こんにちは。アセンションを確実に実行していくための情報と経験をシェアしています、SAKURAです。
あるお仕事に関することです。
長年、他のメンバーが役割を放棄してしまったプロジェクトを私が中核となって実作業をして完了させました。このお仕事の重大な局面がいくつかありましたが、それについても私が気付いて提案して、折々に必要な対策を講じました。
報酬はどのメンバーも一緒です。
それから、一年少し経過しましたところ、このお仕事の事務部門から私へのあるオファーがありました。それは、5パーセントしか選ばれないステイタスへの昇格でした。事務部門の方々は、私の仕事をみていてくださったのですね、と思えました。
アセンションにおいて外側ての、他人の評価を気にするのは、まだまだと思いますが、それでも、自分がやったことへの報いがあるのは嬉しいですね。
また、別の見方をすれば、これまでは自身でこれだけのことをしたと思っても、回りからはそのことへの正当な(と思われる)応酬がなかったのですが、今のステージはそれなもたらされるようになってきました。
別の事柄についても、これは無償奉仕になるかも、と思っていたことが、相手方からきちんと報酬の話がありました(そこは財政難を理由に寄付を募っている所なんですが)。
これらの流れの違いについては、思い当たるところがあります。
今年4月に、あるお寺の僧侶から、急に電話で三時間近く、物語のようにだらだらと相談され、私のほうから「これから新幹線に乗ります。キャンセルしないと間に合わない」とこちらの事情を伝えているのに、そこへの配慮は全くなく、全部自分都合の展開。
その後の追加の相談や日にちの確約も自分都合。
私から境界線をひくべく「長電話で予定に支障がでた。要約して話すように。これ以上の相談は有料です」と伝えると、すべてのことを撤回してきました。
さらに「当然、電話でご相談したこともお支払します」と書かれてありましたが、もともと急な長電話の前に届いたメールには「内々に」と書いてあり、それは正式なものではない、という意味で、「当然お金を支払う」という言葉とは整合しないものでした。つまり、取り繕いですね。
ほとほと、あきれ、ここにはもう立ち入らないようにしました。宗教に携わる人間には、一般社会のルールや感覚がそのまま当てはまらないたに、余計に気を付けなければならないと教訓を得た出来事でした。
ここで、明確に、このような搾取に対して明確なノーを示し、境界線をひいたことが、流れを変えることにつながっていると思います。
このお寺は「感謝」を大切にして、その教えの根本に置いています。そのため、やり取りしたお寺の僧侶もやたらと感謝の言葉を書きなぐっていました。他方で、私への迷惑をかけたことへの言葉は、本当に形式的なものでした。
これを見て、「ふわスピ」か?!と思ったくらいです。罪悪感を感じないために、感謝の気持ちで自分を満たしているようでした。そうじゃなくて、感謝の教えの本質は、感謝で受け取れないようなことについても感謝を見出だされるように自分の側を変えていく、そのような器を作っていくことでより成長していくことでしょう、と。そうじゃなくて、相手の犠牲があってそのことが相手からも伝えられているのに、しっかりとそこへのえ手当てやお詫びや反省もなく、感謝を述べるたけては、問題に目を向けずに覆いかくすだけですよね、と。
宗教を生涯かけてやっている人が、これです。だからこそ、一生を費やしているともいえる。
さまざまなき犠牲を払った私こそ、この出来事を、その後、感謝の気持ちで見直すことができることこそが、感謝の行なんですよね。
本当に怒り心頭に達した出来事でしたが、一方で、さまざまな学びがありました。そして、今回、流れを変えたのも、あの出来事で、明確な境界をひいたからかな、と感謝の余地を見出だしています。
すべて無駄なことはないですね。