昼間、母の定期診察で、このままなら余命半年と言われたらしい。
らしい、というのは付き添ってくれた妹からの連絡があったから。
本人も聞いたのかどうかは不明。
私が夜に実家に寄った時は父母ともガックリもしていなかったので、母は聞いていないのかな・・?
ただ最近、母とは
『春は迎えられるけど、来年の今頃は難しいかもね』と話していたので(酷い娘と思う人もいるでしょうが)、まぁ大してショックでもないのかな。
余命が見えてきた事より、身体が動かない状況になった事の方がショックを受けている気がしますし。
しかし、主治医からは脳梗塞の薬、2錠飲んでいたのを1錠に出来るから、タグリッ○を飲む方法もあるよ、と提案があったらしい。
脳梗塞の後は、脳梗塞の薬を飲んでいるから、タグリッ○は飲めない、という説明でした。
薬の飲み合わせって量だけの問題じゃないよね!
と思うのは私だけではないはず。
やはり抗がん剤は
ドル箱
なのね、という思いは拭えません。
いや、何とかしたい思いがあるのかもしれませんが、抗がん剤でボロクソになるような老体に更に抗がん剤を提案するとは、何ともナンセンスな😑
何とか余生の生活の質を上げて暮らせるような治療を提案して欲しいものです。
プラス、今後、抗がん剤なしで癌が大きくなつたら起こる症状、それに対する対処法を教えてくれる方がよっぽど親切。
これが
病を見て人間を診ていない
と思ってしまう原因です。
あ、でもこれが本来あるべき姿なのですかね。
病は医師に見てもらって、治療は自分でする、選択するというか。
なかなか医師を目の前に『あなたの提案は受けません』とは言い難いですけどね😅
そして違う見解を話すと、怒って話しにならない医師が多数ですけどね。
うん、でも理解は出来るけれど、いよいよ母がいなくなる日が近づいているなと実感しました。順番通りに見送り出来るのは有難いことではあるんですがね。