天智天皇皇后 倭姫王 下坂本陵墓参考地 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成27年6月7日(日)参拝】

天智陵のあとは湖西線「比叡山坂本」に移動。山科からは3駅目。

                                        陵墓に行く途中で琵琶湖が見えた。



【下坂本陵墓参考地】形状:帆立貝式 考古学名:木ノ岡丸山古墳  
被葬候補者:天智天皇皇后 倭姫王  所在地:滋賀県大津市木の岡町丸山


案内板には弘文天皇の母(伊賀宅子娘)が葬られていると書いてあるが…。







倭姫王(やまとひめのおおきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘。母は未詳。天智天皇皇后。子女は無し。
大化元年9月12日(645年10月7日) 、父・古人大兄皇子が謀叛の疑いで中大兄皇子(後の天智天皇)に攻め殺される。天智天皇7年2月23日(668年4月10日)、中大兄皇子が天皇に即位したことにより大后となる。
天智天皇が病に倒れた際、大海人皇子(後の天武天皇)は「倭姫王が即位し、大友皇子が太政大臣として摂政を執るべき」むね進言した。また、天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。
天智天皇の危篤・崩御の際に詠んだ歌4首が『万葉集』に収められている。(参考文献:ウィキ抜粋)