
5月も半ばに入りましたね!
実は、先日から咳がでるようになりました。
過去の経験から
体調というよりは
伝えたい思いがまだ言葉にならなくて
かわりに外に出ようとする合図
だと気づいていました。
だから、
ちょっと立ち止まって、
手を止めて、
動きを止めて、
自分と向き合う
さてさて、
私は何を言葉にし
誰に伝えたいと思っているのだろうか??
私は、
2年前からいつか個人事業主になりたいと
やれることからはじめてみて
少しづつ更新してきました。
今年に入り商工会議所の門をたたき、
起業相談をしながら、
アドバイザーさんに助言をいただきながら
整理整頓!!
おかげさまで
個人事業主としてスタートを切ることが出来ました🌱✨
開業届けを1枚、記入して、提出する
たったそれだけのことに
2年かかりました〜
その過程の話は
おいおい書くことにします。
今日は
私の原点回帰として
2年前の5月に
私が書いた読書感想文を載せます。
よかったら、読んで
感想をいただけると嬉しいです。
✾✾✾✾✾✾✾
TRICK
エスター・ウォジスキーさん
を読んで
✾✾✾✾✾✾✾
『子どもたちが、未来は明るいと思い描ける世の中に』
子どもたちは、誰もが社会の一員である。家族からすべてがはじまる!ということを、当たり前だけど、過去の私は気づいていなかったのかもしれないと思い返しています。
これを書いている5月は、私が母親になった記念月です。
子どもたちには親として、人として成長をするきっかけをくれたことに感謝をしています。感謝をするだけでなく、親としてこの混沌とした世の中を幸せに生き抜くのに必要なことが何なのかを学び、子どもたちに伝えたいと思い、この本を手にしました
子育てを通して「生きる姿勢」「優しさ」を伝えること、
子育てをしていると落ち込むことはたくさんあるが前向きに解決していくことの大切さ、
そして、余裕がないと「優しさ」が失われてしまう危険について伝えようとしていると思いました。
実は、娘は幼少期に「癇癪」をよく起こしていました。
思い返してみると、私の体力のなさや、主人の協力を得たくても仕事が忙しくて話をすることすら出来なかったこと、そして、自分の想像していたような子育てが出来ないことで、どんどん心に余裕がなくなっていました。その頃の私は「自分では制御できない怒り」を感じ、いきなり火のついたように怒り出してしまう事もありました。なので娘の「癇癪」はそれを真似していただけなのかもしれないと、今は思っています。優しさとは真逆の子育てをしていたその頃の私は、ただただ途方に暮れていました。
そして、私は自分を母親として、人として「失格」だと思ってしまい、どんどん自分を追い込み、「孤立」し、「笑えなく」なっていっていきました。
それでも代わりしてくれり人は居ないから、なにより「このままではイヤだ!」なんとしても「子どもや主人とまた笑顔で過ごせるようになりたい!!」と思い、「そのためには何をしたらいいのか?」そのための行動を闇雲ではありましたが積み重ねてきて、親子関係、夫婦関係を取り戻し、「笑顔」で過ごせるようになれました。
私が「笑顔」をなくしてしまった一番大きなきっかけは、子どもたちが学校行けなくなったことです。
「子どもたちを守りたい!」
私は賢明に子どもが抱えてしまったトラウマと向き合っていました。それと同時に私自身のトラウマともたたかっていました。でもそれが「自分勝手な独りよがりな考え」だと気づくことが出来るまで「負のスパイラル」を繰り返し、気がつけば10年近くの時間を費やしてしまいました。
娘の行きぶりが始まった頃、子どもの様子を見ていると、学校に通っている子となんら変わりない、健康、健全であるようにしかみえません。朝の支度を終え、ランドセルを背負うまでは普段通り、でも玄関で靴を履いたとたんに「表情が消えカチコチに!」それでも学校の先生に『学校に来なければ私たちは何も出来ないから、少しでも連れてきてください』と言われ、その言葉に、藁をもすがる思いで、必死になり、子どもが楽しい雰囲気になるように最善をつくし学校に連れて行きました。親子で心を整えながから、やっとの思いでたどり着いた学校、その途端、『今度は教室に入らなければ…』と、娘を引きずるように教室に連れていく先生の後ろ姿をどうにも処理しきれない気持ちで見送りました。そんなことを繰り返すうちに、やっとの思いでたどり着いた保健室で、他の子どもたちの声を聞き、慌ててシャワー室に籠り、小さく小さく縮こまる我が子を見て、もう学校へ連れて行くのはやめようと決めました。
「一般的であるより、子どもの心の叫びの方をもっと早く優先さられなくてごめんね。」って、気持ちも同時に抱えました。
それと更に同時に、「ほっと」している自分もいました。
今思えば、「どうしたら、学校に無理に連れていくのを辞められるんだろぉ〜?早く辞めたい!」って思いが常に頭の中をぐるぐるしていたと思います。その娘の姿が「きっかけ」をくれました。
ちなみに、私は身体が弱かったので母親にとても「心配」されながら育てられました。私は無意識のうちに「子どもの心配ばかり」して、接してきたと思います。
そして、親として毎日子どもの笑顔が見られない、そんな子育てしかできない自分に「がっかり」もしていたと思います。
「自立」を促すためにどんな段階を踏んで行ったらいいか、そんな「子育ての基本の目線」はその頃の私にはほぼなく、自分の「哀しみのフィルター」を通してしか子どもたちのこと見れないでいました。それでも、少しずつ「気づき」「気づいたことから改善」し、一歩一歩進んで来れたかな?!って、最近思えるようになっていました。この本を読み、更にそう思えました。そして、この先に進む為の正しいやり方に巡り会えるかもしれないという期待を持ちました。
私は親として、人としてとて、とても未熟だったので、やり方は間違っていたかもしれないですが、「真剣に向き合ってきたこと」「子どもから学び続けたけたこと」が好転するきっかけになったのかもしれません。
最近、子どもたちにその頃のことをどう思っていたか聞いてみました。娘は『お母さんも一生懸命だったんだよ』そして息子は『俺の中に踏み込まないでくれたことが良かった』など、子ども達がそれぞれに私を受け止め、自分と向き合っていたようです。
とわいえ、子どもたちはまだ社会人としてのスタートは、はじめられていません。今の私にできる事は、主人とチームとなって、子ども達を育てること。私自身がお手本になれるような大人になり、やり抜いて、いつか人や社会のために働ける人になるために、精一杯の行動を続けて行くことです。
我が子や不登校と言われている子こどたちも、学校に通っている子どもたちも、社会の一員であるということには変わりありません。そんな若者たちに、「明るい未来を想像して欲しい!」そう思い描けるような支援をする人になりたい!という思いを、更に強くしました。
