意図する、という言葉があるけど。

この言葉の意味は、人によって違うかもしれない。

意図してください、と本に書いてあることがある。

 

意図する、という言葉は、言葉だけふわふわと、さまよってる気がするよ。

昨日も本を数冊ぱらぱら読んでいたら、意図してください、と書いてあった。

 

意図する、ってのは、ホントに千差万別だと思う。

私は、この言葉を見ながら、色々と考えてみたし

色々とやってみた。

 

意図してください、というときの、意図には

大きくおおざっぱに分けると、2つあると思う。

 

意図、というのは1つじゃないんだ。

2つある。

 

意図してください、と言われたときには

普段の自分のやっている意図というのは、

ちょっと重いかもしれない。

思いが入ってると、重いのだ。

 

この時の、思いと重いは同じような意味になる。

 

意図してください、と本に書いてあって

それをやろうとすると、大抵は、それは、ちょっと重たいのだ。

 

 

なので、もっと、軽くする必要がある。

普段、私たちの考えている、意図する、というものは

 

こういう、スピリチュアルの世界での、愛に満ちた

意図をするという行為よりも、ちょっと重たくなっているのだ。

 

おそらく

学校で習ったとか

文化的なものとか

自分のDNAとか、どこかに入っているようなもので。

 

ちょっと重たくなってるみたいだ。

そのことは、何か悪いこととして、だめだめと言って

自分をいじめる必要もなく

あー、そうだったの、と気づくだけでいい。

 

それで、スピリチュアル的に、意図してください

って言われたら

手に握った花の茎が、しなーっとしおれてしまうくらいの

力と、熱量をもって、手を握り締めるような、そんな意図じゃなくて

 

 

そのことを、考える、というくらいがちょうどいいと思う。

 

大抵のスピリチュアルの本は、外国の著者の本を翻訳して

日本に入ってきている

スピリチュアルの先生も、外国から日本に来て、

翻訳者が入って、講義を説明してくれる。

 

 

ここに、ろすといんとらんすれーしょん、が入ってるかもよ。

 

英語でそのまま聞いていても

日本人のもともと持ってる文化もあるし。私も気づかなかった。

 

というわけで、最近このことに、気づいた。ほけー。

 

スピリチュアルの先生に聞いたとか、スピリチュアルの本とか読んでるときに

意図してください、と言われたら、今までの意図ではなくて

もっと軽くした意図でいいんだ。

考えるだけで、いいんだ。

ってこと。

 

 

スピリチュアルの先生から、意図してください、と言われたときに

その意味が、お互い通じていないこともある。

 

こうやって、一度体験して

自分のこととして、身につくとわかる。

 

もっと、軽くていい。

 

なんか、なんだかんだやってるうちに

なんとなく、スピリチュアルの先生のように、

なっていくのかな。。。まだ分からないな。。。

この言い方がまるで、スピリチュアルの先生みたいじゃない??