そうか、そうか、そういう意味だったのね。

 

見える、というのが、未来の映像が見えるのかと思ったら

これと、これと、どっちがいいですか、などと聞かれたときに

 

どっちかが、イヤーな感じがしたり、ブロックされていると感じたりするとそれを選ばないようにする、というネガティブな結果を察知するという方法のことだった。

 

ネガティブな結果が見えてしまったらどうするか

という話じゃなくて

ネガティブな感じがしたら、そっちを選ばないという話なのね。

 

 

これさあ、こういう感じのこと、出来る人って世の中に色々といると思うんだよね。私の友人でも、色んな意味でのサイキックの人っているよね。

 

 

でも、いっぱいいると思うけど

ちゃんと仕事として成り立っている人、人気もあってお客さんが

来てくれる人と、自分と友達としかやっていないような人といるのはどこが違うんだろう。

 

 

正確かどうか、当たっているかどうか

お客さんの意図に合っているかどうか

というところが大事だよね。

 

 

一つのコトガラを、いろんな人に聞いてみると

色んな答えが出てくる。

ちょっとそれは、私の言葉でいうと、ハズレでしょ、というようなものもあるし、ハズレとまでは言えないとしても、それは私の言葉ではなくて、あなたの経験とあなたの言葉でしょ、っていうこともある。

 

 

ここのところが。

言葉の選び方とか、通訳がウマい人、が良いんだろうなあ。

その言葉で言ってもらえると、納得できる、ってこと。

 

ワタシも出来るかな、、、、

 

そのように思う人は他にもいるらしく

そういう質問が来ていた。

そうだよね、みんなそういう質問は浮かぶよね。

自分も出来るかな、出来るようになりたい、

 

出来るかな、って聞くと

出来ないんじゃないかって答えが返ってくることがあるから

そういう質問の仕方じゃなくて

 

出来るようになって、どんなふうにウキウキと楽しそうにやっていたいかというのを考えた方がいいという。

結局やるのだから、って。

 

やりたい、と思ったことは

それが出来ますか、うまく行きますか、と未来が見えていることとつながっているのか、と思うけど

やりたいことと、未来が見えていることとある意味それは一緒のことらしい。出来ることというのをやりたいこととして見せているようなところがある、と言っていた。

 

その点に関しては私もそう思う。

ワタシもこの文章の中でそういうことを書いたことがあると記憶している。

 

出来るかな、、、、って思うことは

出来るんだ。

 

なーんだ。そうなんだ。

ワタシもそう思っていたけど

あの世界的に定評のあるあの人が同じことを言っていると

背中を押してもらったカンがあるよね。

同じです。同意見です。

 

 

やなかんじがしたら避ける、ってのは

まあ、いつもやっていることで

これは、結構分かりやすいものですね。

 

 

ビジョンで見えるって言ってた。

ワタシも時々、見えるよ。

そう。最近わりと見えるようになってきた。

 

そうそう、これも言ってたね。

練習だって。練習してると出来るようになるって。

 

もっと〇〇になるには、どうしたらいいですかとか

区別がつくようになるには、どうしたらいいですか、とか

質問が出ていたけど

 

練習するともっと分かるようになる、って。

そうだよねー。

 

なんやかんや、私も、結構、練習するためのセミナーに出てるじゃん。

 

じわーっと見えてくる

見えるというか、雰囲気というかなんか言葉で描けるような風景がじわっとくる。

 

ただ映像なんじゃなくて

言葉で言える映像が出てくる。

 

私のいいなと思うのは

言葉で出てくること。

言葉は一番、ズバット一言で表すことが出来る。

 

映像で、船が来ているのが見えます、ってのは

さらに、解釈が必要になる。

 

人それぞれの得意ワザがあるからね。

 

セサミストリートの中のキャラクターが映像でたときは

困ったけど。。。。

映像が一番、一言でピッタリ言えることもあるし。

 

みんなが知ってるキャラクターとかで出てくることがある。

分かりやすい。

 

ETとか。

 

 

見えるのと同時に、情報がきた。

銀行に行って何かお金のやりとりをしているところが見えた。

 

ナンダロウ。。。。

 

