が刺殺されるが、すぐに犯 人・町村が出頭する。中原は、死刑を望む小夜子の両親の相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた―。』
皆さんは被害者遺族になったことはありますか
私はあります……と言っていいのかな。自分でもよく分からない。
被害者遺族のような、そうでないような、微妙な立ち位置にならなったことがあります。
母方の遠い親戚の女の子のことです。
私はまだほんの子供だった上に、彼女には一度も会ったことはありません。
母親でさえ、一度会ったか会わないか程度の距離の親戚です。
その女の子が殺されました。22歳でした。随分昔の話です。
詳細を書くと特定されてしまうので、詳細は控えます。
当時、ちょっと騒ぎになったらしく、今でも覚えておられる方がいるからです。
名前を検索するとウィキペディア等で事件の詳細が見られるようになっていますが、私は若い頃一度見て、それ以来は見ていません。
自分が遺族とまでは言えませんが、全くの無関係でもない人間なので、この本はとても重い気持ちで読みました。
動物の葬儀屋で働く中原は、過去に幼い娘を殺されていた。
犯人は死刑になったが、それを機にお互いの顔を見ていると事件を思い出してしまって辛い、と言う理由で、妻の小夜子とは離婚した。
それ以来、お互いがどんな生活を送っているのかも知らなかった。そんな時、小夜子が殺されたとの知らせを受ける。
事件を受け、中原は小夜子がフリーのライターとして、死刑廃止反対を訴えていたことを知る。
犯人が早々に自首したため、ただの強盗殺人に見えた小夜子の事件だったが、その裏には別の事件が隠されていた……。
そんな感じの話。
人を一人殺しただけでは死刑にはならないのが、この国の法律です。
それでも遺族は罪の重さを訴え、無理だと分かっていても死刑を望むのです。そうでなければ救われないのです。
でも死刑になったところで遺族は救われることはありません。死んだ人が戻って来るわけではないのだから。
その上で、遺族が死刑を望む理由が分かりますか?
本文にこんな一文がありました。
『もし犯人が生きていれば、「なぜ生きているのか、生きる権利が与えられているのか」という疑問が、遺族たちの心をさらに蝕むのだ』
『死刑を廃止にして終身刑を導入せよとの意見もあるが、遺族たちの感情を全く理解していない。終身刑では犯人は生きている』
私も大事な人が殺されたら、死刑を望みます。
犯人だけが人生をやり直すチャンスを与えられるなんて許せないからです。
しかし、
『遺族にしてみれば犯人の死など「償い」でも何でもない』(本文より)
それもまた確かなことなのです。
終盤に花恵と言うキャラが、中原に自分の言い分を訴えるシーンがあるのですが、本当に自分勝手で不快だった。
殺人を犯しても ○○してるから償ってることになるでしょ、って。
殺めた命を別の命で償えるわけではない。
命は平等に一つなのだから。
私は個人的に遺族の求める結末を望みます。
生きて償えという遺族もいるかもしれないし、死んで償えという遺族もいるかもしれない。
判例ではなく遺族に寄り添った判決を切に願います。
「死刑は無力だ」
東野圭吾先生は答えを読み手に委ねました。
興味のある人はぜひ。
![]() |
虚ろな十字架 (光文社文庫)
424円
Amazon |
![]() |
虚ろな十字架
1,330円
Amazon |
(2019年02月 読了)