悪魔とのおしゃべりという本の中で、
「あなたの願いは既にかなっている」
という記述があった。
その趣旨は、
「何かになりたいなあ」
と思っているからこそ、まさに
「何かになりたいなあと思いながら、何もせずに喫茶店で過ごす」
という夢をかなえており、
「彼女がほしいなあ」
と思っているからこそ
「彼女がほしいなあと願う自分」
を実現しているというもの。
その時はよくわからなかったが、言われてみると、じわじわと説得力を感じてきた。
「確かに・・・いうとおりかも」
じゃあ、もしたとえば何か資格が取りたいと思って勉強を始めたら・・・
「資格を取ろうと頑張る自分」
を実現し、
惜しくも落ちた場合には、
自分はそれまでに「この勉強量では落ちてもおかしくないなあ」と思っているから、まさに希望(あるいは予測)どおりに
自分は試験に落ちる・・・
こう考えると、まずいいことは、
「自分の願いってかなうんだ」
と思えること。
「あれもかなわない、これもかなわない」
と思うよりも健全ではないだろうか。
それに、ちょっと嘘っぽい気もするけれど、すべてかなっていると思うことって、なかなか気分がいい。
それともう一つ。
自分の願いはすべてかなうという前提に立った時、
「じゃあ自分は何を願うんだろう」
と真剣に考えられること。
「彼女がほしいなあ(と願う自分を実現する)」
という願いから、
「彼女を得る(ために、恥もかき、嫌なことも感じる、そういう道を進む自分を実現する)」
という希望を、本当に叶えたいのかどうかを考えることになる。
それはいやだ、というのでももちろんいい。
やってみようというのでももちろんいい。
なによりいいのは、すべてが、自分で選んでかなえていることなのだと考えることだ。
そこには、嘘がない。
すべてを自分の責任にすることができる。
ちょっと厳しい見方ではあるけれど、靄が晴れたような気がした。