映画「ニキータ」

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大学の同級生だった子にフランス映画好きと自称していた子がいて、別にその子とはなんともなかったのですが、僕も当時は割と映画好きで、よく見ていたのですが、その子のお気に入りがニキータ。僕は見ていなくて、ずっと見ろ見ろと言われていて。その後、なぜかその子とラマンなんてフランス映画を見に行くことにねって、僕はやっぱりダメで。ニキータも同じだろって感じで見る機会を失していたわけですが、そのずっと後にレオンを見て、レオン好きならニキータも見るべきという声を聞くようになってはいたのですが、逆にレオンのいいイメージを損ないたくないなという感じもあって、見てなかったという感じ。
 まあ、レオンに比べると淡々と進んでいくし、盛り上がるかというと、ちょっと惜しいかなと。ジャンレノが出てくるのは嬉しかったり。
 ただ、wルクはないものの、絶賛する感覚はやはり理解できないかな。
 映画って、とりあえずのデートコースになっていたりするけれど、実は趣味が合わないと難しい。趣味が合わないことがわかるのはいいのかもしれないけれど。

映画の予告を見た時点では、単館系の映画の扱いにならないのが不思議だったのに、意外な大ヒット。となっている「ボヘミアンラプソディ」ですが、個人的にはようやくほとぼりも冷めてきたころに、ふとテレビで、2002年に放送されていたドキュメンタリーの再放送を見てまた厚くなってしまうという。これはブルーレイ出たら飛びつくな。

というか、改編期のティーバーがキムタク祭りになっていて、クイーンの主題歌に惹かれて、一度たりとも見ていなかったドラマの「プライド」を見ているのですが、フレディの歌が聞こえるだけで、妙なツボに入って困る。

ボヘミアンもラプソディも自由の象徴で、フレディの歌ったのは、誰が誰を殺した光景なのか、という話で、当のママは、これを聞いて涙が止まらず、電話して本人に聞いたというのは面白い話でした。

 本人はただの物語だと笑っていたみたいで、アートというのは、見たもの聴いたものがそれなりの解釈をでき、インスピレーションを掻き立てられるものということでいいのではないでしょうか。僕なりの解釈もあるのだけれど、あえて発言しないことに。

75年のイギリスというのは最悪の時代だったようで、そこからこのようなイマジネーションに富んだ歌が生まれ、その後のロックのいろんな形につながっているというのも面白い。

イギリスの100年の1曲に選ばれたのは、イマジンでも、ビートルズでも、ストーンズでもなく、ボヘミアンだったというのは、どういうことなんでしょうねえ。日本だともっとわかりやすいメッセージが好まれるようにも思うけれど、クイーンの人気に火をつけたのは日本だし、この辺りはややこしい。言葉が分からないというのがかえって良かったのかな。

このクールのドラマ

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ぼちぼち最終回を迎えてますが、「僕らは奇跡でできている」が見る前のイメージと全く違って非常にいい具合に出し抜かれたかなと。意外にメッセージ性がしっかりしつつも言い過ぎないという塩梅がいい感じでした。直虎からみていた視聴者としては、教授と相河先生の師弟関係は和尚さんと但馬の再現でうれしかったし。

僕は、母親が、アノ感じで、共働きで、家事育児疎かになってると言われたくない、と肩ひじ張ってしまってむしろ人格的に問題の出ていた人間だったので、「誰がそんなこと言うんですか?」と言ってあげないといけなかったんでしょうねえ。

人と同じにという価値観はむしろ理解できない方で、空気が読めないわけではないのだけれど、読んだうえで、あえてその空気を乱したがるタイプの人間なので、人と同じにできないと悩む人たちよりは悪質ですね。

嫌いなもの予定調和だし、仕方ない。

 

それから、「獣になれない私たち」もよかったですね。どっちのドラマも視聴率はいまいちだったみたいですが。一歩間違うと時代遅れのトレンディードラマになりかねない設定だったものの、ちゃんと現代的な切り口で、重層的な人間関係を描き切りました。ガッキーの可愛さだけでなく、ブラックなところもよかったのでは。