【平成29年11月9日(木)参拝】
中御門(なかみかど)天皇陵 御陵名:月輪陵 陵形:九重塔 所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺
中御門天皇(なかみかどてんのう、 元禄14年12月17日(1702年1月14日) - 元文2年4月11日(1737年5月10日))は、江戸時代の第114代天皇(在位:宝永6年6月21日(1709年7月27日) - 享保20年3月21日(1735年4月13日))。幼名を長宮(ますのみや)、諱を慶仁(やすひと)という。追号の「中御門」は、平安京大内裏の門の一つである待賢門の別称に因む。
東山天皇の第五皇子。母は内大臣櫛笥隆賀の娘、典侍賀子(新崇賢門院)。
宝永5年(1708年)立太子、同6年(1709年)東山天皇から譲位されて即位。9歳で即位したため、はじめ父東山上皇が、ついで祖父霊元上皇が院政を行った。
在位期間は、第6代将軍家宣から第8代の吉宗にかけての時代に相当する。この時代の幕府との関係は比較的良好で、閑院宮家創設が実現し、さらに霊元院の皇女・八十宮吉子内親王を7代将軍家継の元へ降嫁させる話も出ていたが、家継の急死で沙汰止みになっている。
享保20年(1735年)桜町天皇に譲位し(在位27年)、元文2年(1737年)に35歳で崩御した。
ちなみに天皇の側近であった広橋兼胤の日記によれば、天皇は十二支の巳に縁があり、生年が巳年というだけでなく、崩御したのが巳年巳月巳日巳刻であったという。
【系譜】
女御:藤原(近衛)尚子(新中和門院、1702-1720) - 近衛家熙女
・第一皇子:昭仁親王(桜町天皇、1720-1750)
(参考文献:2017年9月21日付ウィキ参照)