第10代 崇神天皇 山邊道勾岡上陵 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成26年9月13日(土)参拝】

JR奈良から万葉まほろば線(桜井線)で柳本駅へ


途中、三角縁神獣鏡で一躍有名になった黒塚古墳を左手に見る。(TVドラマ鹿男あをによしでもネ!)
ここは前回、古代史ウォークで展示館にも入ったのでスルー。


道標もたくさん。


崇神(すじん)天皇陵  御陵名:山邊道勾岡上陵  陵形:前方後円
考古学名:柳本行燈山古墳(前方後円墳、全長242m)。 所在地:奈良県天理市柳本町

陵墓はR169沿いにあります。


                                 天気にも恵まれてか、なんとも美しい参道なこと!


天に昇っていくような拝所への階段。                   なんとも開放的、素晴らしい陵墓。




今まで見た陵墓の鳥居は花崗岩だったんですが、ここの鳥居は珍しく木製です。












お濠をぐるっと一周。




拝所からは一番遠い東側。                       遠く二上山を望む。




一周するのにけっこう時間かかった。



崇神天皇(在位BC97年~BC30年)は、『記・紀』に記される第10代天皇。
和風諡号は『紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)。
また、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられる。『記』では御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえ)である。現代日本の学術上、実在可能性が見込める初めての天皇であると言われている。
【系譜】
開化天皇の第二子。母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。異父兄に彦太忍信命(磐之媛の祖)。異母弟に彦坐王(神功皇后の祖)。
皇后:御間城姫(みまきひめ、御真津比売命) - 大彦命(孝元天皇の皇子)女
皇子:活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと、垂仁天皇
皇子:彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと) - 記の伊邪能真若命(いざのまわかのみこと)に当たるか
皇女:国方姫命(くにかたひめのみこと)
皇女:千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)
皇子:倭彦命(やまとひこのみこと)
皇子:五十日鶴彦命(いかつるひこのみこと) - 記には伊賀比売命(いかひめのみこと)で女性

妃:遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ) - 紀伊国荒河戸畔女
皇子:豊城入彦命(とよきいりびこのみこと) - 上毛野君・下毛野君等祖
皇女:豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと) - 初代斎宮

妃:尾張大海媛(おわりのおおあまひめ、意富阿麻比売・葛木高名姫命) - 建宇那比命女(『先代旧事本紀』天孫本紀)
皇子:大入杵命(おおいりきのみこと、大入来命) - 能登国造祖
皇子:八坂入彦命(やさかいりびこのみこと) - 八坂入媛命(景行天皇の皇后・成務天皇の母)父
皇女:渟名城入媛命(ぬなきいりびめのみこと、沼名木之入日売命)
皇女:十市瓊入媛命(とおちにいりびめのみこと

都は磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社が伝承地)。
『古事記』には、「師木の水垣宮(みづかきのみや)に坐しまして、天の下治めらしめしき」とある。

ハツクニシラススメラミコトとの称は、神武天皇(『日本書紀』では始馭天下之天皇:はつくにしらすすめらみこと)にも贈られており、初めて天下を治めた天皇という意味であるが、初めて国を治める天皇がふたり存在することになる。

これについては、神武天皇の称号にみえる「天下」という抽象的な語は、崇神の称号にみえる国という具体的な語より上位の観念であり、また、後に出来た新しい観念でもあるので、神武天皇は崇神天皇より後に「帝紀」「旧辞」の編者らによって創られたと考えられる。それ故に国(大和)を初めて治められたのは崇神天皇であると考えられる。『常陸風土記』にも「初國所知美麻貴天皇」とある。

崇神天皇の和風諡号は「ミマキイリヒコ」、次の垂仁天皇の和風諡号は「イクメイリヒコ」で、共にイリヒコが共通している。イリヒコ・イリヒメは当時の大王・王族名に現れる特定呼称である。「イリ」が後世の創作とは考えにくいことから、これらの大王・王族は実在の可能性が高まり、崇神天皇を始祖とする「イリ王朝」「三輪王朝」説なども提唱されている。 江上波夫は、この「ミマキイリヒコ」の「ミマキ」は、朝鮮半島最南部の任那(ミマナ)の「城」(シロ=キ)、すなわち「任那の城の王」を意味するとし、崇神天皇を、朝鮮半島を経て大陸から移動し日本列島を征服した騎馬民族の王だとした(騎馬民族征服王朝説)しかし「ミマ」「ミマナ」は古代日本語で「高貴な人」を意味する言葉でもあり、「ミマキ」と任那を結びつける実証性はきわめてとぼしい。現在では崇神天皇を大陸由来の人物とする江上説を信奉する人間はきわめて限られている。

崇神・垂仁の二帝の名は和風諡号ではなく実名(諱)をそのまま記紀に記載した、とする説も存在しており、「イリ王朝」が古代日本史に於いて、如何に特殊かつ重要な存在であったかを伺わせる。
                                        (Wikipedia引用)

今日はここで終了。にしても気持ちのいい清々しい日和でした!

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