結構大きなお金だ、という印象があった。

 

これが、セミナーを受けている途中で、ぼわっと浮かんできた。

 

もちろん、良いことだ。

良いことでお金を扱っているのだ。

なんか、大きなことをやってる、ということだ。

 

数百万円ではないような、金額だったと思う。

 

自分のお金かな、、、、、、誰のお金かな、、、、

 

 

そう。思い出したのでちょっと書いておこう。

 

〇〇と、〇〇と、区別がつかないという

質問はよくあると思う。

 

よくある答えは

ポジティブな答えが、気持ちいい答えが、正しい答えで

ネガティブなものは、先入観とか自分のつぶやきとかだという。

 

それでも、区別がつかない、という話だと思う。

 

 

これは、区別はつくようになるよ。

 

なる。絶対。

分かるようになる。

最初は、自分で決めていくのだ。

 

人に聞いて、どうやって区別つけたら良いですか、って

人の意見を聞くだけじゃなくて

自分で、最初は決めていくのだ。そういう作業をしていくと

 

そのうち、自分の中で

分かってくる。自分が分かってくる。

 

自分で自分のことを発見し、自分で自分のことを決めていくのだ。

 

そのうち、

あー、あなたはそうなんですね、私はこのようにやってるんですよ、って言えるようになってくる。

 

ただ、こういう時の先生としては、一番、ポジティブな方法を教えてくれる先生の方がいいのだ。

 

せっかく、大勢の人の前でやり方を教えてくれて、みんなの良いお手本になってくれる先生というのは、ポジティブな先生がいい。

 

 

みんなはそれを真似しようとして

先生のようになりたい、と思って

目指していく、というのは良く分かる。

 

 

 

先生を真似しながら自分のやり方を見つけるのであって

先生が言ってる方法が自分ではうまく出来ません、、、、どうしたらいいですか、、、、というのは、本末転倒だ。

 

 

もっとポジティブになろう。

 

最近また、少し明らかになってきた

別にそれを目指さなくてもいいんじゃないか、という気がする。

 

 

人と同じことをする必要はないよね、と思う。

私の、ミディアムの活動を、もっとお客さんに対してやったらいいとか、プロとしてやったらいいとか

これはさ。

 

私のことを読んでくれた人が

自分が、ミディアムの活動をしていて、自分の活動に自信を持っている人だから、それを私にも勧めたんだと思う。

 

例えていうなら

ワタシが小学生に向かって、もっと本を読むといいよ、っていうのと一緒だ。

 

その人のところにきたインスピレーションでは

ワタシにはもっと能力があって、それを使いこなしたり何かに役立てることができるよ、と言いたいのだけれど

それ以上の、ボキャブラリーや、経験がなくて、それ以上のことが言えないだけなのだ。

 

 

もっと違う活用方法があると思う。

ハラの中の答えが、それはしっくりこない、と言ってるから。

 

それじゃあないと思う。

 

なんか他に、もっと違う方法でこの私のミディアムは活用法があるのだ。

 

 

それから

もっと大勢に向かってとか

大勢を相手に、そして、世界中にとか、有名になってとか

 

これを目指さないことにも

何か意味があると思う。

なんかこれ、積極的にやりたいという気分にならないのだ。

 

知られちゃったら

あまり面白くない、と思ってる。

こっそりやってるのが、面白いのであって

 

みんながみんな

有名になったり、大勢に知られてしまったり

というのが、唯一のゴールじゃない、と思う。

 

成功の形、というのが、1種類じゃない、と思う。

 

それが成功のかたちと思うと

それをやらないといけなくなる。

 

それをやり続けることが

成功することが目的だったのが

いつの間にか、成功に働かされている

 

こういうのは

人の価値観なので

違う考え方の人もいるわけで

 

成功というときに

有名になる、というのとは切り離して考えることも出来ると思う。

 

 

人に見つからないように成功する

ってのは、面白いのだ。

ここじゃない、ポイントはここではない。

 

早いこと、速いこと、これもポイントではない。

なんでも、速く、たくさんやろうとすることが、成功と結び付けられていることもあるけど

これと成功とは、関係ないと、わたしは思う。