お絵かきをしていて

なんか途中では

こんなのだめだ、と思うこともあるんだけど

 

だめだ、とか思うのは

これは、論理の世界であって

左脳で思っているんだと思う

 

そういうところを通り越して

 

まー、いいから、描いてみようってな感じで

描いていることこそが、尊い、みたいな

描くことがいいんだ、と思って

 

ごしごし、やっていると

また、次の境地に行って

 

これが、やればやるほど

また、次の世界にいくことができて

 

 

ちょっと時間をかけてやると

そして、ちょっと、丁寧さを出してみたりすると

 

なんか、いい感じに、出来てくる

 

やりすぎないように

気を付けているところだが

これもまた

ちょうど、やりきった、という辺りまで

持っていかないと

 

この、足してもひいても

ちょうど100のところまで、持っていくってのが

 

自分のセンスなのですわね。

 

ちょっと向きを変えてみたり

電気があたるところを変えてみて

違った角度からみて

もう一度、塗り直してみて

そのあと、離れたところに、置いてみる

 

 

写真を撮ってから見てみると

また、違ってみえたり、あら、が見えたりするので

 

またさらに、手を加えたりする

 

なーんて。

やってるよ。

 

いい、と思う作品は

自分でも、見ていて気持ちがいい

飾ってあるけど

 

何度もみちゃう

 

みて、ほれぼれする

また、みてしまう

 

みたいな感じ

 

そういうのがいいんじゃないかな

と思ってる

 

これは、左脳の世界ではなくて

 

右脳の世界だと思うから

出来るだけ、あれこれ、考えたり悩んだりせずに

 

しゃらしゃらっと

描くのだ

 

写真をまず、数枚とっているけど

その中で、いくつか見てみて

これがいいかな、と1枚選ぶ

 

この辺りでも

写真選びのセンス、みたいなものが

あるんだと思う

 

結構簡単に、さらさらっとやっているようで

幾通りもあるなかで、選んでいる、という道をとおっているね

 

こんなこと、わざわざ、どうして書いているのか

とも思うけど

これは、わたしの通ってきた軌跡みたいなもので

 

 

あのとき、スピリチュアル的には、どんなことを考えて

どんな活動をしてきたか、ってのが

 

宇宙人的には、大事なんだ。

 

こういう道を

あんがい、みんなが、通ってきているんじゃあないかなと

 

最近、気づく出来事があった。

 

ただ、みんながアートになってしまうと

わたしの活躍の場が、あんまりなくなってしまったらイカンから

 

みんなが、アートではなくて

音楽とか、スポーツとか

文芸とか、

いろいろと、他にもあるんだと思う。

 

 

自分を見つけて、自分を表現していって

 

それで、その先に、また何かがあるみたいな

 

そういう活動が、スピリチュアルの一環として

あるんだろうなあと

 

まー、言ってみれば

 

こういうものも

啓示がおりてきたとか

 

イメージが湧いてきたとか

 

どこかとつながった感が

あるようなものだから

 

すーっと通っていくと

情報も入りやすくなっていって

 

情報が入るってのは

情報を出すということと同じことだから

 

まず、出すという、出口を作ってあげると

入ってくるという

そういう仕組み

 

 

絵を描くとか

何かを表現する

発表する

 

外に出す、というのが

 

いいというわけですねえ。