別にもっと人に来てほしい、と思っているわけではないのだろうけど

媚びるつもりもない、というのだろうけど

あの言い方だと、楽しいことも楽しくなくなるでしょう~~

 

楽しいことなのに

言い方が、違うと楽しくないことに聞こえてしまう。

 

例えば

私がお友達を、芋掘りに誘うと、みーんな楽しそうに集まってきて

芋掘りを手伝ってくれる。

 

芋掘りくらいだったら、みんな楽しいかもしれない。

 

大自然のなかで、体を動かすことは、みんなやってみたいことだし

気持ちのいいことなんだ。

 

そして、次に、イモの苗を植えてみようかと言って誘ってみたら

これも、やっぱり、みんな試してみたかったようで

くつが泥だらけになりながらも、イモの苗を畑の中に、

置く人と、差し込む人と、どちらも楽しそうにやっていた。

 

くつが泥だらけになるよ、というのは

先に言ってあるので、そういうくつを履いてきてね、ということになっている。

 

みんなが、苗を植えている間に

私は、苗の横に生えてきた、雑草をとることにした。

 

どの辺の雑草を取ったらいいのかなど、ハタケの先生に聞いてみて。。。

 

そうそう。このハタケの先生が

うんじゅうねん、これをやっている人だから

 

この雑草取りの仕事を、まるで忌々しいことのように

表現する。

 

そんな言い方は、21世紀の言い方じゃないよ。。。って思うような言い方をする。

 

こんなに雑草が生え始めてきて、もうちょっとすると、手に負えなくなって、さっさとやらないと、周りの人たちから笑われるようになる。。。

 

って言われたんだ

 

なんかさーーー

 

21世紀の言い方は、もっとポジティブに。

 

なんでそういう言い方するんだ忌々しく聞こえるじゃないか、と

心の中で反発したので、アタシ、

ちょっとやってみたんだ。

 

どの雑草を取ればいいのか、と聞いて

アタシも、ちょっと雑草を取ってみたよ。

 

手でつまんで、ぽいっと引き抜けばいいのね。

 

ぷちぷち、みたいな。

 

これさー。

取る前に先に、水をかけておくと

土も柔らかくなって、取りやすく気持ちいいよ。

 

ちょっとしゃがんで、ぽちぽち、取るので

 

実は、昨日のこの作業で、今朝は良い感じの

筋肉痛のような、運動しました系の、倦怠感がただよう。

 

 

絶対、こういう系の作業、好きな人いるって。ぜったい。

 

それにね。

自分も役に立っている、という気分を味わいたい、という欲求があるって絶対。

 

だから、お手伝いしたい、って気持ちがあるんだよみんな。

 

楽しく誘えばみんな来てくれて一緒に雑草を取ってくれるのにねー。

 

「やらないといけないことを、サボってる」って前提の表現がイカンのだわ。

 

やってくれてありがとう

意外と楽しいよ

やりたかったら、やってね

 

で、いいと思うんだよね。

 

やりたいことをやってね、って。

 

それに、何人か人が集まると、

みんながやってると、みんなと一緒にやるのが楽しくて

なんとなく、いつの間にか、体が動いちゃう系の習性って

あると思うよ。

 

子どもちゃんたちが、来たときなんかは

ちょっと楽しそうにして、競争させると、きそいあって、がんばる、みたいなところも、あるよね。

 

上手だねえとか、うまく出来たねとか、ナカナカ筋が良いとか

褒めてあげると、褒められたくて、頑張るし。

 

そういう気分を味わえる、絶好のチャンス、なのが、ハタケなのだ。

 

それを義務感のような表現にしたら、いかんねーー

 

草取りの、ちょっとしたミニ発明みたいな、草取り機械、みたいなのをネットで見かけたことがある。

 

ああいうのを、自分で作ってみるとか、あるいは、どこかで売ってるのを買ってきて

 

ミニ機械で、ほじくったら、楽しいと思うな。。。

 

通販であったと思うんだけど

近くのマーケットにあるかな。。。

見てこようかな。。。

 

 

雑草取りは、意外と楽しいのだ。

 

一人で壁に向かって家の中で何回もスクワット運動するよりも

こっちの方がいい。

 

目に見えた目標が、目の前にある方が

やる気が湧いてくる。