【平成30年9月18日(火)】
【紫香楽宮】(天平17年(745)1月~5月) 所在地 : 滋賀県甲賀市信楽町黄瀬、宮町
第45代聖武天皇 在位:神亀元年(724)~天平勝宝元年(749)
紫香楽宮(しがらきのみや、信楽宮)は、奈良時代に聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市)に営んだ離宮。のちに「甲賀宮(こうかのみや)」とも。
740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は恭仁京(現在の京都府木津川市加茂地区)に移り、742年(天平14年)には近江国甲賀郡紫香楽村に離宮を造営してしばしば行幸した。これが紫香楽宮である。
紫香楽宮跡の場所は新名神の信楽IC周辺に点在しています。
【内裏野地区】
紫香楽宮阯の石碑がありますが、今は宮町地区が中心施設とされここは甲賀寺跡とされている。
中門阯
金堂阯
金堂阯に建てられた紫香楽宮
経楼阯
鐘楼阯
塔阯
塔院中門阯
講堂阯
僧坊阯
内裏野地区の北600m、黄瀬交差点の東側にあり、遺構は大規模な鋳造所跡を主としている。
【新宮神社地区】
新宮神社地区(しんぐうじんじゃちく、新宮神社遺跡の一部)は、黄瀬交差点から北500mにある遺跡。
宮町地区と内裏野地区の中間に位置する。遺構は道路跡を主としている。
【北黄瀬地区】
北黄瀬地区(きたきのせちく、北黄瀬遺跡の一部)は、黄瀬変電所の西、北黄瀬バス停横にある遺跡。盆地西側に位置する。遺構は大井戸跡を主としている。
【宮町地区】
宮町地区(みやまちちく、宮町遺跡の一部)は、甲賀市信楽町宮町にある遺跡。盆地北半の平坦地に位置する。遺構は宮殿跡を主とし、2000年(平成12年)の調査で大型建物跡が検出されている。主要建物として、中心北方に中心建物(正殿)、東西左右に脇殿がコ字形に配置されるほか、後背の正殿北方に大型建物2棟(内裏建物か:恭仁宮跡に類例)が認められる。そのほかにも多くの建物遺構が検出されており、紫香楽宮の中心施設とする説が確実視される遺跡になる。