願いはすべて、既にかなっている!? | 弁護人クマの事件簿

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北海道で弁護士をやっています。
日々の事件の中で思ったことなど書いていこうと思います。

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 悪魔とのおしゃべりという本の中で、

「あなたの願いは既にかなっている」

という記述があった。

 

その趣旨は、

「何かになりたいなあ」

と思っているからこそ、まさに

「何かになりたいなあと思いながら、何もせずに喫茶店で過ごす」

という夢をかなえており、

「彼女がほしいなあ」

と思っているからこそ

「彼女がほしいなあと願う自分」

を実現しているというもの。

 

その時はよくわからなかったが、言われてみると、じわじわと説得力を感じてきた。

 

「確かに・・・いうとおりかも」

 

じゃあ、もしたとえば何か資格が取りたいと思って勉強を始めたら・・・

「資格を取ろうと頑張る自分」

を実現し、

惜しくも落ちた場合には、

自分はそれまでに「この勉強量では落ちてもおかしくないなあ」と思っているから、まさに希望(あるいは予測)どおりに

自分は試験に落ちる・・・

 

こう考えると、まずいいことは、

「自分の願いってかなうんだ」

と思えること。

「あれもかなわない、これもかなわない」

と思うよりも健全ではないだろうか。

それに、ちょっと嘘っぽい気もするけれど、すべてかなっていると思うことって、なかなか気分がいい。

 

それともう一つ。

自分の願いはすべてかなうという前提に立った時、

「じゃあ自分は何を願うんだろう」

と真剣に考えられること。

 

「彼女がほしいなあ(と願う自分を実現する)」

という願いから、

「彼女を得る(ために、恥もかき、嫌なことも感じる、そういう道を進む自分を実現する)」

という希望を、本当に叶えたいのかどうかを考えることになる。

 

それはいやだ、というのでももちろんいい。

やってみようというのでももちろんいい。

 

なによりいいのは、すべてが、自分で選んでかなえていることなのだと考えることだ。

そこには、嘘がない。

すべてを自分の責任にすることができる。

 

ちょっと厳しい見方ではあるけれど、靄が晴れたような気がした。