節目。 | Gardianinho~polisherman diary~

Gardianinho~polisherman diary~

サッカー・長万部・モノ

人の価値は死後に初めてわかるとはよく言うが、それは最期の時間でどれだけの人に見届けて頂けるか、あるいはどれだけの人間が訪れた死について追悼の意を示してくれるか、ということだと思う。


冒頭で暗い話をしたが今日の本題は逆である。

先週末に帰国し、無事披露宴を挙げ、約一年がかりでイベントを行い、感じた事を淡々と書きたいと思う。


正直、結婚に対して事の大きさを自分自身がよくわかっていないと思う。だからこそ結婚を躊躇なく決めれたのだと思うし、友人に報告したりするのもあまり大きな壁ではなかった。


11月に前撮りを行った際に、周辺を歩いていたおばさまにおめでとう御座いますと言われ、観光していた欧米人に写真を撮られ、初めて自分が祝い事の渦中にある事を認識した。


3月に家族挙式をした際、家族の前で感極まって涙を流し、家族の絆の強さを初めて認識し、そして自分が新たな旅立ちのスタートラインにいる事に気付かされた。


そして数日前、披露宴を2人の出会った地で行った。

仲のいい友人を呼んだが、本当に祝ってくれるのだろうか、周りから自分はどのような評価をされているのだろうか、粗相は無いだろうか、当日までは気が気でなかった。

ただでさえ準備は嫁任せになってしまい、頭の中で情報が整理されていないまま迎えてしまった事もある。相当喧嘩もしたし。

当日待っていた光景は、自分が予想していたことより遥かに素晴らしく、明るい、幸せな時間を過ごすことになった。

ひょっとしたら建前なのかもしれないけど、自分は周りにこんなに恵まれていたのか、と思ってしまった。祝福の言葉を頂き、話題は途切れず話は続き、俺なんかのために色々してくれた。最高の幸せものだった。

それは上司、友人だけでなく親族含め。自分自身の価値について肯定も否定もする気は無いが、自分について、これほど理解してくれていたのか、と感激してしまった。

人の価値は祝われる席でもわかったりするのかな、と冒頭の話の回収になるが、自分のために他人が尽くしてくれるのが明らかに見えるのは冠婚葬祭だけなのだろう。それについて気付けて、感動出来たこと自体が幸せなのだろう。単純に祝ってくれた、と言ったそう言う世界ではなく、自分に対して如何程、と言うところがミソなのだと思う。余興も想像以上だったし、二次会では俺に絶対金出さすな!と色々根回ししてくれた。日頃恩は売ってきたつもりではあったが、差し引いても申し訳ないほどしてくれた。最高の友人に巡り会えたと、改めて思った。


ジョハリの窓をご存知だろうか。パーソナリティを形成する性格は4つに分類されると言うもので、①自分もかつ相手も知っている部分、②自分は知っているが相手が知らない部分、③自分は知らないが相手が知らない部分、④自分も相手も知らない部分、というものである。

先日の披露宴で、①と③が会話中で強調され、思わず感心しきりの酒の場だった。各人が嫁に私の性格を伝えるのである。真面目、頑固、心配性、、、色々言われたが、コイツは絶対浮気しない、と言ってくれたのが嬉しかった。

嫁は女1人付き合ってくれたが、俺についてこんなに聞ける場は今までなかったし、終始嬉しそうだった。きっと新たな発見もあったのだろう。



さて予定では海外赴任は後半年。即ち、新婚生活のスタートまでもそれくらいの時間があることになる。

大きな目標がなくなった今、すべきことは何だろうか。貯金?勉強?

おそらく、なんでも無い日々を少しでも共有することだと思う。

今日はなにがあった、おはよう、おやすみ、それだけでいい。

それが普通の2人のペースを作るんだろうし、今出来ること。


何でもないような事が幸せだったと思う


有名な歌の歌詞だが、これにいち早く気付ければいい。



最後に、今更だが俺の周りの人間全員にお礼をして、この記事をしめさせてもらう。

みんなありがとう、そして俺は幸せ者だ!