後土御門天皇後宮 後柏原天皇生母 贈皇太后 庭田朝子 般舟院陵 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年9月29日(金)参拝】

 

引き続き般舟院陵

 

本来のここの陵は庭田朝子皇太后なのです。

 

後土御門天皇後宮 贈皇太后朝子 般舟院陵 所在地:京都市上京区今出川通千本東入般舟院前町

 

               

 

               

 

               

 

               

 

庭田 朝子(にわた あさこ、永享9年(1437年) - 延徳4年7月20日(1492年8月13日))は後土御門天皇典侍贈皇太后。父は権大納言庭田長賢(政賢・重賢)。後柏原天皇尊伝入道親王生母後花園天皇の生母敷政門院(庭田幸子)は大叔母にあたる。

元は「近衛局」と称して足利将軍家に仕えていたが、当時親王であった後土御門天皇に召されて寵愛を受け、後に後柏原天皇を儲けた。『親長卿記』文明5年(1473年)8月5日条によれば、この日甘露寺親長が参内した際に広橋綱光から庭田長賢の娘が典侍の宣下を受けたことを知らされたと記述されている。

延徳4年(1492年)7月20日に急逝、死因は中風によるものとされる(『親長卿記』延徳4年7月19日条)。後柏原天皇即位後の永正元年(1504年)7月17日に皇太后宮の称号が贈られた。

(参考文献:2017年6月26日付ウィキ)