【平成29年11月28日(火)参拝】
孝明(こうめい)天皇陵 御陵名:後月輪東山陵 陵形:九重塔 所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内
ついに、この泉涌寺総門をくぐるのも今巡礼最後となりました…。
いつもはここから右に行くのですが今日は真っすぐ。
後堀河陵以来8ヶ月ぶりの参道です。
左が後堀河陵、今回は右へ!
めっさ広い!
ここから月輪陵唐門が見える!
陵(みささぎ)は、京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしやまのみささぎ)に治定されている。公式形式は円丘。
孝明天皇の埋葬にあたっては、文久の修陵事業で活躍した山陵奉行・戸田忠至(ただゆき)の建言を受け、従来の仏式葬の石塔から古式に改められ、歴代天皇墓所の泉涌寺裏山に、円墳を模した現陵が築かれた。ただし、葬儀そのものは泉涌寺において仏式で営まれた。
孝明天皇(こうめいてんのう、天保2年6月14日(1831年7月22日) - 慶応2年12月25日(1867年1月30日))は、第121代天皇(在位:弘化3年2月13日(1846年3月10日)‐ 慶応2年12月25日(1867年1月30日))。諱は統仁(おさひと)。仁孝天皇の第四皇子、明治天皇の父。実母は正親町実光の娘・仁孝典侍の藤原雅子(新待賢門院)。養母は左大臣・鷹司政煕の娘で仁孝天皇女御の藤原祺子(新朔平門院)。正妃は九条尚忠の娘・九条夙子。
(参考文献:2017年11月9日付ウィキ抜粋)